2019年12月4日水曜日

【エシカル/SDGs】ガーナに暮らす「おせっかい起業家」のにやにやがとまらない!(田口愛さん)


中央でチョコレートを作っているのが田口愛さん

田口愛さんは、ICU(国際基督教大学)の学生でいま21歳。西アフリカの国ガーナと日本を行き来して暮らし、ガーナの村にチョコレート加工工場を建てて起業するところ。チョコレートの原料となるカカオ豆の生産地ガーナで、初めてどの農家さんから豆が届いたのか分かるシステムを開発・導入した社会起業家として注目を集めています。

はじめに:「社会起業家としての田口愛さん」については、すぐれた記事がWebでいくつか読めます。今回は、自由に語ってもらいながら、「ひととしての田口愛さん」に焦点を当てました。


──ガーナという土地の魅力について、伺えますか。

自然が豊かです。農業もジャングルに種をまくだけ。食べ物は森に一杯あります。バナナ、パパイヤ、ココナッツ、パイナップル……。だけど、わたしにとっての魅力は、土地よりもそこに住むひとたちです。

はじめ首都からすこし離れた村を訪ねたときは、「かわいそうだな」と思いました。電気・ガス・水道がない。でも、村のひとたちは幸せそうでした。だから、「どんなときに幸せなの?」って聞きました。そうしたら「毎日だよ」って。

降り注ぐ光や雨、家族、あるものすべてに感謝するひとたちなんです。いっしょに過ごしていると、幸せを感じるセンサーが体中から生えてくる。世の中ってすばらしい!と思う。ガーナのひとたちは「自然と共存」している……でも、「共存」と言っちゃうとありきたりですね。彼らは「地球と遊んでいる」のかな。そして、自然に対して畏敬の念ももちろんもっています。

──今回はお話を伺えてうれしいです。取材やインタビューを受けるのは久しぶりだそうですね。

半年ほど、迷いがありました。それで、取材をお受けしていませんでした。メディアに対して、どうしても「社会的な課題があり……」「ガーナは貧しく」という話し方になってしまいます。社会起業家と見なされますし、こちらも期待に応えた受け答えをしてしまいます。

だけど、「ガーナの村が貧しいから」といったことを、ガーナのひとたちの前でもわたしは同じように言えるだろうか? と考えました。言えません。それなら、そういう風に話したくないな、と。

わたしは心の底から彼らをかっこいいと思っています。彼らといる時間が、家族といるように幸せです。だから、ガーナのことを伝えずにはいられない。おせっかいでかかわっちゃうんです。

──おせっかい起業家、なんですね。

ほかのひとの幸せのため、というのもあるけれど、自分の幸せをまず考えています。

──起業について聞かせてください。

文化の発信は個人的にやっていることです*注:日本とガーナの両方で、カカオ豆からチョコレートを作るワークショップを開催することなど。それに対して、トレーサビリティを確立すること。これはビジネスです。世界で初めてカカオ豆のサプライチェーンを完全にIT化します。それによって、日本に輸入されたカカオ豆がどの農家さんによって作られたものか、わかるようにするんです。

*注:日本はカカオ輸入の約8割をガーナに頼っている。ガーナからは「カカオ生豆」が輸入される。これを日本でローストし、ミルで挽いて砂糖やミルクと混ぜることでチョコレートが完成する。
愛さんが挑戦する事業は、生産から消費までの供給の流れをITによって透明化し、「誰がこのカカオを作ったのか?」を輸入業者や消費者も追跡できる状態にすること。

ちなみに、ガーナではカカオ豆は輸出用の換金作物である。そのため、現地の生産者はチョコレートを食べたことがなく、「チョコレート」という単語さえ知らないことが多い。愛さんは、現地でもチョコレートを作るワークショップを開催し、ガーナのひとに「あなたがたが収穫したカカオ豆から、こんなに素晴らしいチョコレートができる」ということを伝えている。

いまは、ガーナ政府が一律の値段で農家さんからカカオ豆を買い上げています。だから、農家さんは誇りや喜びをもてない。がんばってもがんばらなくても報酬はいっしょだからです。すると、手抜きも起こり、品質が一定にならず、日本のショコラティエさんも困る、といった状況があります。

ガーナでは、税金をとるために政府がカカオ貿易の窓口となり、一括管理しています。わたしは政府とも交渉しましたが、その点は動かせませんでした。だけど、QRコードを使ってトレーサビリティを確保することは、たとえ政府を通すとしても、可能です。

──トレーサビリティが確立されれば、農家さんもやる気が出ますね。

はい。

ところが、そういう風にして、よい出荷をする農家さんに入るお金が増えればよいのか、というとそうでもありません。いま、わたしがやろうとしているのは、「社会主義のところに資本主義を入れるようなこと」です。それによって問題も起こってくると思います。

わたしはフェアなトレードを目指しており、もちろん中間搾取などはしません。けれど、きちんと還元すると、農家さんの報酬にはおそらく6倍ほどの開きが生まれます。稼げるひとと稼げないひとと。いままであったエコシステムが崩れ、格差が生まれます。いまある「貧しいけれど手を取り合って」がなくなるかもしれません。

だから、わたしは起業で生まれた利益の多くを現地の「教育と医療」に投資しようと考えています。ガーナには「学校に行けない子供」「働かなくてはいけない子供」がいます。また、「マラリアで亡くなってしまうひと」もいます。

わたしはいつも将来が不安でした。ガーナのひとたちといっしょにいるとき、「この笑顔の瞬間がずっと続いてほしい」と思うのに。次にガーナを訪れたときには、マラリアで亡くなってそのひとはいない、ということがあります。目の前にいても「このひとも、死んでしまうかも」と思うのです。

──教育と医療は、開発支援の基本にあるものですよね。

でも、「支援の仕方」については思うところがあります。たとえば、日本で募金を集め、発展途上国に新しい学校を建てるプロジェクトがあるとします。その企画者は懸命に日本と発展途上国を往復します。それもすばらしい支援だと思いますが、もしそのひとがいなくなってしまったら、プロジェクトは終わってしまいます。わたしは自分がいなくなっても回るシステムを作りたい。

現地のひとに「田口愛はいなくなったけれど、もういなくてもいいよね」と言われるような支援が目標です。

そして、「お金でないところの幸せを大切にしたい」という思いもあります。グラミン銀行をご存知ですか?

──マイクロファイナンスですよね。愛さんはバングラデシュにも行かれています。バングラデシュとガーナがどうつながるのか、ふしぎでした。
(*注:マイクロファイナンスとは、貧困層に小さな額を貸すサービス。バングラデシュでは、社会的な支援のためにグラミン銀行が設立され、マイクロファイナンスの成功例となった)

わたしもガーナでマイクロファイナンスを試みていたんです。「100円ずつ返してね」というような。それで、ノーベル平和賞も受賞したグラミン銀行で働いてみようと思い立ちました。ちょうど1年前、2018年の11月にバングラデシュに行きました。

グラミン銀行で働いているひとは、みんな、自分の仕事を誇りに思っています。わたしもいい取り組みだな、と思いました。けれど、休日に村のほうへ行ってみると、笑顔がないんです。朝から晩まで働いているようでした。マイクロファイナンスが入ることで、社会が資本主義になります。「前のほうがよかった」という声も聞きました。

それで、ムハンマド・ユヌスさんに──彼はグラミン銀行の創設者で、ノーベル平和賞を受賞していますが、話す機会が何度かありました──そのことを伝えました。すると、彼も「お金を貸せば幸せになると思っていたが、必ずしもそうはならなかった」と言っていました。

ガーナは物々交換でも日常生活が成り立つ国です。もっとも、病気になったときなどのために、最低限の貯蓄は必要だと思いますが。どういう状態がよいのかは、自分とも対話し、ガーナの村のひととも対話しながらこれから探っていきます。


──将来はガーナに暮らすのですか。

チョコレートの起業は、あくまで手段なんです。わたしは「わたしにとって住みやすい国作り」をしているつもりです。自分にとって、先進国は窮屈でした。

ガーナで、マラリアにかかって何度か死にかけました。マラリアは潜伏期間が2週間ほどあり、発症すると突然、関節が動かなくなるんです。24時間以内に治療を受けないと重症化し、しばしば死にいたります。

あるとき、森のなかで動けなくなり、「あたしはここでカカオの木になるんだな」と思いました。たまたま、にわとりが来て、それを追いかけていた少年に発見されたりもしました。見つかるのがあと2時間遅ければ死んでいた、という経験もあります。

ガーナでは治療費が高いです。7000円とか。「このお金がないと死ぬんだ」と思うと、お金を渡す手が震えました。

他方で、ガーナの村のひとは一日100円ほどの収入で生活しています。治療費を支払えないひともいます。

── 一日1ドル以下というと……。

そうです。絶対的貧困ラインを下回ります。

──視点を変えて、「笑顔」について。愛さんはすごい笑顔をいつも浮かべていますね。愛さんのように笑っているひとをほかに知りません。その笑顔はどこから来るのですか。

いつもにやにやしています。ガーナに行ってから、見える世界が彩り豊かになりました。身の回りにあるすべてのものへの感謝が生まれて。ヘンかもしれませんが、東京の真ん中で雨が降ってきても、その雨に感謝しちゃう! それに、わたしは好きなように生きているし、楽しいからかな。

──いまの生き方に、「生まれつき」の感性や性質がかかわっていると思いますか。

わかりません。でもむかしから、くいしんぼうでした。チョコが好き、甘いものが好き。元気を出したいときにチョコを食べました。子供の頃から自然が好きで、森のなかでブルーベリーをとって食べていました。一日中、そんな風に遊んでいて、両親は「どこに行ったんだろう」と心配していたみたいです。地球に感謝していました。

──ある記事で、愛さんは「想像力」が豊かだと読みました。それはたとえば、子供のときに絵本や童話を読んだといったことから来ていますか。

子供の頃からなにとでもしゃべっていました。わたしは一人っ子でしたし、ポーランド(*注:愛さんは幼少期ポーランドで過ごしていた時期もあった)でも広島(*注:中学・高校時代を過ごした)でも自然に囲まれていました。

──「なにとでもしゃべる」というのは、そう感じるということですか。それとも、実際に話しかけるのですか。

ほんとうに水とか花とかに話しかけて、対話していました。「昨日の夜、寒かったでしょ」と言ったり。自然にそうしていましたよ。変わったところがあったのかな。

そもそも、ガーナに最初に行ったときも、お礼を言いたくて行ったんです。いつもチョコレートに勇気をもらってきたから、こんなにおいしいチョコレートを作ってくれて、ありがとうって。でも、それでガーナまで行っちゃうひとはあまりいないですよね。

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このあと、ガーナの言葉(チュンイ語)をどのようにして学んだのか、といった話をしながら、インタビューを終えました。

田口愛さん、楽しい時間をありがとうございました。

ひとはみな、そうなのかもしれないけれど、愛さんは「神さまの子供」に見えました。