2020年8月7日金曜日

【詩】神曲のおかげで - Divina Poetica


ある時、思った。いまは地獄へ降りるのだ、と。
地獄のJourney. 詩聖ダンテの後を追う。

水先案内人はランボオだ。
「閻魔の前のなんという夫婦。おれはアルジェへ行くぞ」
地獄は見慣れた風景で、懐かしいほどだ。
何年もここを彷徨ったのではないか。

我欲がむらむらと沸き起これば、そこが地獄の入り口だ。
いや、奥底だ。すでにそこを這いずり回ったのではないか?
「地獄とは利己心だ」とランボオは述べた。
「おまえにはまだまだ冒険が足りない」。

サタンが地獄の入り口に刻んだ文句はこうだ。
「汝ら、この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」
そうか。なんのために希望を捨ててしまったのか、
いまになって私は気がつく。

煉獄は晴れやかな山の麓だ。だが、そこに人間たちがうめいている。
「わかるか。人間とは苦しむものだ。他者の苦しみこそ、煉獄だ」
そう、ランボオは言った。そこには同情の欠片もなかった。
ランボオは噛み締めていた枝を一本、吐き捨てた。

ああ、ひとの苦しみが見えるということは。
だがしかし、それは自分の苦しみしか見ない者には
見えないものだ。誰かがいて、初めてひとの苦しみを知る。
病気と、ひしがれた子供と、破れた絆にしがみつく大人たち。


私が煉獄を抜けた時、そこにランボオはいなかった。
代わりにベアトリーチェの声が聴こえた。音もなく、胸のうちに。
「透明な私の影を導きに、天上界へ上がってきなさい」
こうして天国の入り口に立ったが、白い光のほか、なにもわからなかった。

ベアトリーチェは姿を閉ざした。しかし、その手の閃きは「前へ進め」と示していた。
代わる代わるにさまざまな影が兆した。みな笑顔を浮かべ、思いの内を語っては消えた。
「これほど多くの楽しさに、いったいなんの秘密があるのだろうか?」
いつしか私はただ独りで立ち尽くしていた。

そこへ、屈託した若者が通りかかる。
腰が曲がり、腕をだらりと下げ、にこやかな表情でこちらを振り向いた。
「私には未来があります。長い年月が私になにをしてくれるでしょう?」
そして、ひょこひょことスキップをして立ち去った。

「おまえにも心当たりがありませんか」とベアトリーチェが語りかけた。
私は切なる思いを抱えてはるか天界の光を見た。
白い明るさに満たされた高い気圏へ、星空のはるか上へ
私はベアトリーチェの力によって引き上げられた。


天の高みに聖マリアが座っていた。ベアトリーチェはそのかたわらに立っている。
「あなたの魂は純粋な気圏に届こうとしています」とベアトリーチェは告げた。
「それを純粋な火と化して、天の光に変えなさい」
言われた通りにすると、見上げたところにひとりの後ろ姿が現れた。

そうだ、ダンテが天上界を歩んでいた。トスカーナを放浪する背中が幻となって見えた。
「おまえもついてこい」と振り返った目が言った。
「地獄を巡り、煉獄を渡り、天国へ昇って、いま私は地上を彷徨うのだ」
私もまた、詩聖ダンテの後を追い、この地上の旅人とならんことを。