エシカルSTORY の仕事は、ほかの仕事よりも「エシカル」だというわけではない。
「いいこと」をすることは「わるいこと」と結局どこかで裏表だと感じる。
記事は思いを込めて書いているし、言葉には気を配っているが、
読む人によってその記事は「空虚」な絵空事かもしれず、記事末の「〇〇できるとよいですね」が、したくてもそれをできない人を苦しめるかもしれず、「こんなことがエシカルではないでしょうか」という提案が、誰かのつらい経験に触れているかもしれない。
良い面があれば、悪い面も生まれうる。
どんな仕事もそうだと思う。
***
常に「よいひと」であろうとはしているけれど、実際によいひとになれたとは思っていない。
倫理的に振る舞おうとするほど、時に深く傷つき、苦しむ。
それは僕の考えすぎなのではなく、その傷つきや苦しみのなかから、希望を紡ぎ出すことが、言葉を話すひとの仕事だと思う。
優しさはいくらあっても、足りるということはない。
ビストロの夜 |
Paris |
dreaming river |
それは喜ばしい仕事でもある。
エルベ川 |
光を浴びる |
どの記事のよさも、わるさも読む人とともにある。
読者の方々としか、エシカルSTORYは築けない。
そのことになんともいえない感謝と、頼もしさと励みを覚える。