2019年2月23日土曜日

『ニムロッド』(芥川賞受賞作)あらすじ〜批評〜解釈

フランスの新聞では話題の文芸作品が出ると、あらすじと批評が長文で載り、原作を読んでいなくても知ったかぶりができるほどの情報量をもつという。

芥川賞受賞作『ニムロッド』(上田岳弘)について、その真似をしてみる。
*以下、ネタバレを含みます。



あらすじ


主人公の中本哲史(なかもとさとし)は、会社の仕事でひとりビットコインを採掘している。友人の「ニムロッド」からは、たびたび「駄目な飛行機」の情報がメールで送られてくる。歴史上の失敗作である飛行機のモデルについての解説。なお、ニムロッドはのちに小説家であると判明し、「駄目な飛行機」は小説のネタだとわかる。中本の恋人、田久保紀子は企業の買収を職業としており、巨額のお金を動かし、シンガポールと東京を行き来し、半ばホテル生活をしている。ふたりはよく田久保の泊まるホテルでセックスをする。物語にはドライな虚無感が漂い、次第にその色が濃くなる。

ニムロッドから送られてくるメールは「駄目な飛行機」の紹介ではなく、小説の断片に変わり、その世界では、バベルの塔のような高い塔の上に「人間の王」としてニムロッドが座している。地上では、人類が不死の技術を獲得したあと、溶け合ってひとつになっているらしい。(SF的な設定)

終盤、ニムロッドと田久保紀子は中本の仲介でプロジェクターとiPhoneを通じて間接的に初めて会う。その後、田久保は失踪し、ニムロッドは小説のなかで「駄目な飛行機」に乗り込み、太陽に向かって飛ぶ。そうして、ふたりが抽象的な破滅を迎えたあと、中本は自分と同じ名前のビットコイン発明者(ナカモトサトシ)を思いながら、「ニムロッド」を最小単位とする仮想通貨を発明しようかと考える。(おわり)

* ちなみに、「ニムロッド」はバベルの塔の建造を発案したとされるヘブライ人。ヘブライ語で「反逆者」の意。

批評


作風としては初期の村上春樹を思わせる、装飾のないドライな文体で、ときおり思わせぶりともとれる抽象的なメッセージがセリフとしてはさまれる。また、前半には『スティルライフ』(池澤夏樹。芥川賞受賞作)を連想するような非現実的な感触がある。しかし、そのオシャレな雰囲気はだんだんと喪失や虚無の気分へと変わっていく。

解釈


作品に思想的なメッセージととれる箇所が散りばめられており、そこから作品全体の思想を読み取ることもできる。以下、試みよう。

メッセージは、主に田久保紀子のセリフとして表出され、主人公は彼女を「中2病」とも評している。
「優しい世界。世界はどんどん優しくなっていく。差別も減っていく。出自の差だって、能力差だって、そのうちにたいした意味を持たなくなる。」
「これ以上もう年を取りたくないし、働きたくもない。死んでしまいたくはないし、生きていたくもない。」
「世界は、どんどんシステマティックになっていくようね。システムを回すための決まりごと(ルビ:コード)があって、それに適合した生き方をする、というかせざるを得ない。どんな人でも、そのコードを犯さない限りは、多様性(ルビ:ダイバーシティ)は大事だからと優しく認めてもらえる。」

田久保紀子は、結婚歴があり、かつて出生前診断をして染色体異常が見つかったため、堕胎している。いま、37歳。そのことから、「人類の営み」にのれない、と自認している。

ニムロッドの小説にも思想的なくだりがある。

ニムロッドは「高い塔」とは「小説」であると語り、

「それが世界を支える力になる。そう思っていた。でもそうではなかった。」
「そんな衝動[注:言葉を紡ぐ衝動]を持っているのは、きっと僕だけじゃない。それは、誰もが心の奥底に抱えている根源的な衝動に違いない。そんな衝動がきっと空っぽな世界を支えているんだ。」
「僕は駄目な人間だから、一番終わりまで残ることになった一番駄目な人間だから、」

また、著者の上田岳弘は受賞のことばで「人類の営為」について述べている。人類の営為は時流を作り、いずれシステムとなるが、「作家としての僕はきっと、「システム」そのものに反抗しなければならない。」

列挙したことがらをまとめると、まず、田久保の言う「優しい世界」、「コード」さえ守っていれば承認される世界は、いまの日本社会だろう。コードは世間があいまいに定める。優しさは、察する気配りとSNSその他の承認によってもたらされる。こういう世界が日本のメインストリームなのだ、と著者は考えているのかもしれない。

だが、ほかならぬその田久保は、「人類の営み」にのれないと自覚している。経済的には成功していても、彼女は王道からこぼれ落ちている。その出口のなさからか、「失踪」というかたちでいなくなる。

ニムロッドは鬱病で退職した過去もあり、また小説家として、田久保よりさらにメインストリームから逸れた存在ともみなせる。すなわち、ただ消えていく田久保よりもっとラディカルであり、著者の言葉で言えば「システム」に反抗する者である。その反抗は、しかしメインストリームへの攻撃ではなく、システムの外、「空っぽ」を感じる場所で、それでも世界を支えるために言葉を紡ぎ続ける、という静かで小さな営みだ。

だが、ニムロッドの矛盾した言葉(「世界を支える」ことができないとも、できるとも彼は言う)のとおり、ニムロッドが小説を書くだけで世界にはっきりとかかわれているのか、感触はあやうい。だからこそ、最後の場面で主人公はニムロッドの「遺志」を引き取って、彼の名を冠した仮想通貨を発明し、お金=経済を通して、「人類の営み」に合流する、ないし反逆する、いずれにせよかかわることを思いつくのではないだろうか。

まとめ


「虚無を感じさせる現代世界というシステムに挑む、孤独な芸術家」というモチーフだけを取り出せば新味はないが、その反抗が、最新の「お金」(仮想通貨)という回路を経由させる点でアップデートされている。