2019年5月27日月曜日

【イベント告知】哲学カフェ@池袋6月22日(土)


こんにちは! 哲学カフェを開くのは、久しぶりです。
作家、編集者、ライターの木村です。

【概要】
日時:2019年6月22日(土)14時〜16時半(その後、二次会あり)
場所:池袋のフリースペース(池袋駅から徒歩10分ほど。個別に連絡します)。
定員:12名
参加費:500円

テーマ:ファンタジーは人生にとって大切か?

進め方:人数によりますが、4名ずつ、チームに分かれる「ワールドカフェ」方式を使おうかと思っています。多少、ワークショップぽくなるかも。
⇒ 人数10名に満たないため、ひとつのテーブルで話そうかと思います(追記:6/21)。


さて、ファンタジーについて、作家のマーク・トウェインはこんな言葉を残しています。
(*正確な引用ではないです)。

「ファンタジーがなくても、ひとは生きていくことができる。だが、ファンタジーをなくしたら、ほんとうの意味ではおしまいなのだ」

──興味深い警句(アフォリズム)です。

1.ファンタジーは大切なのか?
夢、空想、物語、芸術(全般ではないにせよ)、現実でない話をすること、希望……そうした「ファンタジー」は、やはり人生において重要でしょうか。それとも、さほどではないでしょうか?

2.ファンタジーとはなにか?
これはサブテーマです。哲学カフェでは「定義」を追いかけ出すとキリがありませんから。

ただ、「ファンタジー」と言っても、「ハリー・ポッター」や「指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)」等々の「ザ・ファンタジー小説/映画」にかぎらず、広く考えてよいと思っています。

以前、「小川洋子さんのようないわゆる純文学の作家だって、現実には起こらなそうなことを書いているのであり、それだって、"ファンタジー" と呼べるのでは」といった意見を聞いたこともあります。

〜・〜・〜・〜・〜・〜

今回も、「本のカフェ」で使っていた、「安心ルール」を適用します。セキュリティ・ポリシーとして参加者の安全のため、ご一読ください。

また、今回は哲学カフェを主宰しているエスプリ・プロジェクトさんのご協力を得て、開催します。

お申込は基本、メールですが、個人的に木村の連絡先を知っている方は、LINEなどでもよいです。
kimura.youhei.01あっとgmail.com

それでは、お会いできるのを楽しみにしています!

主催:木村洋平
協力:エスプリ・プロジェクト


2019年5月25日土曜日

【哲学エッセイ】世界に対する信頼があるか、ないか


Twitterで見かけた話で申し訳ないけれど……

「好きな女性に "好きなタイプの男性はどんなですか?" とたずねてみたら、"世界をうらんでいないひと!" という答えが返ってきてショックを受けた」

「世界をうらんでいない」という表現。

□ □ □

世界に対する信頼があるか、ないか。

漠然とでも「世界は信頼に値する」と思えるととてもいい、そう思えるひとでいたい──と、ときおり考える。


少なくとも世の中には、そう思わせてくれるひとがいる。
「ああ、じぶんの回りのこの世界を信じたっていいんだな」と。


そしてまた、信頼される世界の一部にじぶんもなろう、とも思う。




ひとりひとりすごいところ


人間って、ひとりひとりすごいところがあるな〜と思う。
ひとりずつ、具体的にみつけていくんだよ。

□ □ □

ぼくが言いたいのは、博愛とか平等とか、人間の尊厳とか人権といった話ではぜんぜんない。

ただ、「どこにでもいそうなひと」がつきあってみると、はじめは気づきもしなかった魅力やおもしろさをもっている、そういうことがざらにある。

一見して、ぱっと見で、第一印象では、わからないこと。
気づいていけるだろうか。ゆっくりと時間をかけて。


ナチュラリストに連れられて──横浜散策

氷川丸

真夏日の今日、友人のナチュラリストに連れられて、横浜を散策してきました。港の見える丘公園から大桟橋まで。


薔薇園はにぎわい、ネモフィラにはっとしました。



山下公園の木陰で、ぼくがウクレレを弾くと、彼は木にもたれかかって、そのまま寝てしまいそうでした。

ぼくは暑さ対策をずいぶんして行ったのですが、彼はサンダルにボディバッグ、いたって身軽な出で立ち。ちなみに、鞄の中身は2冊の本でした。

「この時期になると、寝袋なしでも海岸で眠れますよ」

それはキャンプというより、野宿。

日々、筋トレしてプールで泳ぎ、再来週はボートを漕ぐそうです。

しかし、べつに筋肉質になりたいわけではなく、週末のお出かけではよく季節の草花を鑑賞しているそう。

その自然への愛は、ぼくに(『森の生活』を書いた)H.D.ソローを連想させます。

どことなくスナフキンですね。

今日はおつきあいありがとうございました。

2019年5月22日水曜日

グラナダの密度と重力

『孤高のリアリズム』

画家、戸嶋靖昌(としま・やすまさ 1934-2006)の画集を観る。
40歳の頃スペインに渡り、小村に一年、その後、グラナダに拠点を移す。25年以上を向こうで過ごした。

バロック絵画に惹かれた戸嶋の絵には、たとえばレンブラントの趣がある。けれど、一番強く「残響」を感じるのはセザンヌ。ときに、ルオーを思わせる絵も。

その絵にはどれも凄みと落ち着きがある。長い時間を閉じ込めた絵だ。その土地に暮らした、というひとだけが描ける土地の空気、風土。グラナダの密度と重力。

とりわけメンブリージョ(西洋花梨)を好んで題材としたが、そこには音楽性がある。花梨の腐る過程までをも描き、「見捨てられたものの中に、美しいものがある」という言葉を残したそうだ。

参考:戸嶋靖昌記念館ホームページ

2019年5月19日日曜日

母語のアイデンティティ

写真は、べつの友人の新刊
カナダに住む友人とおしゃべりする時間あり、母語の大切さについて教わった。

□ □ □

「わたしにとっては、日本語がアイデンティティなんです」と友人は言う。
そして、インターナショナルスクールに行った日本の子供の話をしてくれた。

その子は小学校の頃から英語を学ぶ環境にいたが、成人しても基本的な漢字が読めない。結局、国際結婚をして英語圏に住むが、ネイティブからは「あなたの英語力は足りない」と言われる。

そのひとには「じぶんの母語はこれだ」と思える言語がない。拠り所がない。それはアイデンティティに直結する。

六カ国語を話せても、ひとつの母語をもてないひともいる。

そもそも、こんな話はすでにもっと著名なひとが語っていることなのだが。第一言語を大事にして、マスターすべきだよ、と。

□ □ □

では、母語が身についた、と言える基準はなにか。

それは、他人から言語について欠点を指摘されたとき、ほんとうに迷うか、ぱっと振り切れるか、だという。

実際に、カナダにいて、じぶんよりも漢字にくわしいカナダ人から「あなたはこんな漢字も読めないの? 日本人なのに!」と言われたことがあるらしい。けれども、「それは読めなくてもかまわない漢字で、一般に読めないひとも多い」と思える。そのことでアイデンティティは揺らがない。

でも、第二外国語である英語はちがう。友人はすでに20年か、30年は英語圏に暮らしているが、英語のまちがいを指摘されると「わたしが常識的なことを知らないのではないか?」と迷いが生じる、という。

そこが「母語」たりえるかどうかの、大きなちがいらしい。

□ □ □

カナダの友人は「日本の学校教育はすごくしっかりしている」と言っていたけれど、これから、いろいろな面でおおいに変化するかもしれず、また変化せざるをえない部分が増えるだろう。

ことば。

言語。

母語。

自分を支えるもの。じぶんのからだに、思考に、こころに、染みわたっているもの。

2019年5月13日月曜日

思いつくまま


文芸のひとらしい発言をしようと思って、文芸のひとらしい発言をする。

詩的なことばを書きつけたくなって、詩的なことばを書きつける。

知的なことを言ってみたくて、知的なことを言ってみる。

……

いつでも、自然に話すのが一番。

思いつくままに。

「適度にポンコツ」

ラムネのビー玉が好き

最近、ふいに褒められ、持ち上げられる、ということが続いた。
だからって、調子に乗っちゃダメだよ。

□ □ □

ぼくは、たまに「スゴイひと」だと思いちがいをされるらしい。
だが、たいていは「よくわからないひと」としてスルーされているようだ。
そして、じぶんでは「適度にポンコツ」なのがよいところだと思っている。

最後のは、楽観的にすぎるかな?

2019年5月10日金曜日

さみしい、さみしくない


さみしい気がしても、周りに合わせて、笑って、楽しく、働いていると、寝る前に疲れるね。

さみしいときに、さみしい、と言える相手がいたら、さみしくないね。

2019年5月9日木曜日

服装に気をつけよう!


さて、仕事の先輩と打ち合わせで衝撃のひとこと。

「ひとは見た目が9割ですよ」

本のタイトルでは目にしていたけれど、面と向かって言われるとどきっとする。

「もちろん、一番だいじなのは実績ですけど」

と付け加えつつ。

その日のぼくの格好は、黒のパンツ、白のボタンダウンシャツにネクタイはなし。ジャケットを羽織っていた。

「うん、いいんじゃないですか」

合格だ。

ちなみに、相手の格好は、ハーフパンツ、Tシャツ、薄手のジップパーカー。あと、かわいい帽子。



さすがでした。
(結局は実績ですから)。

2019年5月2日木曜日

「打てば響く」ひとに


「打てば響く」をひとつの(令和元年の?)モットーにしよう、と思った。

メールなら返信が早い
おすすめされた本や映画の感想を言える
お礼の気持ちを伝えるときはぱっと手紙を書く

といったこと。

とくに仕事で、そういう「打てば響く」ひとになろう、と。

そして、どこかで余裕をもって、ぴりぴりしないこと。明るい鐘の音(カリヨン)のように、打てば響く。

さあ、はじめよう。

……でも、カリヨンは鳴りすぎかな?笑