2015.2月
二月半ば、突然の訃報に心が痛みました。変わらずに見守ってくださった俳句の師、山縣先生を悼む。
白樺の変わらぬ姿春に雪
「札幌便り」を掲載していただいている「ゆく春」誌のみなさまと悲しみを分かち合えたら、と願います。
短い夏を惜しむように、短い真冬(1月初め〜1月終わり頃)を惜しむ。北海道にして「冬を惜しむ」のもめずらしいが、ほんとうに真っ白な雪景色が広がるのは1月の短い期間に思える。1月の初めにはまっさらな雪が降り敷き、野も畑も雑木林も美しく覆う。いずれは、季節はずれの雨も来て雪原もでこぼこと溶け始め、土や排ガスに汚れ、枝や葉も落ちたまま埋もれない。立春からさきはこちらでも日は伸び、「さっぽろ雪まつり」の頃は真冬の気配も薄らぐ。
沢水の凍りつきかねつつ流る
轟の太虚を抜けて雪小止み (とどろきの たいきょをぬけて ゆきこやみ)
1月の句。太虚は大空。ごう、と木々の上を吹き抜ける風のあと、ふっと吹雪が止む。
もったりと落ちたさそうな屋根の雪
雪降る静けさの街にクロワッサン
町並み、家にて詠む立春ののちの句。
おまえさん老いぼれたなあ冬将軍
札幌の雑木林でこう感じた。もう春の気配がわかる。
突き抜けて水色になる春の空
枝の上どこもかしこも雪解けて
落葉したカラマツ、やちだも、オニグルミ、エゾヤマザクラ、アカナラ、すずかけの木。どの枝も雪解け。ところで、いくつかの漢詩を読んだ。高適(こうせき)の辺塞詩に「塞上にて吹笛(すいてき)を聞く」という題がある。「借問(しゃもん)す。梅花は何れ(いずれ)の処(ところ)よりか落つる」。これは雪片を梅の花に見立てた一節。
梅の花天より降る屑屑と (うめのはな あめよりくだる せつせつと)
「屑屑」はこまかく降るさま。漢詩風に詠む。
春北風(はるきた)の大木すぎて人の家
そんな北風に乗って、いっとき東京に帰る。近所の梅林を通りかかる。
梅越しによりくっきりと空の青
紅梅の向こうに眺めると、空もいっそう青く。
一輪は先に開けり山桜
ごつごつした木肌の山桜。ソメイヨシノのようにみな同じでなく、細い幹、枝ぶりにもゆかしさがある。また、札幌へ戻ってきた。春先の暖かさせわしく、雪解けは進み、ずぶずぶの小路にときおり雨かみぞれの降る。
ずぶ濡れで気高く歩け春時雨