先日、本屋でふと手にとったのが、『夜と霧』で有名なヴィクトール・E・フランクルの『死と愛』だった。フランクルはアウシュヴィッツほかの強制収容所を経験し、生還。その後、人間を肯定し、人生の意味にせまる著作をものした精神科医だ。
日本語版は『死と愛 新版 ロゴセラピー入門』(2019)というタイトルだが、ドイツ語の原題は『医師による魂の癒やし』という。
フランクルは独特な思想をもった精神科医として、単なる「心理療法」にとどまらず、主に「精神」(「魂」に近い)という言葉を使い、患者が人生の意味を獲得することで、病を治す構想をもった。
はじめは重い話が続くと思われるかもしれないが、少しつきあってほしい。
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今回、注目したいのは、フランクルによる「強迫神経症」と「うつ病」の位置づけである。
フランクルは、「強迫神経症」とは「100% 完全な世界観をもとうとすること」と考える。そして、ゲーテの言葉を引きながら、「世界を眺める時には完璧を感じられるかもしれないが、行動する時にはひとはいつも不完全なんだよ」と諭す。
とはいえ、フランクルはそもそも「強迫神経症」があまり悪いものだとは考えていない。なぜなら、ひとはただ漫然と生きているとかえって病んでしまうものであり、人生の目的(自分の世界観)を見つけて努力する方がずっとよい、という立場をとるからだ。
しかし、その際、理想が高すぎたり、やり方に完璧を求めてしまうと、緊張が高まって自分を痛めつけてしまうから、その点は緩和した方がよい、と診断する。
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フランクルは「うつ病」の捉え方も独特である。ある患者はこのように言ったそうだ。
「私は全世界を担わなければいけないのです。私には良心だけがあります。世俗的な関心は失せてしまって、この世界を蘇らせるために、私が全世界を創造しなければならないのです。」
このひとは「善意のかたまり」なのである。フランクルは考える。「良心をもとうとすることは必要だ。良心にしたがって人生の目的へ向かえば、そのひとは人生の意味を見つけられる。けれども、うつ病のひとには良心の充足が訪れないだろう」。
なぜなら、もちろん誰にも「全世界を創造」することはできないからだ。こうしてあまりの良心の負荷によって、このひとは身動きが取れなくなってしまう。これが「うつ病」の状態だと、フランクルは言う。
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これらの「強迫神経症」と「うつ病」は通い合うように見える。ここから連想されたのは哲学者 L.W.ヴィトゲンシュタインの人生である。
彼が、29歳で書き上げた主著『論理哲学論考』は、論理的に完璧な世界観をもっており、史上、稀に見るほどの厳しい倫理をみずからに課す本だった。
これは、フランクルのいう「強迫神経症」と「うつ病」が、哲学的・文学的に高められ、浄化されて結晶したような本だと、『死と愛』を読んで思った。
ヴィトゲンシュタインはこれら「2つの病」を緩和するのではなく、その先へ突き抜ける道を選んだ。当時の日記に「幸福に生きよ!」という言葉が記されていることは、多くのひとが指摘している。ヴィトゲンシュタインは「幸福になろう」というより「幸福にならねばならない」と考える。
とはいえ幸福は、「100%完璧な世界の創造」さえ目指さなければ、そんなに怖い顔をしなくても、達成されたかもしれない。だが、ヴィトゲンシュタインは『論理哲学論考』を完成させ、その後も苦悩し、ときに迷走しながら生き抜いた。
最期に、死の床で「私の人生は幸福だったと、私の友人たちに伝えてください」という言葉を遺して息を引き取る。
もし、フランクルがヴィトゲンシュタインを診断したら、このひとは「強迫神経症」で「うつ病」だと言うのだろうか? それとも、それらの病を克服して人生の意味を獲得したひとだ、と言うだろうか? 私にはわからない。
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私は、20代で『論理哲学論考』を翻訳し、解説書を書き、それとはべつに、独自の「遊戯の哲学」を追求して『遊戯哲学博物誌』を完成させた(時には、もう30歳を少し超えていた)。なんだか、ヴィトゲンシュタインには「身につまされる」ものがある。
20代の頃、メンターのような親切な方が「ヴィトゲンシュタインは好きだけれど、でも身近にいたら友達にはなりたくないよね!」と笑った時のことを今でも忘れられない。
そんなつもりはなかったろうが、あたかも「おまえも、友達にはなりたくない、とみんなが思うような人間だ」と言われたような気がして深く傷ついたものだ。
それは勘違いだった。青春の、若き傲慢な人間の、思い込みだった。
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冒頭のフランクルを読んで、救われる気がした。「100%の完璧を求める」必要はなく、「世界を創造する」必要もなかった。「やることは不完全で、部分的でよいのだ。それで使命は果たせるから、行動してごらん」とフランクルは促す。
先日も、尊敬する実業家に「てきとうだよ、てきとう!! てきとうにやるんだよ!」と激励された。
また、心優しいビジネスマンからは「君はシリアスになりすぎてしまうと言うが、遊戯の哲学を書いただろう?「遊び」はどこに行った?」(英語での会話)と言われる。
青い鳥の幸福。
さて、ヴィトゲンシュタインの呪縛を解き、遊戯を交えて、エシカルSTORYの事業を進めよう。いまよりもっと面白く、楽しく、誰かの役に立つように……。