2014年7月31日木曜日

雨と木曜日(18)

2014.7.31.

 紫陽花は東京では6月に咲いて、雨の中でしっとりと輝くようだった。いま、からっと晴れた札幌ではゆっくりと色あせる紫陽花がドライフラワーを作るように街角で心なしか小さくなる。そのうち、ぽろりと落ちてしまう花(萼)もある。このまま、秋まで(札幌の秋はお盆が過ぎるとやってくる、涼しさだ)もつものもあるだろう。いつも思い出すのは、「紫陽花に秋冷いたる信濃かな」(杉田久女)の名句であり、信州に思いを馳せる。

***

 ダブルブレンド、という言葉を発明した。かんたんに言うと二重にブレンドすることで、かんたんに言えるなら「二重ブレンド」と言えばいいじゃないか、と思うが、そうかもしれない。いま、家にはふわっとした香り豊かな浅いブレンドと、コクとボディの強い深煎りブレンドがあるのだが、どちらも少し飽きたので、これらのブレンドをさらにブレンドしてみたら、香りもほどよくしっかりとコクも出たブレンドが出来上がって、錬金術師の気分だ。
 
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 大坊珈琲店。表参道の交差点そばに立つビルの二階にある、隠れ家のようでいて喫茶筋では有名な珈琲店。店主がロースターを回し、ネルドリップで一流の濃厚な珈琲を淹れてくれる。長い年月のうちに文化人が集い、静かにおしゃべりをする場所となった。僕も一度だけ足を踏み入れたことがあり、それは「生意気」だとご年配の方から笑われた。その方が見せてくださった本。活版印刷、布張り、箔押しだそう。店主の語りと常連客の手紙から成る。



【書誌情報】『大坊珈琲店』、大坊勝次、誠文堂新光社、2014
 

2014年7月30日水曜日

【俳文】札幌便り(21)

2014.7.30.

札幌には涼しげな風が吹き、7月の終わりの東京の暑さを忘れかけた頃に知らせが入る。東京の句友、恩人の村上博幸さんが句集『夏木立』を電子出版されたという。読めば素晴らしく、なにより句柄の奥底に、人柄の表出を超えた透徹のまなざしを見た。顧みるにどうしようもない句を詠むものだ、と自分の「札幌便り」を笑いながら今日も書く。

いただきます筍抜きの筍飯(たけのこめし)

独り居の献立はいつも似たり寄ったり。夏は、友人の来札も楽しい。

珈琲を出せり上布の友人に

北海道、夏の風物詩と言えばこれも。

メロン安しメロンうれしく手に乗せて

帰り道、ふっと驚くのは花の背の伸びたこと。

立葵顔見合わせる高さかな

目が合うというのか、居ずまいを正したくなる。

夏服のボタンをふたつ外しけり

けれども、こちらはそんな調子である。

ぱっと来て胸に飛び込むてんと虫

シャツのうえをもじもじ這う姿がいじらしい。ところで、フランス発祥の炭酸ジュースに「オランジーナ」があり、数年前から日本でも人気だ。僕もこの時期は好んで飲む。しかるに、歳時記をめくると「ソーダ水」「サイダー」「ラムネ」が並ぶ。

オランジーナを夏の季語にしちゃえ

札幌は短い夏を喜ぶのか、夏祭があちこちである。ふらりと顔を出すがすごい人出だ。

握る手もなくてぶらぶら夏祭

それで人恋しいというわけでもないが、夜はじっくりとなにごとかを考える。

夏の夜も物を思えば長きこと

出歩けば、なんとはなしに懐かしい匂いもする。

石鹸の匂いどこから夏の月

暦によれば、半夏生(はんげしょう)は物忌みの日という。飲食を慎むそうだが、僕の場合はカフェインを身体から抜くのに、たまに珈琲を飲まない日がある。

半夏生珈琲を断つ厳しさよ

次の句は、周りの住宅街でよく見かける光景なのだが、夏も冬も変わらぬ姿にふと胸を打たれる。

ヤクルトの手押し車も大暑かな

冒頭の話に戻り、村上さんの句集だが、「夏木立」のタイトルはここから来ている。

夏木立わけても椎に風のぼる 村上博幸

芭蕉ゆかりの地を訪ね、芭蕉の「椎」の句を念頭に置いている。句柄の高さに村上さんの背を仰ぎ見る心地ぞする。思えば、村上さんのお声掛けで初めて句会に参加し、小粋なうどんをご馳走してくださった、あれも夏。

武蔵野の冷麦うましごちそうさま

【書誌情報】『夏木立』、村上博幸、Amazon電子書籍(KDP=Kindle Direct Publishing)、2014

2014年7月27日日曜日

レジュメ「ぼくらの共同幻想論」

以下は、第9回本のカフェ「ムーミン+哲学」で紹介者の方が制作してくれたレジュメです。許可を得て転載します。ご参考に!

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・

2014/07/24 本のカフェ第9
【ぼくらの共同幻想論】
内村友紀
吉本隆明19242012)詩人、思想家、評論家。戦後最大の「知の巨人」。
3大著作≫
『言語にとって美とは何か』(1965)、『共同幻想論』(1968)、『心的現象論序説』(1971
≪共同幻想論のインスピレーション≫
マルクス「国家とは共同の幻想である」
文学論をつきつめていく過程で浮上した「ヒトの心」の問題

[本論]
≪ヒトの心の幻想領域≫
・自己幻想 個人の心の内部の幻想領域/芸術・文学・音楽など文化全般
・対幻想 (心の動きとしての)性的な11の関係/夫婦、兄弟姉妹=家族
・共同幻想 3人以上のヒトが集まってできる幻想領域/村落共同体~国家
「自己幻想と共同幻想は逆立する」

≪ひとりの心の動きがやがて国家をつくっていくまで≫
1.自己幻想と共同幻想が未分化な状態
「黙契」から「禁制」(幻想権力)へ/入眠幻覚と民族譚/共同幻想を対幻想のように扱う「巫女」/作為された幻想「死」

2.自己幻想から対幻想へ移り変わっていく心
対幻想の根源「夫婦」/仮構の性的関係=兄弟姉妹に分離された「呪術」と「権力」/農耕祭儀と対幻想

3.対幻想が共同幻想と同致していく過程
親子の対幻想がうんだ「時間制」と母系社会

4.共同幻想が「国家」へ移りゆく過程
「天つ罪」(農耕法規)と「国つ罪」(婚姻法規)
/「人間は自然の一部であるのに対他的な関係に入り込んでしか生存が保てない」/高度な共同幻想を持つ「国家」の成立と内包された矛盾

(おまけ)わたしと共同幻想論

2014年7月25日金曜日

【ご報告】本のカフェ第9回「ムーミン+哲学」

2014.7.24. 19:30 - 21:30
札幌、カフェ・エスキスにて。


 札幌の読書会になりつつある「本のカフェ」(第1回目は東京)。今回は、イレギュラーなかたちで開催しました。ふだんは、3時間枠で紹介者が3,4人なのですが、今回は2時間枠で、メインは対談形式で読む『共同幻想論』。ちなみに、冒頭に『ムーミン谷の彗星』の紹介もおまけでついたので、「ムーミン+哲学」と題しました。


【自己紹介】
 はじめは、いつも通り自己紹介。今日のお題は「好きなキャラクター」。みなさんに、「好きなキャラクター」ひとつとお名前を紹介いただきました。「スナフキン」「ももクロ」(アイドルですが)「おねがい!サミアどん」「お茶の水博士」、回答に悩んだ方もいらっしゃいました。

スナフキンに扮して

【ムーミン谷の彗星】
 自己紹介が終わると、『ムーミン谷の彗星』の紹介。これは僕が担当しました。今回のメインは哲学書ですが、それだけだと内容が重すぎるかと思い、軽いおしゃべりを15分。
『ムーミン谷の彗星』は、ムーミン・シリーズの第1作です。(全8作あります。)この作品だけ、テイストがちがって、ほかは平和なムーミン谷なのに、ここでは恐ろしい彗星がひしひしと迫り、地球が危機に見舞われます。原典の初版は1946年なので、戦争体験の不安が反映されているのでしょう。とはいえ、登場人物たちは愉快です。いじけるスニフ、飄々たるスナフキン、穏やかなムーミンママ……たちの隠れた名台詞も紹介。
 
調子に乗ってパイプをふかす真似をする

【共同幻想論】
 さて、メインコーナーへ。紹介者の方と僕が対談のかたちで、50分かけて吉本隆明『共同幻想論』の紹介をしました。吉本隆明は、「戦後思想における知の巨人」と評される詩人・評論家・思想家。2012年没。その主著は3つと言われますが、そのなかでももっとも有名なのが『共同幻想論』です。それでは、内容へ。


 まずは、主要な概念をおさえます。「自己幻想」「対幻想」「共同幻想」について。「自己幻想」は個人の心の領域を指し、芸術や感情の全般が含まれる。「対幻想」は、性の関係で「夫婦」を基盤として、家族(兄弟、姉妹、父と子など)が含まれる。(吉本は、「家族」も実体としてあるより、「幻想」として心的に構成されるものと考える。)「共同幻想」は、3人以上のひとが集まったときに生まれる幻想領域で、村落共同体から国家、宗教などが含まれる。

紹介者さんが用意してくれたレジュメ

ここから、本文の読み解きに入るのですが、紹介者さんは「ひとりの心の動きがやがて国家をつくっていくまで」という「軸」を設定します。そして、おもむろにバンカラな口調で、オリジナル・ストーリーを語り出しました。
むかーし昔、ある男が夜、山道を歩いていると、恐ろしい形相の山男にあった、と。這々の体で村へ帰り、皆に話すと口々に「俺も見た」「俺は女にかどわかされそうに…」。こわいねえ、今度からは山へ入る時は一緒に行こうか、などと言い合う男たちに長老が一言。「夜中に一人で山へ入るな。これはムラの掟じゃ」。
吉本隆明さんがあぐらをかいて、聞き手(インタビュアー)に向かって畳の上でくつろぎながら、語り出すかのような。「黙契」「禁制」(タブー)「遠野物語」「巫女」といった前半のキーワードをおさえて、ストーリーに繰り込んでゆきます。ときに笑いをとりながら、(紹介者さんはお笑い好き)「世界で一番好きなのは吉本さん。存命ならタモリさん」。ちなみに、(娘の)よしもとばななさんも大好きだとか。


≪村落共同体から国家へ≫
 話を戻すと、「暗黙のうちにこうしよう」という黙契が「ルール」として確定されて、「禁制」(タブー)を生み出す。ルールがあると、それに逆らう「罪」が発生する。罪は、はじめ「祓い清め」られるものであるが、のちに「法」のもとに「罰」がくだるものとなる。こんな風に、村落共同体は「高度な国家」へ進んでゆきます。

 紹介者さんにとって印象的だったのは、「ひとは、自然の一部であるのに対他的な関係に入り込んでしか生存を保てない」(自然から自立して、他人と人間の集団を作らねばならない)ということ。そこでは、自己幻想(わたしはこうしたい!)と共同幻想(あなたがたはこうしなさい!)が真正面からぶつかる。そのために、禁制(タブー)や法も生まれるわけです。

≪対幻想から共同幻想へ≫
 また、幻想の構造という観点からは、「対幻想」から「共同幻想」への流れも読めます。「対幻想」が夫婦から兄弟・姉妹へ拡大してゆく過程で、母系社会は他の血縁集団と混じりながらより大きな社会へと発展します。そこに、(古事記にみられる)「父と子」の相克といった世代の観念も生まれます。こうして、対幻想は共同幻想と重なりながら、それを作り替え、現実の「国家」のかたちを定めるのです。
 
 どことなくロックンロールな調子で、ポップさを交えながら、ぐいぐいと聴き手の心を掴む紹介者さん。僕はと言えば、哲学を専攻していた時期もあるため、主に「学者さんならこんな風に注釈をつけるかな?」といったコメントを挟んでゆきましたが、あれはリズムを乱したのか、ちゃんとかみ合ったのか。ジャズのセッションみたいな気分になりました。



【フリータイム】 
 フリータイムは、50分ほど。みなさん、『共同幻想論』について、旺盛につっこんだ質問をしてくださいました。「全共闘時代は、バイブル扱いで、でもみんな「序」しか読まなかった」「むずかし〜」「ムーミン・シリーズを読み始めたい」といった感想もあり。

同じ本。右は紹介者さんが付箋を貼りまくったもの

集合写真

【おわりに】
 『共同幻想論』は、哲学書のなかでもハードだったと思いますが、みなさん熱心に耳を傾けてくださり、感謝です。おもしろがってもらえたことが、僕としても喜びになりました。紹介者さん、吉本隆明への愛情と熱意が伝わってきました。きれいにまとまったレジュメと、勢いのある語り口の対照も面白く。写真を撮ってくださったNさんもありがとうございました。騒がしい会になったかもしれませんが、受け入れてくださったカフェ・エスキスのマスターご夫妻にも感謝の気持ちを伝えたいです。そして、天国の吉本隆明さん、ご冥福をお祈り申し上げます。
 
主宰・文責 木村洋平


追記:紹介者の方が制作してくれたレジュメをこちらで公開しています。『共同幻想論』のキーワード・キーフレーズが美しくまとめられた素晴らしいレジュメだと思います。(PDFダウンロードには対応していません。)また、紹介者さんが今回の「本のカフェ」をまとめてくれたブログ記事がこちらです。『共同幻想論』に関してこれ以上のまとめは望めないのでは、と思わせます。ぜひどうぞ!

2014年7月24日木曜日

雨と木曜日(17)

2014.7.24.


 オリーブオイルというのはまろやかな植物油ぐらいにしか思っていなかった。今回、質の高いものを味わう機会があり、気づいたのだが、ほろ苦い。「新鮮なものほど、ピリッと辛くほろ苦い。」と説明書にも書いてあります。「また、お醤油との相性がよく、和食にもよく合います。」サラダにしてみると、なるほど。「青リンゴやトマト、フレッシュハーブのような爽やかな香りと味わい」。たしかにわかります。もはやワインの世界。

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 缶コーヒーで、「ブルーマウンテン」をよく見かけるが、実は「産地」が缶コーヒーの名前になっているのは、ほかにブラジル、コロンビアなどごくわずか。喫茶店のストレートコーヒーで出される、たとえば、グァテマラ、マンデリン、エチオピアなどはほとんど缶コーヒーになっていません。キリマンジャロがまれにあるくらいでしょうか。缶コーヒーで「モカ・イリガチェフ」のような耳慣れない商品は参入障壁が高いのかも。

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 Jazzの名盤「クール・ストラッティン」。ソニー・クラークの代表作で、いかしたジャケットの写真が光る。そして、冒頭のゆるやかにはずむリズム。原盤のライナーノーツには、「ソニーのプレイにはまったく力んだところがない。"一生懸命スイングしてます"という風に聴こえる演奏家も多いけれど、彼のプレイはとても自然で、流れていくようだ。」と書かれているそう。「粋な気取り歩き」のタイトル通り、パリの街でもぶらつくような。


2014年7月18日金曜日

シエラレオネの主婦

9.11、世界貿易センターが崩れ落ちて間もない、英国BBCラジオ。
電話によるリスナー参加コーナーにて。

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シエラレオネ人の主婦「テロ世界戦を終結するために決定的な方法をミスター・ブッシュに提案したいと思います」
キャスター男「ほう。その方法とは?」
主婦「それは、オサマ・ビン・ラディン氏をアメリカ合衆国の副大統領に任命することです」
キャスター男「………」
キャスター女(あわてて切り出す)「どうしてその方法が良いと思うのですか?」
主婦「なぜなら、この方法は内戦を止めるためにシエラレオネで実施されたことで、大虐殺の首謀者で、何千人もの私たちの子供の手足を切った反政府ゲリラのボス、フォディ・サンコゥを副大統領に祭り上げたのは他でもないアメリカなのです。そのお陰で私の国では今、武装解除が始まろうとしているのです」
キャスター男「……。あっありがとうございました。次のかたに行きましょう……」

このシエラレオネ人主婦は、もちろんミスター・ブッシュへの誠実な提案をしたのではない。世界の弱者アフリカが、強者アメリカに放つ、非常に崇高な"ブラック"・ジョークであったのだ。

一部、省略したが、伊勢崎賢治『武装解除』よりの引用。p.82-83
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 西アフリカの小国シエラレオネでは十年間の内戦で、5万とも50万とも言われる死者が出た。三つ巴どころではなく、複数の勢力が入り乱れての紛争だったが、直接的な指導者はフォディ・サンコゥであり、彼の率いるグループは数千人の子供の手足の切断や、少年兵を使うなどの残虐行為を働いた。そこへアメリカが介入し、フォディ・サンコゥに異例の恩赦(国連も躊躇したが、是非の判断を保留した。)と特権(副大統領、ダイヤモンドの発掘権)を与えて、政府と武装勢力の和解をはかり、「和平」を実現した。
 
【書誌情報】伊勢崎賢治、『武装解除 紛争屋が見た世界』、講談社現代新書、2004

2014年7月17日木曜日

雨と木曜日(16)

 2014.7.17.


 今年に入ってから、万年筆はお気に入りの筆記具になっている。まだ使い始めのうちだから、新鮮な気持ちで、綺麗な色のインクが出るのを楽しんでいる。けれども、ひとつだけ気になるのは、耐水性がまるでないこと。水性ボールペンは、乾けばあとから濡れても大丈夫なものが多いけれど、万年筆のインクはかんたんに溶ける。なぜだろうと思っていた。ある日、手を滑らせてズボンに万年筆を直撃させて、理由がわかった。落ちてよかった。

***

 ブルーマウンテンは幻のコーヒーだ。よく缶コーヒーで「ブルーマウンテン」を名乗るものがあるけれど、公取委は動かないのだろうか。というのも、缶コーヒーどころではなくて、ふつうの喫茶店の「ブルーマウンテン」も含めて、日本での流通量は、生産量を大幅に上回っていると聞くからだ。もともと、ジャマイカの山脈の名前だけれど、少量しか豆は取れず、有り難がるのも日本くらいだという。幻のコーヒー、見かけると気持ちがそわそわする。

***

 ムーミンのブームはすごいけれど、グッズが増えてはっぴーなのでそれほど「流行り」に対する抵抗感はない。そんななか、原作の小説を読まないひとも、そもそも原作が小説だと知らないひともいるらしいね。今回、『ムーミン谷の彗星』をあらためて読み直した。トーンが暗いのは、戦争の直後に出版されているから。不安が表れているのだろう。しかし、スニフのおどおども、スナフキンの飄々たる勇敢さも素敵なファンタジー世界を作っている。


【書誌情報】『ムーミン谷の彗星』、ヤンソン、下村隆一訳、講談社、2011

よそ者と人文主義者ーー中世ヨーロッパとルネサンスの世界観(後編)

前編からの続き。

<ルネサンスの世界観>
 これに対して、後期中世である「ルネサンス」(おおよそ14〜16世紀)では、(『珈琲と吟遊詩人』の考察によれば)世界観ががらりと変わる。ルネサンスでは、派手な仕掛けで演劇や舞踏を催す「宮廷」が、「閉ざされた理想郷」となる。そこでは、ミクロコスモスとマクロコスモスのように、「内」と「外」の水平的な(地理的な)観点からは、なにも交通しない。しかし、垂直的な(時間的な)観点から言えば、古代ギリシャ・ローマという古の知を「現代」としての14〜16世紀に蘇らせている点で、「宮廷」は開かれている。ルネサンスは、「文芸復興」の訳語の通り、古代の知・芸術・思想を現代にもたらす点で、閉ざされた「同時代性」を「古(いにしえ)」に開くのである。
 
 こうしたルネサンスの世界観では、「共同体を開く者」は「人文主義者」である。彼らは、同時代の知に満足せず、その風潮にも同調せず、古代の探究をする。ルネサンスにおいて「現代」(14〜16世紀)と「古代」は、一旦、断絶している(古代の遺産があまり顧みられず、中世キリスト教文化が支配的であった長い時期があいだにある)けれども、歴史の探究により、書物や彫刻をきっかけにして、再び古の知を見出すことができる。この「学問」(20〜21世紀のアカデミズムとはちがって、もっとゆるやかな広がりをもつ、おおらかだが厳密ではない知の営み)を担う者が「人文主義者」(ユマニスト)であった。
 
<よそ者と人文主義者>
 こうして、ふたつの世界観と、それぞれにおいて「共同体を外に開く者」が見出される。ひとつは、中世ヨーロッパ的な「ミクロコスモス」と「マクロコスモス」の世界観であり、ここでは水平的に(地理的に)閉ざされた共同体を「よそ者」が外へ開く。もうひとつは、ルネサンス的な「現代」と「古代」の世界観であり、そこでは垂直的に(時間的に)閉ざされた共同体を「人文主義者」が古の知へと開く。
 
 これらふたつの役割は、21世紀の現代においても、誰かが担っているだろう。たとえば、学者や、在野の知識人は「人文主義者」たりえる。他方、「よそ者」の役割は、いろいろなひとびとに拡散して、半ば無自覚に担われているのかもしれない。数限りない共同体が、今日も「結んで開いて」いる。


あとがき
 折口信夫をよく知らないが、この文章で描いた「よそ者」とは、彼の概念で言う「まれびと」に似ているのかもしれない。

よそ者と人文主義者ーー中世ヨーロッパとルネサンスの世界観(前編)

 外から訪れる者と、古い輝かしい時代を汲み上げる者。よそ者と人文主義者。中世ヨーロッパとルネサンスの世界観は、対照的なふたつの「共同体の開き方」を教えてくれるーー。

 以前、『珈琲と吟遊詩人』という本で書いたことなのだが、中世ヨーロッパの世界観は地理的に閉ざされるものであり、ルネサンスは時代的に閉ざされるものであった、そして、それぞれに独特の開かれ方をもっていた、という話。少し言葉はあの本と異なるが、もう一回ふりかえり、ふたつを対照的に並べてみよう。そして、「開く」という視点から「よそ者」と「人文主義者」とはなにかを考えてみよう。

<中世ヨーロッパの世界観>
 中世ヨーロッパの世界観として、『珈琲と吟遊詩人』は阿部謹也(ドイツ史学)の「宇宙観」に関する話をそのまま踏襲した。それによると、中世ヨーロッパでは、「家」やとりわけ「村」が、たとえば垣根に囲われた人為の空間として閉ざされる。その外は、大自然の力や獣たち、はたまた精霊たちの世界である。得体の知れないもの、不可思議が支配している、人間には恐ろしい場所だ。こんな風に「内」と「外」を対比させて、阿部謹也はそれぞれを「ミクロコスモス」「マクロコスモス」と名づける。

 ところが、ミクロコスモスは必ずしも閉ざされた空間ではなく、それどころか、外との交通の経路を常にもっている。たとえば、家のなかには竈(かまど)があり、火が焚かれる。この「火」は外なる大自然、マクロコスモスのものである。また、村のなかにいても「病気や死」といった大自然の出来事は侵入してくる。このように、ミクロコスモスはマクロコスモスといつでも交通して、部分的に外へと開かれてもいるのである。
 
 阿部謹也の考察は、ここから刑吏、粉挽き、放浪者、芸人といった周縁のひとびとがマクロコスモスとミクロコスモスをつなぐ経路になった、という議論に展開してゆく。彼らは、閉ざされた共同体に馴染みきらない点で、旅人や客人のように違和を抱えている。そのために、閉ざされたミクロコスモス(村や、都市も)を、不可思議なマクロコスモスへと開く役割を担う。こうした「よそ者」は、不可思議なマクロコスモスの威力を背負っている。言い換えれば、非日常性や、ミクロコスモスの同質性を打ち破る異質性をもっているということだ。よそ者は、『珈琲と吟遊詩人』の言葉で言えば、「マクロコスモスの使者」である。こんな風に、「内」と「外」をかき混ぜて共同体を開く者が「よそ者」である、とまとめられる。
 
後編に続く。

2014年7月10日木曜日

【ご報告】本のカフェ第8回@札幌

2014年7月6日(日)18:00 - 21:00
大谷地のサッポロ珈琲館にて。

今回は、12名の参加者があり、3名の紹介者による本の紹介がおこなわれました。はじめの自己紹介タイムでは、お名前とお題「小中高校、いつの時代でもよいから、好きだった科目」についてしゃべってもらいました。


一人目は、『人間関係は「感情」で動く』という本を紹介。「たとえば、紹介者の僕がいま、ぼそぼそしゃべり始めたら、第一印象は悪くなるし、すでに知っているひとなら、体調を心配するかもしれませんよね?」こんな風に、ひとは話の内容や理屈ではなく、「感情」の部分で動くのだ、というお話。著者は「ひとを好きになることの大切さ」も説いています。自己啓発書は、本のカフェでは初めて。明るく元気で、楽しめる紹介でした。



二人目は、『バイ貝』という町田康さんの小説。なかなかにナンセンスな文章を朗読してくださいます。あいだあいだに、ストーリーの解説も忘れない親切な紹介。ドストエフスキーの小説より「貨幣は鋳造された自由である」を引用しながら、たまりゆく鬱を散ずるためにお金を使う主人公。ホームセンターで鎌をひとつ買うのに、数十頁かかります。おかしみとかなしみがこみ上げる小説で、読む前から笑っていたという紹介者さん。愉快でした。




三人目は、『藻類30億年の自然史』という本。サイエンスの本が紹介されるのは初めて。人文、文芸の好きなひとが集まりやすい本のカフェで、今回は、理系の紹介者さんがノートパソコンを掲げて、プレゼンテーション。わかりやすい図に、美しい藻の姿。進化の系統樹に分類される生物たち。「動物というのはごく一部」「植物でさえ、ここだけ」ほかは菌類やアメーバやたくさんの単細胞生物の世界。みんな、興味津々で、質問も飛び交いました。



ちょうど、90分ほどで前半の紹介タイムは終了しました。さて、後半はくすみ書房を回るツアー付き。同じ施設の2階では、やさしい笑顔の久住社長が待っていて、店内を案内してくださいました。当初は、「15分くらい」の予定が、参加者のみなさん、くすみ書房に強い引力で引き寄せられたため、ほぼ90分、本屋さんのなかで過ごすことに。思い思いの本を手に取り、また買いながら……。



後日のメールでも、「またゆきたい」「とてもよかった」「何時間でもいられそう(笑)」といった声が届きました。さすが、くすみさん!今回、初めてくすみ書房を知った方もけっこういらっしゃいました。


集合写真を撮ったあとは、22時まで二次会になりました。硝子細工をもってきてくださった方がいて、コップに絵模様を彫り込むのですが、素敵な作品群。みんなで拝見しました。


みなさま、今回もありがとうございました。いろいろとお気遣いくださったサッポロ珈琲館、店長の山下さま、にこにこと笑顔で案内してくださった久住社長にも、お礼を申し上げたいです。参加してくださったみなさま、紹介者のお三方、受付と司会進行を助けてくださったゆーうちさま、写真係を引き受けてくださったYoshimotoさま、そして、いまこれを読んでくださっている、いつも遠くから見守ってくださっているみなさまにも、厚く感謝の意を伝えたいと思います。

木村洋平(主催・文責)

後日談、こんな植物を見かけて「藻類の自然史」を思い出したのでした……。


* 今回、使用された写真は、Noriko Yoshimotoさんが撮ってくださったものです。本棚と植物の写真だけは、木村が撮りました。Yoshimotoさん、素晴らしい写真を本当にありがとうございました。

【書誌情報】
『人間関係は「感情」で動く』、和田秀樹、新講社、2011
『バイ貝』、町田康、双葉社、2012
『藻類30億年の自然史ーー藻類からみる生物進化』、井上勲、東海大学出版会、2006

追記:すばらしく文章の上手い参加者の方が寄せてくれた、今回の本のカフェについてのレポートがこちら(http://d.hatena.ne.jp/CultureNight/20140714/1405314508)。ブログ「静寂(しじま)を待ちながら」より。ボリュームも充実して、その場の雰囲気を浮かび上がらせるように伝えてくれます。よろしければ、併読ください。丁寧なレポート、ありがとうございました!

雨と木曜日(15)

2014年7月10日(木)


 最近、ジャズがまたいいなあと聴いています。バド・パウエル、エラ・フィッツジェラルド、マル・ウォルドロン……TSUTAYAでCDを10枚も借りてきました。ジャズはどっぷり入り込んでしまう水の深さがあるので、もし、30年前に生まれていたら、ジャズ喫茶に通って「マスター、××をリクエスト」なんて通なレコード名を覚えるのにどきどきしていたかもしれない。四ッ谷の「いーぐる」は、唯一行ったことのあるジャズ喫茶、本格的でした。

***

 コーヒーを形容するのに、「チョコレートのような風味」「ワインのような深み」といった言葉が使われるのを、僕は理解できませんでした。けれども、ドイツのコーヒーをもらって飲んだとき、チョコレートやアーモンドの香りを感じました。それも、淹れ立ての熱いのではなく、かなり冷めたときに。もともと、珈琲は冷めても美味しいものが、ほんとうに美味しいと思います。1時間経ってまた口にしたときの驚きがある珈琲を飲みたい。

***

 「夜回り先生」のシリーズはずいぶん前から話題になっていたのですね。今回、『夜回り先生と夜眠れない子供たち』を皮切りに、初めて何冊か読んでみましたが、心を打たれるとともに、人生を揺さぶられました。夜の街が舞台ですから、読むのがキツい話も結構あるのですが、「夜回り先生」の静かな情熱と子供への深い愛情が伝わってきます。精力的に行動し続ける先生、マザー・テレサにちなんで、ファザー・水谷修とでも呼びたくなります。



いーぐるのホームページ:http://www.jazz-eagle.com/index.html
【書誌情報】『夜回り先生と夜眠れない子供たち』水谷修、2009、小学館文庫

2014年7月6日日曜日

【ご案内】本のカフェ第10回「モンクール谷の夏まつり」@札幌

*このイベントは定員に達しました。キャンセル待ちの状況です。*

本のカフェ第10回のご案内です。


場所:詩とパンと珈琲 モンクール(東西線「西18丁目」駅、徒歩5分)
日時:8月2日(土)18:00〜21:00 (17:30頃から受付開始)
定員:12名
参加費:1000円(珈琲・紅茶、パン付き)

* 今回は、おいしいパン屋さんモンクールにて、『ムーミン谷の夏まつり』に引っ掛けた楽しい本のカフェを企画。後半は、ムーミンにまつわる小物を持ち寄る「ムーミンルーム」を開催。愉快な音楽をかけてパンを食べましょう! 


モンクールさん

〜本のカフェとは〜

本のカフェは、好きな本の紹介を通して、集まったひとがゆるやかに交流するイベントです。

内容:本の紹介者が3、4人、ほかはオブザーバー(紹介せず、聞くひと)。司会・進行は木村が担当します。前半90分は、ひとり15〜20分ほどで本の紹介。後半90分は、フリータイムで自由におしゃべりをします。

参加者:紹介者は、紹介する本の現物をなるべく持参。レジュメは必要なし。オブザーバーはなにもいりません。
 メンバーは毎回、流動的で、リピーターの方もいれば、初参加の方も多くいらっしゃっています。気兼ねなくお越しください♪

本の選び方:本は、なんでもよいです。古典、流行りの小説、学術書、新書、ライトノベル、雑誌、ムック本、画集など。
 今回は、ムーミンシリーズが一冊あればいいな、と思っています。

ムーミンルーム:ふだん後半のフリータイムでは、小物を持ち寄る「ルーム」を開催しています。(「アートルーム」「文房具ルーム」など。)今回のテーマは「ムーミン」。雑貨でもノートでもマグカップでも(割れないように!)ムーミン小物を集めましょう♪

飲み物とパン:前半は、珈琲と紅茶がフリーですが、後半のフリータイムでは、ハード系のものを中心に自家製パンが提供されます。こだわりのオリーブオイルにつけて召し上がれますので、お楽しみに!
  
大切なこと:ゆるやかな雰囲気を大切にしたいと思っています。紹介も、思い入れ、感想、あらすじなど、好きなスタイルで楽しく語っていただければ幸いです。

主催:木村洋平

メール:kimura-youhei◆live.jp (◆→@)
Twitter:@ginnyushijin
Facebookページ:「本のカフェ」で検索。(または、直接こちらへ。)

*ご注意・ご案内、いろいろ*
・メールの際は、毎回、最後に署名かフルネームをお入れください。とくに携帯の方から無記名のメールをいただきますが、すべてのアドレスを登録はしていないので、どなたかわからなくなります。

・紹介される本は、『星の王子さま』と『おちくぼ姫』(田辺聖子)『夢十夜』(漱石)が決まりました。初の絵本として、長く読み継がれている『おおきな木』(シルヴァスタイン)も紹介されそうです。ちなみに、星の王子さまはフランス語から全文、個人で訳した方によるご紹介!

・お問い合わせは、モンクールにはおこなわず、主催の木村へご連絡くださるようお願いします。

・夕食は、事前か事後に軽くお済ませになることをおすすめします。パンはそれなりの量があるかと思いますが、食事というほどではないと思います。

道順:地下鉄東西線「西18丁目」駅から道立近代美術館の方へ。その裏の交差点のそば、南に面して入り口があります。
 住所:〒060-0003 北海道札幌市中央区北3条西18丁目2−4 北3条ビル 詩とパンと珈琲 モンクール

2014年7月4日金曜日

【ご案内】本のカフェ第9回「ムーミン+哲学」@札幌

*定員に達しました。ありがとうございます。*

〜概要〜

場所:Cafe Espuisse(カフェ・エスキス)(東西線、円山公園駅、徒歩6、7分)
日時:7月24日(木)19:30〜21:30(19:00頃から受付開始)
定員:7名
参加費:500円+ワンドリンク

 今回は、ちょっと特別な本のカフェです。紹介される本は、『ムーミン谷の彗星』と『共同幻想論』(吉本隆明)に決まっています。メインは『共同幻想論』の紹介で、30〜40分の対談形式(木村×紹介者)でおこないます。その前にちょこっとムーミン話で、やわらかいムードを作れたら、と思います。

『共同幻想論』は、おととし亡くなった日本の哲学者、吉本隆明の主著のひとつです。「戦後思想の巨人」とも言われる在野の思想家、その神髄に迫る……紹介になる予定!

〜本のカフェ、もっとくわしく〜

本のカフェは、好きな本の紹介を通して、集まったひとがゆるやかに交流するイベントです。

内容:今回、本の紹介者は2人。ほかはオブザーバー(紹介せず、聞くひと)です。木村が司会・進行のほか、『ムーミン谷の彗星』の紹介、および『共同幻想論』のときには紹介者の方と対談のように、紹介を手伝います。それが前半の60〜70分。後半、1時間弱はフリートークタイムです。

参加者:今回は、オブザーバー(紹介しないひと)のみ募集しています。用意するものはなにもいりません。課題図書ではないので、事前に読んでおく必要もありません。

大切なこと:ゆるやかな雰囲気を大切にしたいと思っています。紹介する側も、聞く側も。「読書家とは言えませんが……」「哲学には詳しくないけれど」という方も歓迎です。お気軽にどうぞ! また、本のカフェのメンバーは流動的です。リピーターの方も初参加の方も、いらっしゃいます。みんなで一回ごとに輪を作ってゆきましょう。

主催:木村洋平

メール:kimura-youhei◆live.jp (◆→@)
Twitter:@ginnyushijin
Facebookページ:「本のカフェ」で検索。(または、直接こちらへ。)

*いろいろ、注意・ご案内*
・メールの際は、毎回、最後に署名かフルネームをお入れください。とくに携帯の方から無記名のメールをいただきますが、すべてのアドレスを登録はしていないので、どなたかわからなくなります。

・お問い合わせは、カフェ・エスキスにはおこなわず、直接、主催の木村へご連絡くださるようお願いいたします。

・なるべくお食事はお済ませのうえ、お越しくださるようお願いいたします。軽食をご希望の方はご連絡ください。

・カフェ・エスキスは慣れていないひとにはわかりにくい場所かもしれません。事前に地図を確認されることをおすすめします。
住所:〒064-0821札幌市中央区北1条西23丁目1-1

・『共同幻想論』紹介者の方からメッセージをいただいています。こちら(http://d.hatena.ne.jp/CultureNight/20140714/1405315220)です。ブログ「静寂(しじま)を待ちながら」より。

2014年7月3日木曜日

雨と木曜日(14)


エゾシカのスープを作った。カレー風味。こう書くと、道内で数が増えて事故を引き起こすエゾシカを猟銃を肩に担いで「それ、ひとつ狩りにゆくか」と繰り出し、道東の森にエゾシカを追いかけ、ついに仕留めてその肉をさばき、見事、カレー風に味つけた大鍋のなかへ放り込み、ぐつぐつ煮込んで滋養豊かなスープにしたかのような印象を与える、かもしれない。友達が登別のおみやげに「エゾシカの缶詰、カレー風味」をくれたから、なんて言えない。

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 さて、ドイツのコーヒーが届いた。ドイツもコーヒーも好きな知人が送ってくれた。僕もどちらも好きだ。ドイツ語ではコーヒーを "Kaffee" と書く。発音は「カフェー」。"K" から始まる単語というのも、どことなくかっこいい。ちなみに、ブラックコーヒーは "schwarzer Kaffee" (シュヴァルツァー・カフェー)。さっそく淹れてみたが、まろやかで複雑な風味はチョコレートかアーモンドを思わせる。

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おもしろい本に出会った。『グリコのおもちゃ箱』。真四角な表紙をした本で、めくると、カラフルでミニマルな、往年のグリコのおもちゃが次から次へ出てくる。「おとぼけライオン」「あしかのユラリン」「いもむしコロコロ」「ばったバタバタ」「ふくろうキョロキョロ」「にわとりピョンピョン」……。これらはおもちゃデザイナーの加藤さんが1987年から2001年に亡くなるまでに手がけた作品たちだ。素敵なコレクション。


【書誌情報】加藤裕三、『グリコのおもちゃ箱』、地方・小出版流通センター、2002