2021年3月3日水曜日

依存とか執着とか、遊戯とか

お雛様 1個30円くらいのチョコ

☆ エシカルSTORYの更新が順調なので、幸せな2週間ほど!


今日は依存とか、執着の話。

最近、You tubeやTwitterを見て、J-POPも色々と聴いて思うこと。


数年前から「依存」がキーワードになり、人間関係で「依存はダメ!」(麻薬みたい)と言われ、「共依存」もやり玉に上げられました。

そのうち、「共感」も「強すぎるとよくない」ということで、「エンパシーはよいけどシンパシーはまずい」(どうちがうの?)みたいな、微妙な線引きがされるようになりました。

SNSやLINEで瞬時にやりとりできるから、それでカッとなったり、動揺したり、そういうのはもうたくさん!ということなのかもしれませんね。

それは節度の問題だけど、『甘えの構造』土井健郎という名著を読むと、「日本人はむかしから甘えてた。それが良くも悪くも、人間関係のベースを作っていた」とあります。

この「甘え」が、昨今(観念的に)イヤがられているように見えます。

でも、ヨーロッパのような哲学の風土もないし、アメリカのように意見を主張し合う風土もない日本が、長年の「甘え」文化をいきなり切り捨てたら、人間関係は根無し草になってしまいそうです。


僕は「依存」は、回復や成長の過程で、重要な役割を持ちうる、と思います。

ちょうど、反抗期といっしょで、親に反発するのは、裏を返せば親への依存であって、それを抜けることで大人になれる。

大切なのは、依存しないことではなく、依存を抜けたあと、謝ったり、感謝したり、恩を胸にしまって忘れないことです。

そして、次は自分が誰かに依存されても、それを耐えて、そのひとの成長や回復を見守ってあげられる存在になる、ひとつ上の世代になること。



「執着」も同じだと思います。ケーキやスイーツ、カフェインでも、どうしても摂りたくなる時があります。あるひとに執着してしまうケースも。

半年続くか、数年続くかわかりませんが、それを脱した時、相手や関係性、周囲で見守ってくれていたひとに感謝等、できればよいのじゃないかと思います。


「依存」も「執着」も、自覚できていることが第一のポイントですよね。

それさえ、できていれば、よい気がします。
あとは度を越さないように気をつけて……。


* 古典的な「迷惑」の話と似ています。「迷惑をかける」のがよいわけではないけれど、だからといって「誰にも迷惑をかけずに、独立して生きる」というのは絵空事です。持ちつ持たれつ…。)


むしろ、いろいろなひとを見ていて思うのは、「自分を責める」(攻撃性が内向してしまう)ことの害です。

「依存してはいけない」「執着する自分はダメな人間だ」
「ああ、また失敗した」「もうこんなことくり返しては…」等々。

(なんとなく、今の時代は20代くらいまで、多くのひとがこういう経験に苦しんでいそうです。)

それが激しくなると、鬱屈し、抑うつ的になり、自分もつらいうえ、見ているひともつらいです。それを隠して、ふだん接するひとには、笑顔でさわやかに、というのも無理があります。

兼ね合いではあるけれど、それなら、家族や誰かには「ごめん!」と心に謝って、てきとうに依存なり、執着なりしながら、気を楽にする方がよさそうです。

実際には、そんなにうまく葛藤を逃れられないですが、たまには本や詩でも読んで。

非日常の世界に遊んで、また帰ってきて。

結局、依存しようが、執着しようが、僕らはみな「遊戯」しているだけなのだから。

公園

じぶんにも他者にも、おおらかに、寛容に。。。◎