お雛様 1個30円くらいのチョコ |
☆ エシカルSTORYの更新が順調なので、幸せな2週間ほど!
今日は依存とか、執着の話。
最近、You tubeやTwitterを見て、J-POPも色々と聴いて思うこと。
数年前から「依存」がキーワードになり、人間関係で「依存はダメ!」(麻薬みたい)と言われ、「共依存」もやり玉に上げられました。
そのうち、「共感」も「強すぎるとよくない」ということで、「エンパシーはよいけどシンパシーはまずい」(どうちがうの?)みたいな、微妙な線引きがされるようになりました。
SNSやLINEで瞬時にやりとりできるから、それでカッとなったり、動揺したり、そういうのはもうたくさん!ということなのかもしれませんね。
それは節度の問題だけど、『甘えの構造』土井健郎という名著を読むと、「日本人はむかしから甘えてた。それが良くも悪くも、人間関係のベースを作っていた」とあります。
この「甘え」が、昨今(観念的に)イヤがられているように見えます。
でも、ヨーロッパのような哲学の風土もないし、アメリカのように意見を主張し合う風土もない日本が、長年の「甘え」文化をいきなり切り捨てたら、人間関係は根無し草になってしまいそうです。
僕は「依存」は、回復や成長の過程で、重要な役割を持ちうる、と思います。
ちょうど、反抗期といっしょで、親に反発するのは、裏を返せば親への依存であって、それを抜けることで大人になれる。
大切なのは、依存しないことではなく、依存を抜けたあと、謝ったり、感謝したり、恩を胸にしまって忘れないことです。
そして、次は自分が誰かに依存されても、それを耐えて、そのひとの成長や回復を見守ってあげられる存在になる、ひとつ上の世代になること。
「執着」も同じだと思います。ケーキやスイーツ、カフェインでも、どうしても摂りたくなる時があります。あるひとに執着してしまうケースも。
半年続くか、数年続くかわかりませんが、それを脱した時、相手や関係性、周囲で見守ってくれていたひとに感謝等、できればよいのじゃないかと思います。
「依存」も「執着」も、自覚できていることが第一のポイントですよね。
それさえ、できていれば、よい気がします。
あとは度を越さないように気をつけて……。
* 古典的な「迷惑」の話と似ています。「迷惑をかける」のがよいわけではないけれど、だからといって「誰にも迷惑をかけずに、独立して生きる」というのは絵空事です。持ちつ持たれつ…。)
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