ふらふらすること。
wandering
俳句はふらふらしている。俳句は芸術なのだろうか?
マティスの絵が芸術であり、モネが芸術であるような意味で。
GRⅢというカメラだが、これで撮る写真は俳句ににている。
名前も知らない釣り人。
釣れた魚はすべて逃して帰る。
passing by
ただ通り過ぎる文章を書くのはかえってむつかしい
通り過ぎることのうちにも、愛がなければならない。その時、なにかを表現する以上は。
生は表現する。
ふらふらすることのなかで、出会うものは、驚きに満ちている。
それが特別なものだから? いや、ごくふつうの風景でしかない。
ふらふらすることはよい目では見られない。
だが、そこに生きることの実感が湧く。
生命と存在がわかる。自分の存在が満ちている。
そこにはなにもない。ただ、自然がある。自然にあるものがある。
あらゆるものが生命をもって交流している。
なにもかもが遊び戯れて、全肯定されている。
そのことに気がつく。
冬の午後二時の光は深く傾き、なにもかもを黄昏に染めていた。冬至が近い。