2014年12月30日火曜日

【俳文】札幌便り(26)

2014.12月

今年の十二月はずっと東京にいたが、思いを北国に馳せる。よく歩いた円山公園は十二月の半ばまでに根雪となり、池も凍ってゆくと聞いた。十一月の終わりまで水浴び、日光浴していた鴨たちも本州以南へ渡ったことだろう。

そこな鴨どこの円山より来たる

橋の上に立てば、神々しいばかりの風景。北国では見られない。

冬川を青く照らせる陽や静か

ちょこまか歩く散歩人とすれちがう。

小春風犬と歩幅の似通って

こちらも大ぶりなコートを羽織って歩く。

外套に着られてそぞろ歩きかな

低木の種を抱えた絮がはじけかかっていたが、名前は知れず。

あちこちに綿毛の揺れる十二月

雀はわっと群れるが、すぐに散る。

寒雀一羽は北へあと南

寂寥のフェンス越し。

冬の柿しぼんだ小銭袋かな

桜の木を見つめる。春には満開のソメイヨシノ。

おおらかに水に揺れおり冬木の芽

太陽の光のためか、こんな風に目に映る。

冬の水澄めども底の色変わる

セキレイは尾で地面を叩く鳥として有名だが、秋には尾を振るも、この時分にはよく首を前後に揺する、と観察した。まるで鳩のよう。

鶺鴒の尾より首振る真冬かな

また川沿いを歩けば、水面の光が刻々と紋様を作る。

冬の川たれ染め織りぬひかりかな

冬の太陽が十分に射す団地。北国では半年ほど布団が干せないが、ここでは大丈夫。

団地には色とりどりの布団かな

ある日、祖父母の家をふらりと訪ねるが、いまは空き家である。

千両や誰がために生る小家がち(たがためになるこいえがち)

センリョウの赤い実は瑞々しいが、主はおらず、家は一回り小さくなったように見える。

底冷の空き家に鳴らすオルゴール

暖房の気配なき部屋は暗いまま、思い出のオルゴールのネジを巻いた。さて、今年は実家で冬至を迎えた。温かい湯に浸かる。

旅先の宿にあらねど柚子湯かな

いつかの旅先の宿をどことなく思い出した。クリスマスには近年、流行りのドイツ語圏のお菓子、シュトーレンをいただく。ナツメグやシナモンが利いていて、口の中が熱くなる。

スパイスにほっと息つく聖夜あり

小晦日には、安いコーヒーを一杯、テイクアウトして外のベンチに腰掛けた。思えば、去年の十二月にも同じことをして同じベンチに腰掛けていた。おかしな習慣だろうか。

香りなきコーヒーすする年の暮

2014年12月26日金曜日

【ご案内】本のカフェ第13回@東京、恵比寿

紹介タイムは、Ustreamで中継します。URLはこちら。(http://www.ustream.tv/channel/book-cafe-2015

本のカフェ第13回のご案内です。今回は、第1回以来の東京開催となりました。場所は恵比寿駅そばのカフェ。ギャラリースペースをお借りするため、広々として落ち着いた空間で楽しめます。

場所:カフェ カルフール(のギャラリールーム)JR恵比寿駅、徒歩3分。
日時:2015年1月11日(日)14:00〜17:00 (13:30頃から入口すぐのカフェスペースにて受付開始)
定員:12名
参加費:1000円+ワンドリンク

〜本のカフェとは〜

本のカフェは、好きな本の紹介を通して、集まったひとがゆるやかに交流するイベントです。

内容:本の紹介者が3,4人、ほかはオブザーバー(紹介せず、聞くひと)。司会・進行は木村が担当します。前半90分は、

・ご案内トーク(5分ほど。木村)
・自己紹介タイム(約15分。)
・ひとり15分ほどで本の紹介。

後半90分は、フリートークタイム、自由な交流の時間です。

参加者:紹介者は、紹介する本の現物をなるべく持参。レジュメは必要なし。オブザーバーはなにもいりません。
 メンバーは毎回、流動的で、初参加の方も多くいらっしゃっています。気兼ねなくお越しください♪

本の選び方:紹介していただく本は、どんな本でも結構です。古典、流行りの小説、学術書、新書、雑誌、ムック本、画集など。
  
大切なこと:ゆるやかな雰囲気を大切にしたいと思っています。紹介も、思い入れ、感想、あらすじなど、好きなスタイルで楽しく語っていただければ幸いです。

主宰:木村洋平

お問い合わせ先

メール:kimura-youhei◆live.jp (◆→@)
Twitter:@ginnyushijin
Facebookページ:「本のカフェ」で検索。(または、直接こちらへ。)

*ご注意・ご案内、いろいろ*
・メールの際は、毎回、最後に署名かフルネームをお入れください。とくに携帯の方から無記名のメールをいただきますが、すべてのアドレスを登録はしていないので、どなたかわからなくなります。

紹介される本は、以下の通りに決まりました。

『ゼラニウムの庭』大島真寿美 (ポプラ社)
"Words on Hope" Helen Exley編集、Giftbooks,1997
『ブルネイでバドミントンばかりしていたら、なぜか王様と知り合いになった。』大河内博、集英社インターナショナル、2014
あとは、僕が『飛ぶ教室』(ケストナー、池内紀訳、新潮文庫)を紹介します。

紹介の順番は、「ブルネイ」「飛ぶ教室」「Words」「ゼラニウム」でゆきたいと思います。

・お問い合わせは、カフェ カルフールにはおこなわず、主宰の木村へご連絡くださるようお願いします。

・毎回レポートを作成し、そのために写真を撮りますが、インターネット上へのアップについてはおひとりおひとりに許可を取っています。

・当日、Ustreamによる中継を考えておりますが、こちらについても映像・音声の許可をひとつひとつ取りますので、中継を望まない方も安心してお越しください。

雨と木曜日(28)

2014.12.25.


知人が「ごはんを炊くのは面倒だからパンばかり食べる」と言っていた。僕は真面目に(?)炊飯していたが、これを聞いてから「パン食も楽でいいかな」と思うようになった。また、べつの知人が「味噌汁さえあれば、あとはなにか作って食卓になる」とおっしゃっていた。それで、影響を受けやすい僕は最近、朝食だろうが夕食だろうが、「食パンと味噌汁」という奇妙な取り合わせになりつつある。味噌汁の代わりに、煮物や鍋も悪くない。

***

2種類のマンデリンを飲む機会があった。マンデリンの特徴は、きつめでシンプルな苦み、酸味の少なさ、すっとした後味(のどごし)といったところ。コクは煎りの深さにもよるが、基本的に「こっくり」した、和食で言う味噌汁やお出汁のような「こっくり」した感じはない。適度なコクだと思う。さて、2種類のうち、ひとつは酸味が出やすい豆で爽やかな印象。もうひとつは、深煎りで「光のマンデリン」とも呼ばれる洗練された味でした。

***

雑誌BRUTUSの「読書入門。」という特集を読んでいる。(2014.1/1・15合併号)星野源さんの特集から始まる(二人目は古市さん)ところがポップなテイスト。とはいえ、全国のこだわり書店の書店員さんおすすめの3冊コーナーもあとに控えており、文体も紹介される本もバラエティに富んでいる。さすが「雑誌」だな、と思わせる配色、写真、文章の短さなどが、「読書入門。」をしながらの特殊な「読書体験」をもたらすかのようだ。


2014年12月24日水曜日

ほんとうに

ほんとうに追い込まれたとき、わたしの語彙で出てくる言葉は、ただ、主よ、救いたまえ。主よ、憐れみたまえ。だけでした。

(そして、マタイ受難曲は大好きだけれど、クリスチャンではない。)

2014年12月22日月曜日

旅と移住 / 流動性の次に

前回、流動性の話をしたから、次は「旅と移住」について、絡めて書いてみたい。

まず、流動性と「生きる」と言えば、旅のことが浮かぶ。「旅こそが人生」というような生き方のこと。だが、ぼくは「旅」を原理に生きたいのではない。

たとえば、定住して、家族と一緒にいて、同じ土地に住んで、それが行き詰まりをみせたとき、旅が打開してくれる、ということはある。その意味で旅は貴重だが、同じような「打開」は良い本に出会うこと、素晴らしい音楽を聴くこと、新しいひとに出会うこと、などによっても起こる。だから、「流動性」について考えるとき、ことさら旅を特別視しなくてよいように思う。

たしかに、ときどきむやみに旅に出たくなるときはあるが、それは「流動性の爆発」(ないし、散発的な流動性)であって、なんだか持続して流動性を呼び込むことはできないように思えてしまう。

では、移住はどうか。移住は大切に思える。移住は、べつの生活へ移ることで、一時的な「旅」とちがって、生活から生活への移動だ。古い生活から新しい生活へ。それは生そのものに流動性をもたらす、と思う。

旅には、絡み合ってこんがらがった日常の生活から抜け出すこと、こむずかしい内側から「外」へと脱出する、というニュアンスがある。

他方で、移住はまっさらな生活への移りゆきであって、それは「外」への脱出というより、出口から出て次の入口に入ることだ。移住は「日常の生活」に流動性をもたらすが、「日常の生活」の外には出ない。それゆえにかえって、「流動性の持続」を作れる。

こんなところが、旅と移住に関する覚え書き。

流動性について


「行雲流水」という四字熟語を引くと、「空行く雲や流れる水のように、一事に執着せず、自然にまかせて行動すること。」とある。(大辞林)もっと概念的な言葉では、「流動性」がこれを表すと思う。流動性とは、「一定しないで流れ動く性質」。

ぼくは流動的なものに惹かれ、流動性を原理として生きているようなところがある。

抽象的な説明だが、難局にぶつかったとき、そこで安定した状態を築いたり、手堅い手法をとったり、強固な立場を頼ったりしようとあまり思わない。それよりも、「流動性」を持ちこむことにより、状況を可変的にし、変動させ、ゆるゆると動き出せるものにすることで、見えなかった出口を作り出そうとする。

他方、すでに安定が築かれようとしているとき、地道に積み重ねられたものがあるとき、それらが「固定」や「束縛」として働く手前で、状況をゆるやかに移りゆかせようともする。言ってしまえば、流動性には、安定を手放して、不安定さを持ちこんでしまう側面もある。

これらが、おおよそ流動性を原理として生きる、ということだ。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

ぼくは自分の内側に、強い流動性への衝動、それを希求する強い力のうごめきを感じる。それは自分の意志ではなく、思い通りにもならない。

ちょうど、左側の心臓とはべつに、右側にもうひとつの心臓があり、それが「流動性」を司っているみたいだ。それは人間を超えた威力であって、精霊ともデモーニッシュ(悪魔的)なもの、と呼べる。たしかに一個の人間を超えており、抗うことはできても、押さえこむことはできない。

そういう人間にできることはなにか。おおげさなようだが、国家と社会がひとりひとりを固定することでーーその社会的な立場、役割、手順、作法 etc...ーー成り立っているシステムだとしたら、それを周辺から流動化させてゆくエンジンになれたら、と願う。

2014年12月13日土曜日

たとえ

たとえ報われないとしても、善いと思ったことをしなさい。
ほんとうに苦しんでいる人間を理解しなさい。

2014年12月12日金曜日

またマザーの本より

『マザー・テレサ語る』という本より、印象に残る部分の引用です。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

さて次に、カルカッタの<死を待つ人の家>(ニルマル・ヒリダイ)で、死に行く人々や貧困者たちと一緒にすごしたボランティアの一人、ナイジェルの体験談を聞いてください。

<死を待つ人の家>にはじめてお手伝いに行ったとき、私はそこが好きになれませんでした。人々が苦しんでいるのに、自分が何もしてあげられないと感じたからです。「私はここで何をしているんだろう?」と考えました。
 その後、私はイギリスに戻り、そのときの体験についてシスターの一人と長い時間話しあいました。……(略)……私はたいていだれかのベッドのわきに腰を下ろし、彼らの身体をさすったり、食事をさせたりしていたのです。ときにはお礼を言われたのでしょうが、それほど多くの人から言われたわけではありません。なんといっても、彼らは死にかけていたのですから。すると、シスターは私に、「それで、結局あなたはどうしていたの?」と尋ねました。私は「ただ、そこにいただけです」と答えました。すると彼女はこう言ったのです。「聖ヨハネや聖母マリアは、十字架の根元で何をしていましたか?」

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

この話は僕には感動的です。シスターにとってはささやかな日々のことだとしても。僕はクリスチャンではないのですが、トルストイの『要約福音書』やバッハのマタイ受難曲を通じて、十字架の場面については知っています。聖ヨハネも聖母マリアも、「ただ、そこにいた」のです。

ちなみに、<死を待つ人の家>(ニルマル・ヒリダイ)とは、マザーが築いた最初の<家>であり、路上の死にかけた人々、病気の人々を運び込み、お世話をし、死に行くひとを看取る施設です。なかには、回復するひともいます。マザーの団体<神の愛の宣教者会>は世界の100カ国以上にたくさんの<家>をもち、それぞれがハンセン病であったり、エイズ、アルコール中毒、孤児、そういった困難を背負った人々のための施設となっています。

話を戻すと、上のエピソードでは、ふだんから<神の愛の宣教者会>の活動に携わっているのではない、「ボランティア」の立場から語られている点が、一般の日本人とマザーとともに働く人々をつないでくれる接点になっていると思います。ボランティアの悩みを通じて、僕らもマザーたちの活動を理解するきっかけを得られるように思うのです。

【書誌情報】『マザー・テレサ語る』、ルシンダ・ヴァーディ著、猪熊弘子訳、1997、早川書房

2014年12月1日月曜日

マザー・テレサの仕事について

『マザー・テレサ語る』という本には、マザーのほか、彼女とともに働いたブラザー、シスターの言葉が収められています。そのなかには、僕が大変好きなもの、強い印象を受けたもの、学ばされるものがありますが、そのひとつをご紹介したいと思います。

ブラザー・ジェフという<神の愛の宣教者会>(マザーの団体)で重要な役割を担うひとの説明です。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
以下、引用。

私たちの仕事は、貧しい人々のために働いているほかの組織とはかなり違っています。どちらがいいか、ということを言いたいのではありませんーーどちらでも良いことがおこなわれていると思うのですーーしかし、私たち以外の組織では、多くの場合、貧しい人々を貧しくないところへ押し上げるための手助けをすることにもっとも力をそそいでいます。こういうことはやりがいのある努力です。とくに彼らを教育することは。しかし、それは政治的な問題になってきます。<神の愛の宣教者会>が考える「ともに働く貧しい人々」とは、たとえ彼らのために何をしてあげても、相変わらずだれかに何らかの方法で頼らざるをえないような人々のことなのです。私たちは絶えず質問されますーー「その人に魚をあげる代わりに、魚をとる方法を教えてはどうだろうか?」と。それに対する私たちの答えは、「貧しい人々には、釣り竿を持つ力さえないに違いない」ということです。ここに私たちの仕事に対する混乱と批判とがあると、私は思っています。というのも、私たちが考えている貧しい人々と、そのほかの人々が考えている貧しい人々との間には、大きな違いがあるからです。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

マザー・テレサは「貧しい人々のなかでももっとも貧しい人々に仕えよ」(または、「貧しいひとのなかにいるイエスに仕えよ」)という啓示を受けたとされます。その「もっとも貧しい人々」とは、すでに死を待つしかなかったり、学ぶ余力すらないほどの貧困、病気、障害といったものを背負ったひとたちなのです。

だから、この引用箇所では、マザー率いる<神の愛の宣教者会>の仕事が、「教育」ではないことが述べられています。貧しい人々を「貧しくない」ようにするための教育は、彼らの仕事ではなく、またべつの団体や国家の仕事です。それは「やりがい」のある仕事であり、「開発」や「福祉」にもかかわる仕事でしょう。しかし、「もっとも貧しい人々」はそこからもこぼれ落ちてしまうのです。

それゆえ、マザーたちの仕事は、ただもっとも貧しい人々に寄り添うこと、具体的には薬を投与したり、それでも死を迎える人々を看取ったり、葬儀をおこなったり、いっしょに食事をする(「スープキッチン」と呼ばれる炊き出し)ことであったり、ただやさしく腕をさすり、言葉をかけることであったりします。

そこのところが理解されないために、マザーたちの活動は批判にもさらされ、誤解も受けてきました。しかし、ここにこそかえって、ほんとうに「もっとも貧しい人々」のために尽くす、ということを芯に据えているがゆえの、他の団体や政府とのちがいをよく見ることができます。

【書誌情報】『マザー・テレサ語る』、ルシンダ・ヴァーディ編、猪熊弘子訳、早川書房、1997 (引用箇所は、p.113-114)

2014年11月29日土曜日

【俳文】札幌便り(25)

いつもの円山公園にて。柳の葉はくるくると散り、地面に着いたのを拾ってみると黄緑色にうっすらと色づいている。遠目には緑の木。

柳散る拾いてみれば色づきぬ

川の水もあとひと月もすれば雪の下かと思う。

せせらぎもあとひと月か文化の日

陽が当たり、銀杏の散り敷くなかを鳩が遊ぶ。

黄葉に鳩が九匹舞い降りる

晩秋のさわやかさがある。家に帰りて生活句を三つ。

柿の皮たおやかに折り重なりぬ

柿は熟している。五五七の破調。蕪村の牡丹の句、「うち重なりぬ二三弁」を思った。次の「きりたんぽ」は残念ながら、冬の季語として認められていないようだ。

きりたんぽがおいしい季節になりました

次は三つの季重なり。鍋に大根をすりおろした。

大根も外も霙(みぞれ)や冬初め

また円山公園を歩く。手入れの行き届いた公園で、小さな小さなトラックが走っている。管理人が落ち葉をかき集める。

軽トラに枯葉を山と積みにけり

落葉樹のなかでも、ポプラとアカナラ、カラマツは最後まで残る。

寒き日にポプラの樹皮をゆく羽虫
ポプラ散る土に着くまでゆっくりと

いよいよ冬が立つ日、ふわふわと舞う雪の欠片が漂っていた。

立冬のちらほら白のゆくえかな
冬来たる白樺の葉はみな落ちて

ある朝、公園の広場ではそこらじゅう水たまりがうっすらと凍っていた。(「つら連なる」は造語。)

初氷つら連なりて大広場

街路で驚いたのは紫陽花の花びら(萼片)が残っていたこと。

紫陽花の時雨てのちの赤みかな

赤紫に変色しているが、まだ茎についている。ここ数日、霰(あられ)が降ったり、ほろほろと少ない雪が降ったりした。

これはほら傘も楽しき霰かな
かんざしの代わりに雪を積もらせて

円山公園の隣、北海道神宮へも足を運んだ。

北海道神宮もやや冬めける

そのままの句を詠んで、東京へ旅立つ月末。旧暦では神無月、出雲へと神々も旅をする時節。北の神々も旅立つ頃だろうか。

青空をそろそろゆくか神の旅

2014年11月28日金曜日

断片:2013手帳より

2013年につけていた手帳から、ブログの書き手の自己紹介代わりに、断片を引用します。

5/6 僕は手紙を書くことが好きだ。

5/28 かみさま、ぼくが愚かなままでいいから、幸運をください。
理性はひとかけら。クッキーのように。

賢くなければ生きてゆけないかもしれないが、愚かさを愛せなければ生きてゆく意味がない。

6/12 人生は小さなところまで意味がある。けれども、全体としてたいした意味はなくてもいい。
(ふり返って眺めた時、意味にあふれている必要はない、が、いまこのとき光に満ちている、五月の林のように。)

6/14 …trotzdem Ja zum Leben sagen. は『夜と霧』の収められた原書だ。「…それでも生に然りと言う」。

6/16 トランクケースには、夢がある。トランク一つで世界を旅する、というような。いいや、旅をするだけじゃなく、それ一つで暮らすんだ。

6/18 生活を変えるときに大切なことは、大きく変えようとすることではなく、確実に変えることだ。たとえ小さな習慣一つでも。

7/15 人には、助けが必要な時機がある。そのとき、ちょうど隣にいられるか、どうか。

8/2 生きることがすばらしいかはわからないが、生きているだけで、そのひとは人生の仕事をまっとうしている。

2014年11月21日金曜日

【ご報告】本のカフェ第12回<特集 池澤夏樹>

日時:2014.11.15. 14時ー17時
場所:北海道立文学館ロビーの喫茶店オアシス
参加者10名と司会の木村。


今回の本のカフェは、今年(2014年)8月に道立文学館の館長に就任された、多彩な活躍を続ける作家、池澤夏樹さんに焦点をしぼって本を紹介してもらいました。

かんたんな案内のあと、自己紹介タイム。今回のお題は「移住してみたい土地」。旅と移住をくり返す池澤夏樹さんにちなんだテーマです。「ロンドン」「ハワイ」「スイス」「沖縄」「アイルランド」「東京」「(札幌の)中央区山鼻」といった土地が並びましたが、とりわけハワイが人気でした。3名が移住したいそう。池澤夏樹さんの著書にも『ハワイイ紀行』がありますが、なるほど、魅力的な土地のようです。


紹介タイムでは、はじめに僕の方から池澤夏樹さんの概説をしました。1945年、帯広生まれ。幸福な幼年時代だったとのちに振り返る、6歳までをこの土地で過ごす。その後、東京へ出るが、27歳でミクロネシアへ旅をしてから、旅と移住、そして地方での生活を愛するようになる。ギリシャに3年(2年半か)住み、沖縄、フランス、現在は札幌に住む。

1988年、『スティル・ライフ』で芥川賞を受賞。ドライなロマンティシズムを感じさせる作品。1993年には『マシアス・ギリの失脚』という長編小説で谷崎潤一郎賞。エッセイ、ノンフィクション、児童文学、エンターテイメント小説といった多彩なジャンルを書き綴るほか、『世界文学全集』を編集。現在は『日本文学全集』を編集し、刊行し始めるところ。

旅する体力、取材の忍耐力、また、文体も書く量もヴァイタリティとエネルギーにあふれている。どちらかというと無造作に書き下ろしていくスタイルをとる。だが、一文一文に無駄がない。自然の大きさと人間の小ささ、限界といったものをテーマに、幸福と希望を感じさせる文学を生み出し続けている。


さて、概説が終わると、紹介者さんが『池澤夏樹の旅地図』と『パレオマニア』を紹介してくれた。『旅地図』からは、エッセンスとなる池澤さんの言葉を次々と抜粋。「自然そのものではなく、自然とひとの暮らしに興味がある、素人文化人類学」「文化は人間を通して土地が自分を表現したもの」など。パレオマニアとは、「古代妄想狂」(誇大ではなく)であり、大英博物館を起点に数々の旅がくり広げられる。重要なところを押さえた紹介でした。


次の紹介者さんは、『静かな大地』。朝日新聞に連載されたのち、大幅に加筆された小説。かつての北海道を舞台に、アイヌの民謡や神話、差別をテーマとする歴史小説で、虚実ないまぜである。明治に静内へ入植した男が、波瀾万丈の末、没落していく様を記す。展開のスピードと波乱で読ませるエンターテイメント。小説であるにもかかわらず、最後に付いている(作品内の)年表が面白く、どこまでが史実か、著者にもわからなくなったそう。


ここまでで90分。この後、90分のフリータイムとなり、円卓のあちらこちらで談笑が始まった。池澤夏樹さんの生活スタイル(旅と執筆)に憧れる、という声もあり、他方、まったく関係のない漫画(『ジョジョの奇妙な冒険』)の話で、作者の荒木飛呂彦さんはアンチ・エイジングの顔をしている!と騒いだり。札幌の歴史の話、豊平がスラム街だった頃の史話もありました。


盛会のうちに閉じられたと思います。二次会は近くのトオン・カフェへ。1人欠けて、10人でゆき、ふたつのテーブルに分かれてあれこれ盛り上がりました。夜ご飯を食べるひとも多くいましたね。19時頃、解散。


みなさま、ありがとうございました。道立文学館でお世話になった副館長の谷口様、融通をきかせてくれた喫茶店の女主人にもお礼を申し上げます。これからも、読書を通じた交流の楽しみが広がりますよう。

主宰・文責 木村洋平

2014年11月19日水曜日

希望

希望とは世界への信頼だ。


2014年11月12日水曜日

【エッセイ】カフェと読書


家で読書をしていると、本のなかに入り込みすぎて、こわくなるときがある。集中力が強くなり、本のなかに没入してしまう。はっと本の外へ出てきて、水のなかから飛び出したように息を吸い込み、本を閉じる。

カフェではその心配がない。カフェの席は、適度なノイズに囲まれている。いくら本を読んでも、半ばは外の世界への配慮がはたらく。

以前、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』をハードカバーで読んだ。場所はスターバックスだった。落ち着いた店内。

ぼくはあまりに物語に引き込まれ、途中で泣き出してしまいそうになった。それでも、おそろしくなって本を閉じなくてよかった。回りには談笑するひとや笑顔でコーヒーを飲むひとがおり、ぼくも外の世界に半分は属していたからだ。けれども、涙で文字が読めなくなったので、諦めて家へ帰った。

それから、ネイティブ・アメリカンについて書かれた本もカフェで読んだことがある。ほんとうは赤茶けた大地のうえか、せめて雑木林の公園のなかで読んだ方がよかったかもしれない(そうしたこともある)。

そういうわけで、心を揺さぶられそうな本を読むときには、落ち着きを求めてカフェにゆきたくなる。

オコタンペの静謐

本を開いていて、心動される文章に出会ったとき、そっと本を閉じてしまうことがある。
そのときには、それ以上を読み進めることができない。
受け止める器の方があふれてしまって、それ以上、文字が入らなくなるからだ。

同じことは太極拳の動画を見ていてもある。
目で見続けることはできても、そこにある動きの容量が大きすぎるので、もうわからなくなるから、画面を閉じてしまう。

それは自然のなかを散策していても起こりうるし、実際、景色があまりに緻密で素晴らしく色合いも形も微妙な変化を含み、美しさにあふれているように思うがために、散歩していてくらっとする瞬間もある。

そこで、心のどこかにオコタンペのような湖があれば、と思う。

オコタンペは札幌の南、支笏湖の北にある「秘湖」のひとつだ。展望台から、遠く青緑の水面を少しだけ覗くことしかできない。

多くのひとに照らせば「ささいなこと」に、心の樹冠を動かされながらも、根の方にあるオコタンペは静謐なままでいてほしい、と。

2014年11月6日木曜日

雨と木曜日(27)

2014.11.6.

スタンディングデスク、をご存じでしょうか。古くは立って書き物をする机でしたが、いまは立ってパソコンを打つ、スタンディング・パソコンデスクがちょっとした流行のようです。在宅勤務のアメリカ人が、高さや角度を調整できるデスクで健康になったとか、教育現場に導入したところ、子供たちの集中力が上がったといったニュースが見られます。僕も高めの台にノートパソコンを乗せて、いまこの文章を打っている次第です。

***

長年、珈琲を愛して来たひとならわかると思うが、風邪を引くと珈琲は美味しく感じられなくなる。最近、軽い風邪を引いて痛感した。第一に、集中力がないのでうまく落とせない。第二に、味覚がふだんと変わるようだ。第三に、香りを味わえない。いつもの勘では、きっちり美味しく淹れたはずの珈琲でも、ほとんど風味がしなくて驚いた。本当の原因がなにか、上の三つが主要因なのかもわからない。それでも、じっくり落として飲んでしまう。

***


『熊谷守一画文集』を読みました。熊谷さんは1880年生まれの画家。97歳の長寿でした。のっぺりして区割りのしっかりしたシンプルな構図と色使いが特徴、でしょうか。激動の明治〜昭和を生きながらも、若い頃から「仙人」と呼ばれるような悠々たる、ただし、貧乏でもあった、生活を送った風変わりな人物です。生き物が好きで、蟻は左の二番目の足から歩き出す、ことを発見したそう。すっきりした生き方を貫かれたのかもしれません。

「わたしは生きていることが好きだから他の生きものもみんな好きです。」

【書誌情報】
『熊谷守一画文集 ひとりたのしむ』、求龍堂、1998

2014年10月30日木曜日

札幌便り(24)

2014.10月

10月の1日には、東京へ渡った。祖母に最後に会うためであった。

花落ちて生きると書くの落花生

東京は一番、穏やかな季節を迎えており、静かな風のそよぐなかを散歩することもできた。

草刈のかみにあるらし秋の川

川上からちらほらと流れてくる草。フェンスの向こうには保育園があり、体育の日か、運動会を開いている。

万国旗こすもす咲ける保育園

外でコーヒーを一杯、と思うと、おじゃま虫も飛んでくる。

珈琲のそばに止まりぬ秋の蠅

きみも飲みたいのかい?と訊きたくなるが、分けてはあげない。どうも、寒い日もあるとひゃっくりが出やすくなるようだ。

ひゃっくりの止まらぬ夜も虫の声

アンサンブルを奏でてしまう。リズム楽器担当になる。

札幌へ季節はずれの渡り鳥

渡り鳥は、この時期に北国から本州へ来るものだが、僕の場合は逆。帰札した。

薄紅葉色の上着でランニング
ふたもとの七竈の遅速も愛しけり

ともに円山公園にて。こちらは紅葉がひと月早い。タイムスリップした気分になる。ランニングはちょっと高めのウインドブレーカーだろう。ふたもとの句は、ふたもとの梅の遅速を愛した蕪村が本歌取り。

島さんも満足気なり紅葉狩り

北海道神宮には、島義勇(しまよしたけ)の銅像が建つ。蝦夷地の開拓史判官であった人物。また、広々した公園へ足を運べば、

カフェラテをベンチに乗せる照葉かな
パーカーとストール並ぶ紅葉見る

素敵な二人連れがあちらこちらに。仲の良い友達や親子のようだ。

撒き上げる子供の手から銀杏散る
色変えぬ松にならいて杉静か

大人も子供も黄色い銀杏の葉を楽しんでいる。松と杉は常緑樹であるから、見るひともたえてなかりせば、といった風情で静かなものだ。

白樺の幹ひとり立つ冬隣

いつでも気になるのは白樺である。もうすでに大方の葉は散ってしまっていた。

初雪や雑木林の色づけば

もう冬の季語になってしまうが、巨大なアカナラの並木が黄色く色づく頃には、空気もきりりとしまる寒さで、初雪を迎える。

ジャズの音もものがなしきは暮れの秋

晩秋のものがなしさは音楽にも聞こえる。さて、北大(北海道大学)の有名な銀杏並木を観に行った。はらはらと散っているかと思ったが、色づいて間もないようで、なかなか散らない。

銀杏散る千をこらえて五六枚

【エッセイ】雨と木曜日(26)

2014.10.30.


CDの話。子供の頃は、J-POPのCDを持っている、というのが友達の間でステータスになる時代だった。シングルCDは、ふつうのCDの半分くらいの直径しかなく、再生できるのか不安になるプレイヤーもあったのを思い出す。小学生の頃か、父が所有しているCDには、触らせてもらうのにそっと丁寧に扱うよう注意されたのを覚えている。いま、その注意深さの感覚は、紙ジャケットの安価なCDにもレコードのようなレトロ感を醸す。

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エチオピアのコチャレ農園の珈琲豆をいただいた。僕の好きな「モカ・イルガチェフェ」の一種で、酸味が強い系統なのだが、じっくり淹れてみた。珈琲の概念が変わった。大袈裟に思われるかもしれないけれど、ほんとうに飲んだことがない。つい先日、濃厚なブルーベリージュースを喫茶店で飲んだが、それと同じ味わい。蒸らしの時からブルーベリーの香りが立ち、落とし終えて口に運ぶと、甘酸っぱいジュースのよう。素晴らしい珈琲でした。

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『マルタの鷹』を読んだ。ハードボイルド小説の元祖と言われるダシール・ハメットの代表作。改訳決定版ということもあり、読み応えがある。原著も99円でKindleで買えたが、決定版とはいえ、やはり英語の感覚を移す難しさ、面白さも感じる。主人公のサム・スペードはタフでハードで、どこか悪魔的な魅力のある探偵。奇抜なトリックや見事な推理ショーよりも、彼の台詞と行動に惹かれる。感情表現を排した硬質な文体も独特。

【書誌情報】
『マルタの鷹 改訳決定版』、ダシール・ハメット、小鷹信光訳、早川書房、2012


2014年10月28日火曜日

【本と珈琲豆】池澤夏樹『マシアス・ギリの失脚』の鳥


「朝から話をはじめよう。すべてよき物語は朝の薄明の中から出現するものだから。」という文章から、この本は始まる。続いて、朝に騒ぐ鳥たちの描写。そこは南の島だ。そこで、「鳥たちは遠い先祖の霊。」と明示的に書かれる。そういう遠い霊的なものと、この現世を結ぶ時空間として、薄明が設定されている。


2014年10月26日日曜日

【ご案内】本のカフェ@札幌<特集 池澤夏樹>


札幌を中心に開催する読書会「本のカフェ」にて、今年8月に道立文学館館長に就任された作家、池澤夏樹さんの特集を組みます。多彩なご活躍がとどまるところを知らない池澤さんの魅力に少しでも迫れれば、と思います。

場所:北海道立文学館のロビーにある喫茶店、オアシス(南北線 中島公園駅、徒歩5分)
日時:11月15日(土)14:00〜17:00 (13:30から受付開始)
定員:12名
参加費:1000円(ドリンク付き)

オアシスのクッキーセット

〜本のカフェとは〜

本のカフェは、好きな本の紹介を通して、集まったひとがゆるやかに交流するイベントです。(これまでの本のカフェの活動については、こちら。)

内容:前半90分は、本の紹介者3,4人が、ひとり15〜20分ほどで本を紹介します。後半90分は、自由におしゃべりするフリータイム。

参加者:紹介者は、紹介する本の現物を持参してください。レジュメは必要なし。オブザーバーはなにもいりません。

 初参加の方もよくいらっしゃいます。お気軽にご連絡・お問い合わせください♪

本の選び方:ふだんはどんな本でもよい「本のカフェ」ですが、今回は、「池澤夏樹」になんらかの関係がある本の紹介を求めています。ただし、関係性は薄くても結構です。

大切なこと:ゆるやかな雰囲気を大切にしたいと思っています。紹介も、思い入れ、感想、あらすじなど、好きなスタイルで楽しく語っていただければ幸いです。逸脱もOK!

主宰:木村洋平(作家、翻訳家)

お申込はこちらまでご連絡ください。

メール:kimura-youhei◆live.jp (◆→@)
Twitter:@ginnyushijin
Facebookページ:「本のカフェ」で検索。

お名前と、「紹介者」か「オブザーバー(聴く人)」を選んでお知らせください。紹介はかんたんな、気楽なもので結構です。初めての方の紹介もお待ちしております。

*ご注意・ご案内*

・メールの際は、毎回、最後に署名かフルネームをお入れください(とくに携帯の方)。

・紹介される本は、『池澤夏樹の旅地図』『パレオマニア』の二冊が決まっています。あとは、『静かな大地』。そのほか、主宰の僕が概説を担当する予定。ほかの本も決まり次第、ここに載せてゆきます。

・お問い合わせは、道立文学館にはおこなわず、主宰の木村へ直接、ご連絡くださるようお願いします。

・本のカフェでは、毎回レポートを作成して記録として残していますが、そこで使う写真は、許可をいただいた方のみ、掲載しております。「写りたくない」とのご希望の方、ご安心ください。

カフェのメニュー

ただいま、道立文学館では「ムーミン展」を開催中。ファミリーも楽しめるし、8冊の小説を読み込んで図解したプレートもあり、映像もあり、写真撮影も可!と、幅広い層に訴えるすぐれた内容となっていました。

初版本だったかな?スウェーデン語

可愛いですね。ムーミンハウスの模型。大きいです。

写真を撮れるスポットもあったので、僕も一枚。(当日、お世話になる喫茶店の女性マスターに撮ってもらいました。)


ムーミン展は11月9日(日)まで!たくさんのお客さんがお越しになっているようですよ。


2014年10月16日木曜日

ネイティブ・アメリカンについての詩

ネイティブ・アメリカン(インディアン)と親交があった著者による詩集より。著者自身は、ふつうのアメリカ人だが、この詩集にはネイティブ・アメリカンの力強い精神が息づいていると感じる。

拙訳でふたつの詩を紹介したい。タイトルはともにない。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

The rock strengthens me.
The river rushing through me
Cleanses
Insists
That I keep moving toward
A distant light
A quiet place
Where I can be
Continuous
And in rhythm with
The song of summer
That you have given me.

岩はわたしを強くする。
川は激しくわたしのうちを駆け抜け
清めながら
告げる
遠い光を
静かな場所を
目指して動き続けよ、と。
そこで居場所を得られるように
あなたがわたしにくれた夏の歌のリズムのうちで。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

Hold on to what is good
even if it is 
a handful of earth.

Hold on to what you believe
even if it is 
a tree which stands by itself.

Hold on to what you must do
even if it is
a long way from here.

Hold on to life even when
it is easier letting go.

Hold on to my hand even when
I have gone away from you.

善きものを握りしめなさい。
それがひとかけらの大地であれ。

あなたの信じるものを握りしめなさい。
それが自らによって立つ一本の木であれ。

あなたがなすべきことを握りしめなさい。
それがここからの長い道のりの果てであれ。

生を握りしめなさい。
それを手放した方が楽なときであれ。

わたしの手を握りしめなさい。
たとえわたしが永遠に去ってしまっても。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
僕はネイティブ・アメリカンの思想、信仰に一番、強く惹かれる。

詩は『今日は死ぬのにもってこいの日』(原題:MANY WINTERS)に掲載されている。上記は拙訳だが、この本は対訳になっている。訳もよい。

また、ネイティブ・アメリカンの生活誌については、河出文庫の『インディアン魂』が緻密でおそらく正確な取材に基づき、良書と思われる。

【書誌情報】
『今日は死ぬのにもってこいの日』、ナンシー・ウッド著、フランク・ハウエル画、金関寿夫訳、めるくまーる、1995
『インディアン魂』、レイム・ディアー口述、リチャード・アードス編、北山耕平訳、河出書房新社、1998

2014年10月10日金曜日

【レポート】本のカフェ@函館、蔦屋書店

2014.9.20.(土)15:30 - 18:00


函館の蔦屋書店さんにて、本のカフェ第11回を開催してきました。函館の蔦屋さんは、"TSUTAYA"と同じ系列ですが、お店作りにこだわり抜いた高級志向のブランドで、代官山が1号店になります。2号店がここ、函館なのですね。




「書店」と言いつつも、化粧品から文具、音楽のレンタルと販売など文化的な要素が詰まった「文化のショッピング・モール」のような場所。子供が遊ぶスペースもあり。スターバックスも入っていますし、カジュアルからきちんとしたお食事までできるレストランも2階にあります。そして、とにかく広い。

ここは生活雑貨

右手にスターバックスのカウンターがある。


ふだんは撮影禁止なのですが、今回は、本のカフェ主催者ということで、とくべつに許可を得て店内を撮影できました。

中央広場のような場所



さて、2階のレストランFUSU(フースー)さんの個室にて、本のカフェが始まります。参加者は6名。(主宰を除く。)ほんとうはあとお二方来られる予定でしたが、やむを得ない事情でキャンセル。



自己紹介タイムでは、「好きな文具」というお題で各自、答えていただきました。マスキングテープを数十本(!)持っているという方から、ジェットストリーム(ボールペンですね。)好きがおふたり、キーボードにこだわりがあり、アームレストのあるものがよいとのご意見も。Macの大きなモニター、Kindle、猫のデザインの雑貨など。


一冊目は、『アラブから見た十字軍』。アラブの春はなぜその後うまくゆかないのか。素朴な疑問から紹介者さんが手に取ったのは、西洋の十字軍をアラビア側の資料をもとに描き出した本。キリストの墓を奪回するために、行く先々の村を焼き払い、略奪し、奴隷を売り、町を支配しながら進軍する十字軍が浮かび上がる。「歴史は覚えるものではなく、ひもとくもの。世界の認識が変わる。」と、もともとは歴史ぎらいだった紹介者さんの談。


 二冊目は、村上春樹『1973年のピンボール』。村上春樹では、初期の三部作(『風の歌を聴け』〜本作〜『羊をめぐる冒険』)が好きだという紹介者さん。ほとんどが比喩で書かれた小説。センテンスが短く、詩のよう。『ノルウェイの森』からヒット作を出し続ける春樹氏は、とあるインタビューで「風の歌を聴けと1973年〜は、失敗作」と言ったそう。また、「易しい言葉で難しいことを語りたい」とも。それで翻訳調の文体なのか。


三冊目は、イザベラ・バードの『日本奥地紀行』。イギリスの女性で探検家。明治の東北、北海道を探検した。横浜〜東京〜栃木〜新潟〜青森〜北海道とゆく。通訳兼助手を連れてのひとり旅。読みやすくイメージしやすい文章は「言葉の写真」のよう。日本人を格下にみてけなし方がきついものの、アイヌの人々を好意的に眺めてよく褒める。彼らの話の聞き取りもしている。紹介者さんは、伊達の善光寺の夕焼けの名文に惹かれる、という。


フリータイムは1時間。オーガニックコーヒー、ベイクドチーズケーキなど見るからに美味しそうな注文を追加しつつ、コーチャンフォーの展開、函館の本屋一覧の話など。ローカルトークで、「おばけトンネル」や昭和温泉。おいしい居酒屋や海釣りのポイントの話。リュートを流す「ほほえみ」という食事処があるという噂も聞きました、いまもあるのでしょうか。


今回は、初の函館開催でしたが、親切な蔦屋書店のスタッフの方々のおかげで、準備のときから大変、助けられました。また、受付・撮影を担当してくださったWさん、広報を手伝ってくださった方々、札幌から馳せ参じてくださった紹介者の方を含め、参加者のみなさまにも厚くお礼申し上げます。ありがとうございました。函館、第二回があれば、またよろしくお願いいたします。

主宰・文責 木村洋平

2014年10月1日水曜日

「ロバのおうじ」リュートと朗読



先日、札幌で「ロバのおうじ」朗読音楽会を聴いた。リュート奏者の永田斉子さんが主宰している音楽会で、「ロバのおうじ」という絵本を朗読者が読みながら、それに合わせてリュートを奏でるというもの。

「リュートソング」でも「リュート弾き語り」(ひとりでやる)でもなく、朗読者の方と協力しながら、さらに、プロジェクターで挿絵も場面ごとに投影しながら、リュートを奏でる、めずらしい試みだ。

「ロバのおうじ」はグリム童話を下敷きに、子供向けに翻案されたおはなしで、ほるぷ出版から出ている絵本をもとに台本を組んでいる。あらすじはかんたんで、ロバの姿で生まれたおうじが、おひめさまの愛を得て、幸福になる物語。

おはなしでは、このロバのおうじさまがリュートを弾くという設定になっており、そこで、物語全体にわたって永田さんのリュートが伴奏をつける。すべて永田さんの選曲で、どこかで聴いたことのある民謡調のものから、ダウランドの有名曲も入る。

リュートを伴う朗読は、古くはアラブの慣習に遡り、アラブの楽器「ウード」がヨーロッパに移入して「リュート」となる流れに伴って、ヨーロッパに輸入された。アラブでも詩の伴奏にウードが用いられたし、ヨーロッパのリュートは叙事詩、英雄の物語などに伴われたという。たとえば、12、13世紀のシチリアがそうであった。

さて、リュートと朗読、それも30人規模のギャラリーでの演奏はすばらしい聴き応えだった。100〜200人のホールでのリュートソング・コンサートは聴いたことがあるが、リュートは歌声にかすんでしまいがち。この小さなスペースだと、リュートの音色がふくよかに響き渡る。

また、朗読者の声とリュートが、ちょうど同じくらいの音量で響き、平行し、絡み合い、掛け合いをするのも面白い体験だった。おふたりは左右に分かれて座るのだが、右から朗読が、左からはリュートが、ときにそれに先んじて、ときに遅れて奏でられる。

永田さんは、この朗読音楽会を通じて、リュートを知らないひとにも馴染んでもらおうと、リュートの普及も目指されている。今後、活動を本格化させてゆき、全国を公演して回ろうとのお考えもあるようだ。すばらしい取り組みだと思います。

これから、あなたのまちで「ロバのおうじ」朗読音楽会があれば、足を運んでみてはいかがでしょう。リュート愛好家のひとりとして、リュートや古楽と呼ばれる音楽に馴染みの薄い方にも、すでに十分、それらを楽しんでこられた方にも、おすすめしたい公演です。

blog : 永田斉子の『リュートと過ごす日々』
【書誌情報】ロバのおうじ、M.ジーン・クレイグさいわ、バーバラ・クーニー絵、もきかずこ訳、ほるぷ出版、1979


2014年9月30日火曜日

【俳文】札幌便り(23)

9月は病と旅に暮らす。名月の夜は、龍のような雲が流れるも、雨の降らなかった札幌。雲間の眼のように満月の明かり射した。

名月が北の大地へようこそと

いまもって居着かない北の大地にあらためて誘う。翌朝、

朝顔が忘れた頃に咲いて来た

関東では暑い盛りに咲く朝顔も、ここではだいぶ涼しくなった頃に一斉に咲く。

白樺の一葉落ちてまた静か

これは円山公園にて。「桐一葉」の季語もあるが、僕が佇んでしまうのはいつも白樺の雑木林。

柿ひとつ握りてどこか引っ越すか

「か」の音がぶっきらぼうになったが、引っ越しを考えている。それはそれとして、函館に旅に出た。

秋霖(しゅうりん)やキオスク白き始発駅

札幌発、特急「スーパー北斗」に乗り込む。旅の始まりはいつもどこか不安である。汽車は海沿いを南へ走る。

秋の海青から碧(みどり)へのキュビズム

ちょうど、キュビズムの絵画のように光が跳ねる。途中からまた雨が降り、やがて上がる。

道南に秋雨止んで青い家
秋の虹たもとあたりは五稜郭

函館では読書会を開いた。翌朝は浜を歩く。水平線のあたり、おぼろげに下北半島が見える。

この浜は芭蕉も見ずや秋彼岸

そう思うと不思議な気がする。芭蕉も北海道までは上陸しなかった。目を閉じて、

潮騒の右から左へ秋の海
空き瓶のなれの果て拾う秋の浜

ガラスや貝殻がよく見つかった。元町や十字街の方を歩く。函館の旧市街である。

倉庫にも蔦が絡んでカフェになり

この倉庫も百年以上の歴史があるのだろうか。レトロなお店で、三、四十年前のコーヒーカップをひとつ買って帰る。また円山公園で白樺のかたわらに佇む。

ゆく秋を二匹の犬が見守りぬ

同じように立つ犬の飼い主がいた。

赤とんぼ耳にぶつかってごめんよ

小さなのがたくさん飛ぶ。膝をくぐり、耳にぶつかる。そこへ、一陣の風が吹いた。

バツンバツンどんぐり渡し吹きにけり

土の上、アスファルトの上へばらばらとどんぐり(櫟ではなく、楢の実)が落ちる。これは毎年、この時期に吹く風で「どんぐり渡し」「どんぐりこぼし」と勝手に名づけている。そうかと思うと、静かな橋の上。

足音のたれかと思い黄落や

かさり、かさかさと紅葉ゆく。家に帰って梨を剥いた。

梨ざりりつるるしゃきしゃき甘いこと

切って、剥いて、噛む。そういえば、いつか母が花梨の実を煮込んでいたことを思い出した。

なりそうでジャムにならずや花梨の実

蜂蜜漬けにしたのだったろうか。

2014年9月25日木曜日

アヤシイ函館

函館は歴史のある街だ、ということはよく言われます。それは、「レトロ」な市電であったり、旧市街の夜景であったりするわけですが、美しいものばかりではありません。

ここで紹介したいのは、ちょっと「アヤシイ」函館の風景、衰退していると言われるなかで、時の流れからこぼれ落ちた、むかしを偲ばせる函館の裏の情緒です。


さっそく来ました。廃墟の雰囲気すら漂わせるマンションです。しかし、「入居者募集中」。実際、住まわれている方もいらっしゃる(洗濯物が干してある)ので、あまりあれこれと憶測は書けません。


ここは空き屋。「ストロング牛乳」の配達箱が。


ここも空き屋です。潮風で傷むのが早いのでしょう。貫禄があります。



大門と呼ばれたかつての歓楽街、繁華街。いまは往時の面影を偲ぶのみ。アーケードの蛍光灯は、2本抜かれ(全部抜かれているところも)、茶色く錆びきっています。そして、看板のかかった「菊水小路」には、ふたりの人影。ひそかな名店が点在するという噂です。


松風町の電停ですが、「大門」の文字があります。住所にはなっていない名称ですが、以前の繁栄はこの名前に残されています。大門。


少し暗い写真が続いたので、元町のお店へ。1107の店名の由来を聞くのを忘れましたが、「昭和モダンレトロ」の看板がすごい。意味はわかるのだけど、「モダン」なのか「レトロ」なのか、ちょっと迷うところ。


市電に乗って五稜郭方面へ。市電は細部まで情緒があります。



古い看板目白押し。いろんなものが揃っていますね。


函館と言えば「ラッキーピエロ」というくらい有名な地元のハンバーガーチェーン。西洋中世の絵がわかる方はよーく見ていただきたいのですが、おどけたピエロの回りは中世の光輪をもつ天使たちで一杯です。


これは、とある飲食店のトイレ。「とんでもない事に…。」なるのか。



ほんとうはもっと素敵な光景もお目にかけたかったのですが、長くなったのでこのあたりで切り上げます。「ハコダテニキテクダサイダー」。ご当地らしいネーミング。だけど、「函館限定」というより、この自販機以外で見かけなかった気がする。


そして、最後はこれ。函館朝市の近くに止まっていたバスの広告です。「サーモンピンク」「アスパラグリーン」「カニカニレッド」(ブーツ(長ぐつ))「新鮮ブルー」「とうきびイエロー」。

「GO!GO!函館朝市 栄屋レンジャー号」と書かれたバスでした。

もうどこからツッコめばいいのか……。

これにて、ひとまず「アヤシイ函館」レポートを終わります。

僕は函館が大好きですし、こうしたアヤシイ雰囲気、レトロなもの、古びた町並みなどもすべて包み込んで楽しんでいますので、この記事がみなさまにとってイメージダウンとならないことを祈ります。

見所はかぎりなくあります。街全体が、ひとつの冒険島です。「函館、一度は探検してみたい!」と、思ってくださいますよう。

おしまい。