2020年4月8日水曜日

【エシカル×思想】愛についての文章


離れ離れになったり、またはいっしょに住んでいるからこそ難しくもなる、「愛」とはどういうものなのか。

コロナをめぐって厳しい時間を生きるひとが多いなか、これまで哲学を学び、詩を読んで来た僕にできることはなにかと考える。

実はコロナにかぎられない、個々人の危機もまたいつの時にもある。そうした普遍性とも、いまの現実とも向き合いながら、愛について書いてみよう。


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料理をする時、「心をこめなさい」と言われる。たしかに「思い」を凝らすと目玉焼きひとつでも焦げ付かない。今朝ぼくは目玉焼きを破裂させてしまったが…

愛にとって「思い」をもつことは大切だ。しかし、愛を日々の実践から考えるひとは「思い」を曖昧なものとして軽く見積もるかもしれない。思いはかたちがなく、持っても持たなくても目に見えない。せめて、言葉か贈り物で伝えるのがよいと考えるかもしれない。

とはいえ、「思い」をもつことが愛の始まりであるように思われる。かたちにするかどうかは次の話で、どちらでもかまわない。

ぼくは親孝行でいたいと思うが、たとえば夜眠る時、母を思うことができる。LINEもせず、電話もしない。もう寝ているだろう母に、どうしているかな、と心を寄せる。

あれこれ具体的に考えるわけではない。コロナに罹患していないか、とか昨日の頭痛は治っただろうかと考えをめぐらせるわけではない。心に確かな形で気にかけるだけだ。

ふっと母を気にかけたら、すっと忘れて寝てしまう。ストップウォッチで計ったら5秒か10秒のことかもしれないが、時間は関係ない。

ついでに、父のことも考える時がある。独立自尊の強いひとなので、「父は……まあ、大丈夫だろう」と思い出すくらい。「お父様に、薄情じゃないか」と思われるかもしれないが、「思い」は考えの多寡や頻度の多少ではないのだから。

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恋愛における思いもある。若い男性がある女性に心を惹かれているとする。このコロナ騒ぎのなかで、ふたりは会うこともできない。さて、この若い男性はどうすればよいのか?

ただ相手を思う。

それでよいのではないか。

若い男性はこう言うかもしれない。

「とっくに思っているよ。というか、思いがあふれています。J-POP聴いて泣きそうになる」

けれど、思いはコントロールすることが大切だ。治水のようなもの。自然の大きな力には逆らえないが、それに少しでも制御を入れる。それは「思い」にも行動にも、節度と慎みをもつことだ。

それで、どうすればこの恋愛はうまくいくのか? ──うまくいく方法はわからないが、いわば「正しく」思いを持ち続けるのはいいことだ。それはたぶんつらく、時に厳しいこと、ひどく孤独なことでもある。

孤独のなかにじぶんを置くのは鍛えられていい。そのうち、開けてくる景色もある。

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次は「忘却」について。

──僕は恩師から「木村くんとは7,8年のつきあいになるものなあ」と言われたことがある。その7,8年のうち、3,4年は師と同じ学科に所属していたが、そのあとは卒業し、一年に一度会えるかどうかだった。けれども、会わないあいだにも関係は深まってくれるのだな、とその時実感した。

当たり前だが、誰かのことを四六時中「考えている」ことはできない。それでは夢想的な人間になってしまう。それに「思い」は先にも書いた通り量では計れない。

哲学書の『エコラリアス』という本が忘却を肯定的に描き出して、印象的だった。とても面白い本だ。忘却があるから記憶もある。相手を忘れている時間、考えていない時間があるから、思う時間もある。

そして、結局のところ、最後には積み重なった時間が関係を築き上げていく。その時間には、愛するひとと会っていなかった時間、話していない時間、お互いを忘れて仕事かなにかに夢中だった時間もふくまれる。

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孤独と測り合える愛情について。「測り合う」という言葉は、作曲家の武満徹が「沈黙と測り合える……」という表現で使っていたのを拝借した。

ここで言いたいのは、孤独の深さが愛の深さを決めるということ。愛の大きさは孤独の大きさに比例する。愛は誰か相手があってのものだけれど、実はじぶんひとりの孤独にどれだけ耐えられるかが、その愛の限界を定める。

じぶんひとりの時間は、恐怖や不安に襲われることも多い。それらの恐怖や不安を誰かに打ち明けたってよいのだが、いくばくかの恐怖と不安に僕らはじぶんひとりで耐えなければならない。つまり、孤独に耐える。

──ネルソン・マンデラはチャーター機で移動中に、機械の故障で、飛行機が墜落するかもしれない、という状況になっても表情ひとつ変えずに新聞を読んでいた。着陸してから、親しいジャーナリストが取材すると「いやあ、こわかったよ。心臓が飛び上がるかと思った!」と言って笑ったそうだ。(*マンデラは南アフリカでアパルトヘイトを廃止させるために戦った、元大統領だ)。

また、誰かを思いやることにも孤独がある。ひとを思えば、思うほど、直接には伝えられないことが降り積もる。それにどう向き合うか。──ただ持ちこたえる。

そういう孤独に耐え抜いたひとが、あるとき、愛を易しそうに示す。すると、その易しさに周りは安心し、驚きもする。孤独がなければ愛もない。

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僕に書けるのはこれくらいだ。ここまで読んでくださってありがとうございます。