2012年3月31日土曜日

ホワイト・シューベルト

シューベルトは白い。真っ白い。それは、曇り空の下の雪原のようでもあり、そこには寒さと死も横たわっている。 シューベルトは、1797年にウィーン郊外に生まれた。わずか31歳で人生を閉じる。1828年のこと。ベートーヴェンの生没年が、1770年ー1827年だから、ベートーヴェンの晩年に、ちょうどシューベルトの短い人生がかぶっている。シューベルトは、ベートーヴェンを尊敬し、どこかで彼の精神を引き継いでいた。

シューベルトは、歌曲で有名だけれど、「魔王」「美しき水車小屋の娘」「冬の旅」……これらの有名なタイトルは、みな暗い歌詞を持っている。魔王では、父親を呼ぶ子供の命が尽きる。水車小屋の娘では、青年が、恋に破れて小川に語りかけ、おそらく死ぬ。(詩の解釈によるけれども。)そして、冬の旅には、主人公の死こそないが、かえって、それゆえに一切の希望が絶たれた感だけが残る。 もちろん、シューベルトの「愛らしい」歌曲には、ゲーテの詩に基づいた作品、力強い、またはやさしい、自然美を歌った、明るい曲調の歌曲もある。なにより、「未完成」がとりわけ有名な、あの交響曲たちは、どれも晴れやかでわかりやすい音色がする。けれども、僕には、シューベルトは、生涯の制作を通じて、真っ白な死と、向かい合っていたように思えてならない。

シューベルトをめぐるエピソードを二つ。

一つは、友人との会話。「僕が死んだら、家の前に立て札が立つよ」と、シューベルトは言う。友人は笑った。「それは、有名な音楽家の話だろう?」シューベルトの答え。「"貸し家あり"ってさ」。

もう一つは、ベートーヴェンが死んだとき。残念ながら、いま手元に資料がないので、正確な引用ではないが、シューベルトは、悲愴な調子で「ああ、ベートーヴェンが死んだ。あとは、僕が書くしかない」といった台詞を吐いたそうだ。
(二つのエピソードの出典は、『シューベルト』,喜多尾道冬,1997,朝日選書)

「貸し家あり」の方は、ユーモラスである。面白おかしい。しかし、そんな立て札しか残らない、という笑いには、うら悲しいアイロニーの影が見える。他方で、ここには、シューベルトの自負心も窺えると思う。彼は、おそらく、本当には、「いや、自分の死後、なんらかの記念碑が残されるはずだ」という妙な確信を抱いていたのではないか。そうでなければ、たとえ冗談であるにせよ、「僕が死んだら、家の前に立て札が立つよ」というような、誇大妄想的な出だしで、冗談を言わなかっただろう。
その自負心を裏付けると思えるのが、ベートーヴェンの死に際して、自分がその後継だと、吐露した言葉だ。それは、彼にとって自信や誇りというより、使命のようなものだったろう。

シューベルトは、おそらく、自分がベートーヴェンのように「偉大な作曲家」になれるとは、思っていなかった。「偉大」というのは、音楽の水準で、どちらが偉い作品か、という話ではなく、音楽を作る根源にある、精神性の話だ。シューベルトは、不撓不屈のベートーヴェンにはなれなかった。けれども、天賦の才能に基づいて書くことはできた。今風の言葉で言えば「自己実現」や「自己表現」のために音楽を作るのではなく、「音楽そのもののために音楽を作る」という精神、いわば自己を捨てて、ちっぽけな感情を度外視して、芸術の持ちうる普遍性のために、作曲するということ。そういう偉大さを、ベートーヴェンと響き合うようにして、シューベルトは持ち合わせていた。そんな作曲ができるのは、あの「自己」や「過度なヒューマニズム」が濃厚に渦巻いていたロマン主義の時代にあって、ごくわずかな天才だけであった。シューベルトは、自分がその一人であると、どこかで自覚していたように思う。(シューマンは、シューベルトと似た者同士のように語られがちだけれど、僕には、その精神性において、対極に位置するようにすら、思える。)

そうして、晩年のシューベルトは、「冬の旅」という歌曲集と、「後期作品」と呼ばれる、3曲のピアノ・ソナタを遺した。冬の旅については、さきにも触れたけれども、歌詞ばかりでなく、曲調にも救いがない。そして、3曲のピアノ・ソナタについては、ヴァレリー・アファナシエフというピアニスト兼詩人評論家のCDが、参考になる。それは、ものすごく長い録音(通常の演奏の1.5倍ほど、時間がかかっている。)で、解説には、それら作品の「天国的な長さ」(もともとは、シューマンがシューベルトを批評した言葉)について、むしろ地獄のようであると、述べている。なるほど、アファナシエフの演奏からは、延々と引き延ばされる旋律の奥底で、真っ白な悲しみが歌っているのが聞こえる。行き場もなく、ベートーヴェンのように激情となってほとばしることもなく、ただただ、真っ白い雲の中を、果てしない階段を上り続けて、そしていつまでも天国に辿り着かずに、いつしか終曲する、というような。

「貸し家あり」のユーモアは、僕には、「ブラック・ユーモア」という既存の言葉になぞらえて言えば、「ホワイト・ユーモア」と名付けられるように思える。そして、彼の最晩年の作品群、「冬の旅」と3曲のピアノ・ソナタを聴いていると、僕は、作曲するシューベルトは「心」をもたなかった、と言いたくなる。ただただ無意味にうらぶれてゆく生のうちで歌い続ける、美しい旋律は、なにかを表現した美しさではなく、感情を抜きにして、「心」なしに、純粋に音楽的にのみ、ただ音符を並べて、紡がれた旋律であるように思えてならない。そこには、生の温度をなくした、雪のように真っ白な心が、見透かされる。そんな風に、シューベルトについて考える。