2021年3月21日日曜日

連作詩 ポイボス・ポイエーシス その4

第四歌



ムーサよ、歌え
こぶしの花の白い歌
春の応(いら)えに咲き渡る
つぼみと花と色褪せた
その花びらを風に乗せ

今、生命のにぎわいを聴こう
生命よ あなたはどこからやってくるのか?


この地球に生命が生まれたのは
フォッサマグナの熱いスープに
原初の生命が宿ったからだという
はるかな海の底か
火山の熱に温泉が湧くところ

とはいえ、ムーサよ
"生命はかたちばかりではない"
とあなたは告げた。

"生命は愛であり
そのことはまだわからないとしても
今も生まれ続けている、
終わりのない営み
それが生命なのだ"
と。


詩の女神の導きを得て
私は歌おう 生命の由来を
その生命たる所以(ゆえん)を

絵を見るとき
ひとは絵になる
絵を描くとき
画家は絵になる

ふたりが互いを見交わすとき
絵は生命を生み出す
ひとは絵に生命をみる
そしてまた、ひともいのちをみずからにもつ

ミジンコばかりが生命ではない
熊だけがいのちではない
果実のみが種を残すのではなく

生命はこの水面(みなも)の地球、
その上でたえまなく生まれ出でている
波のように波紋のように

生命は歌い交わしている
ひとりでは生命は生まれない
お互いのうちに光をみる
そこに生命がある


春の女神の導きよ 花々をして
われに歌わしめよ
草木をして
樹の喜びを伝えてよ

生命は表現するもの
絵もことばも、音もまた
写真も映画も表情も
誰かれのまなざしも

そして生きていない者たちも
ものみな表現をしている、
たとえば石も鉱物も
岩も私たちがそれを認める時には

そこに光をみるならば
そこにいのちを
ポイボスの欠片を見つけるのなら

そこには生命がある
それが生命をあらしめる
見る者のまなざしが
聴く者の心が
名前のない魂が


まだまだ、歌えムーサイの徒よ
生命の同胞(はらから)
私の友達よ
集え そして合唱しよう

てんでばらばらな生き物たちが
大地を覆う苔となり
藻となり、緑となり
風に種子を託す物語を
告げよ

モノクロームの写真に魂が宿るとき
生命もまたカラフルをなすのだと

音のない風景に
見えない絵の奥のひかりに
聞こえないものがたりの
その魂の残響に

こだまする 無限の
はてしなくさかのぼる その歴史の
太古に生まれた海の目覚めの
万古の神々の時代から

たえないひかりの交響曲を
中世の音楽家 本物の耳を持つボエティウスが
語り伝えたように
ムジカ・ムンダーナが
世界の交響が
ムジカ・フマーナが
人間の音楽が
ムジカ・インストゥルメンタリスと同じように
すなわち声や楽器の語りのように
この世界に鳴り渡っているということを

今、はっきりと我に告げよ
私はこの詩 ポイボス・ポイエーシスによって
その音楽に触れる
古来、生命は音楽であった、と

太陽神の頌歌(ほめうた)が
光のものづくりであるこの歌が

こうして生命を呼び覚まし
生命の誕生を告げる喜びの
歌であると
私に教えてくれた

日の神はまたポイボスの
海越えて日本に来たる

桜の花を吹き上げて
花の蕾(つぼみ)をつぼませて
はらのまにまに払わせて
舞い踊る吉野の佐保姫

戯れる日の光 御子よ

私もまた
すべての生命に祝福と
讃歌を捧げよう

尽きぬ祝福と
とめどない讃歌を
ともに歌おう