本の上に枯れ葉を置け。 もはや、その文字が見えないように。 |
『はてしない物語』の外へ出ること
それが課題だった
それは神秘と芸術の領域を
すべて含む
あらゆるファンタジーの彼方へ
出てゆくこと──
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僕は、本を読むのが好きだった。物語が好きだった。テレビでも(あまりテレビを観てこなかったが)映画でも、物語のなかに憩ってきた。
芸術作品でもそうだ。
絵でも、音楽でも。
それらは、そのなかに入れる「ファンタジー」だった。広い意味での。
そこから「外の世界」に出ることが難しい。
片足を物語のなかに残したまま、現実に対処してしまう。
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これはミヒャエル・エンデ作『はてしない物語』のテーマだ。
主人公のバスチアン少年は、古本屋でみつけた本のなかに入り込んでしまう。そして、そのなかで成長し、その世界の英雄となるのだが、物語世界に酔いしれてしまい、本の外へ出られなくなってしまう。
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以前に「『はてしない物語』のふたつの読み方──ファンタージエンの友達」というブログ記事を書いた。
──「本のなかの友人」は、あなたを助けてくれて、そして、最後には満たされたあなたが本の外、現実世界に戻ってこられる、というのが『はてしない物語』の最後の主題だと思える。
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しかし、実際には本の世界に満足を得られるほど、いったんは外へ出ても、また別の芸術へ逆戻りしたくなる。こうして、ファンタジー世界の遍歴がはじまる。
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そのかぎりない旅を、断たねばならない。
はてしなく遍歴する意識を、止めなければならない。
もうどこの「土地」にも、わたしを委ねない。
本にも、音楽にも、映画にも……なににも。
もし、本を読むのであれば、
本のなかに入れるのと同じように、
そこから出て来ることもできなければ。
行くだけでなく、帰ってくることも旅なのだから。
どこへ?
ひとりの自己として立つわたしのところへ。
わたしがわたしを治める場所へ、だ。
それが醒めることだ、あらゆるファンタジーの夢から。
その時、地球の外に戯れ出た精神は、
再びこの地球へ帰って来る。