2021年3月22日月曜日

哲学小史 - ソフィストとソクラテス、そして現代の沈黙

知と戦の女神 パラス・アテナ(ミネルヴァ)の彫像

 今回は、哲学小史として、古代ギリシアのエピソードを紹介します。
それが現代につながっている、というお話です。


哲学史では、おおよそ「ソクラテスはえらい哲学者だった。それに対して、当時のソフィスト(知者)というのは、なんかずるいやつらだった。ソクラテスは、賢者でありすぎたために、ソフィストから嫌われ、裁判にかけられ、処刑された」──こんな理解があると思います。

おおむねそれでよいと思うのですが──もちろん、専門的にいえば「無知の知」は「賢さ」と呼べるのか、等々、疑問はありますが──もう少し、実社会に即して見てみましょう。

古代ギリシアの広場跡(たぶん)


古代ギリシアは、民主国家でした。

そして、都市国家でもありました。

今でいえば、「日本」政府よりも強い自治権のある、「〇〇市」に住む感覚でしょうか。

広場で、みんなで多数決をやって、都市を治めていました。


そこで大切なのは、教育です。出世のためには教育が必要であり、賢い子供は、将来、市議会議員になるイメージです。

そこで、雄弁術、弁論術ですね、などを学びます。教養もないとなりません。今で言う、「受験勉強」をするイメージです。


さて、ソフィストはこれを教える教師でした。

形としては、今の「家庭教師」に近いかもしれませんが、小中学校の教員塾の先生のイメージも、全部兼ねていると言って良いでしょう。

もっというと、YouTuberの「〇〇大学」とか、教育・教養コンテンツの発信者も、古代ギリシアでいえば「ソフィスト」だと思います。

ですから、ソフィストは、社会的に役立つことをする、れっきとした職業だったと思います。


つまり、現代で「哲学者」というと、「大学の教員かな?」とか、「趣味でむずかしいこと考えてるのかな?」と思われるかもしれませんが、

ソフィストというのは、むしろ、「小中学校の先生」というくらい、立派な「教師職」であったと、僕は思います(史実考証はちょっとてきとう。笑)。


ソフィストは、お金と地位と人気が得られる可能性の十分にある、職業だったのでしょう。親御さんは人気のソフィストに、息子を預けて、出世させたかったでしょう。


そこに、ソクラテスが現れました。

ソフィストは、この通り、「知」を司る教師職であり、「頭のよい」ひとたちでした。ソフィストの知が「すぐれたもの」と認められることで、民主主義も回っていたのです。


ソクラテスはこれに疑問符をつきつけました。

「で、きみらはそんなに頭がよいわけ?」

「ぼくと対話してみる?」

ここからは、伝説的になりますが、誰もソクラテスにはかなわなかった。

議論というよりも、不可思議な問答をするうちに、ソフィストは頭がこんがらがってしまったのです。


すると、将来が有望である未成年たちも、ソクラテスになびくようになり、ソフィストをうさんくさく見るようにもなります。

これでは社会が混乱します。そこで、裁判が起こされ、──今で言う「住民投票」の結果ソクラテスの刑死が決まりました。

実質は、「追放」でもよかったようですが、ソクラテスは群衆を挑発した挙げ句、「逃げも隠れもしない」と言って、毒ニンジンの杯をあおって死んだことになっています。

天を差すソクラテス、毒の杯を渡される

だから、けっして「ソフィストはソクラテスにこてんぱんにやられて、悔しかったから復讐した」とか、そういうセコい話でもないのです。

ソフィストが社会的な役割を果たしていたら、ソクラテスは社会の秩序を乱すようなことをして、それを見かねた周りのひとたちが、秩序を取り戻すために、ソクラテスを排除しようとした、という流れと考えられます。

***

現代でいうと、どうでしょう?

私たちは、おのずと言論を封じられていないでしょうか?

ネット世論なり、社会のコードなり──若い女性は可愛く振る舞い、男性は30代にもなれば、わかりやすい定職について快活なビジネスマンを演じるべきである、その他──のうちで。

たとえば、苦悩の表現煽りがなければ見向きもされず、世のインテリジェント──現代のソフィストたち──に逆らった物言いをすれば、「あいつは、感情的で、ポエムで、スルーしたほうが良い」とみなされないでしょうか?

それがわかっているから、無言の圧力のうちに、ことばを、封殺されていないでしょうか。

では、その世間のがんじがらめに逆らったら、どうなるのでしょうか?

本当の知恵をもって、勇気をもって、「あなたがた、ソフィストが語らない、重要なことがある」といえば、どうなるでしょうか?

歴史が教えているのは、少なくとも、世のインテリジェントや、世間の風潮に、公的な場でそむいたものは「ソクラテス」になる、ということです。

名もなきソクラテスとして、追放されるか、社会的な死を宣告されるでしょう。

それを回避しながら、真実を告げるかさもなければ沈黙するか、です。


折しも、"Silence is Violence"(沈黙は暴力だ)また「沈黙は共犯」のスローガンが、アメリカを中心に叫ばれるこの世の中で、どのように私たちは、本当のことばを話すことができるのか、考えてもよさそうです。

それこそが、エシカルな問いの核心のひとつでしょう。



ちなみに、僕は、アイロニカル(皮肉)なソクラテス伝説よりも、北米先住民のワタリガラスの神話の方に惹かれます。

どちらも、トリックスター(かきまぜ役)ですね。