2014年3月30日日曜日

【俳文】札幌便り(17)

東京にて三月を迎えた。初春の気に満ちている。

 野に生えて苦み走りぬ春菊も

春菊の野生の苦みと、世を渡り単純でいられなくなる人間の様とが重なる。暖かい日に家のそばをそぞろ歩いて。

 白梅のひとつらなりに伸び上がり
 みてごらんみな上を向く桜の芽
 喪の門(かど)を過ぎて隣家に桃の花

まばらな紅梅と、空へ伸び上がるような白梅。初桜はまだ開かず、だがつぼみはどれも枝ごと持ち上がるように上を向いている。そして、滞在中に開花も見ることができた。

 トラックがかすめて散らす桜かな
 霧雨に彼岸桜の色づきぬ

ご近所に木や花の好きなおばあさんがいる。天ぷらにするというふきのとうを見せてくれた。

 ふきのとう摘む手はやさし足早し

最寄りの駅まで歩き、都心の友達に会いに行く。

 囀(さえずり)やそこな垣根の曲がり角
 夜遊びの子を座して待つ夏蜜柑

「夏蜜柑」は俳句では春の季語。台所で剥くデコポンが美味しい季節だ。ところで、文章を書いているとたびたび思うことだが、「気を利かせよう」として率直さが失われる。ふらんす語ではエスプリと呼ばれる楽しみも、ほどほどにしようと僕は思う。

 麗か(うららか)や才気に走ることなかれ

祖母の家に泊まりがけでお手伝いにゆく。懐かしいおもちゃを見つける。庭には斑入りの椿。

 ガタガタの雨戸開ければ日脚伸ぶ
 けん玉のひとり遊びや春の宵
 ひとひとり浸かれる風呂や落椿

桜並木が満開になる前に東京を発つことになるが、

 ゆくべきを花に覚ゆる里心

里心がつく。上五は「ゆくべきところを、しかし」の意。それでも、夕方の飛行機に乗った。空が三層に分かれて、上から薄い水色、赤やオレンジの夕陽、淡い群青色に染まる。

 七色の春夕焼や雲の上

札幌で詩心を新たにする。

 山笑へ灰色の雲仰ぐとも

「山笑ふ」は春の季語だが、命令形では使わない。反則に挑戦してみる。裸の木々と白い雪に覆われた山が笑い出して、雪を解かし生命を満たしてほしい。

 春泥(しゅんでい)をそろりそろりとまたぐ靴
 あっちを見てもこっちを見ても雪間草(ゆきまぐさ)

雪間草は、雪が解けた隙間から見える草。それにしても、二月の末とはずいぶん風景が変わった。道や屋根の雪がどっと解けて、街が姿を現したかのようだ。

 三月は札幌の嵩(かさ)減らしけり

カナダの友人からいただいた、家のすぐそばで採れたというはちみつが霧がかった札幌の朝の日差しに輝く。

はちみつを黄金(こがね)に思う春の朝

昼には、二月に雪まつりの会場としてたくさんのひとを集めた大通公園を歩いた。

 大通残雪(ざんせつ)どもが夢の跡

わずかな雪、萌え出づる草。兵(つわもの)どもが夢の跡、と涙する芭蕉とはうってかわって笑顔ほころぶ札幌、仲春のひとこま。

2014年3月16日日曜日

『雪のひとひら』を読む。

ポール・ギャリコの『雪のひとひら』を読んでみましょう。雪のかけらの生涯を扱った物語、それは長めの童話のようです。雪のひとひらは、はるか上空で生まれ、地上へと降りてゆきました。

 おかしなこと、と雪のひとひらは思いました。どちらをむいても、わたしとおなじ、生まれたばかりの雪の兄弟姉妹がこんなに大勢いるのに、それでいてこんなにさびしくてたまらないなんて。

雪のひとひらは思弁的な——自分を作った造物主への問いかけをときどき頭に浮かべながら、「旅」をします。春になれば解けて水となり、村里を抜けてゆきます。
 
 いましがた苔の上にうずくまる蛙のエメラルドグリーンを帯びていたかと思えば、つぎの瞬間には、小川におどるすばやい川鱒(かわます)のえらのひらめきを映して、つかのま真紅にそまったりしました。

こうした自然描写の美しさは、著者自身が体験したもので、単なる想像のなかの自然ではない、と思います。流れ流れて、雪のひとひらは水車へと落ちてゆきます。

 滝のざわめきと、巨大な水車の轟きと、がたんごとん、水勢におののきながらゆっくりとめぐる水車のあらゆる部分から発するものすごい軋み、唸りと、粉挽き小屋のなかの挽臼(ひきうす)のあらあらしい音とで、耳を聾するばかりのものすごさでした。

これも、ヨーロッパの村の実際の風景でしょう。さて、雪のひとひらは旅のなかで「雨のしずく」と出会います。彼もひとりで旅をしてきたのですが、ふたりは恋をして結ばれます。そこから物語は中盤に入り、幾多の危機や苦しみを迎え、そうして、「雪のひとひら」が空へと帰る場面で終わります。

訳者による解説では、最後の一文についての言及があります。それは、神様の言葉なのですが、

「ごくろうさまだった、小さな雪のひとひら。さあ、ようこそお帰り」

というもの。原文は、"Well done, Little Snowflake. Come home to me now." だそう。これは訳し方の想像が広がる文です。たとえば、"Well done"は「よくやった」「がんばったね」といった訳もできなくはないでしょう。

そしてなにより、"Come home" "to me"のところに目がゆきます。なぜなら、これは雪のひとひらがさすらいの旅から安息の天へ帰る物語ですから、「この天上があなたの故郷だよ」という意味で  "home" の言葉は印象に残るからです。また、作中で、雪のひとひらは自分を作った造物主について、何度も思いを馳せていたのでした。それに対して、"to me" があるわけです。「わたしの懐へおいで」と。

こんな風に考えられるので、解説で原文を紹介してくれたのはよかったな、と思うのでした。

【書誌情報】『雪のひとひら』ポール・ギャリコ、矢川澄子訳、新潮文庫、1997年

2014年3月15日土曜日

『巨人たちの俳句:源内から荷風まで』を読む。

ちょっと変わった俳句の本。6人の巨人たちの俳句を紹介する。

小説家の永井荷風(ながいかふう)、社会主義者の堺利彦(さかいとしひこ)、民俗学者の南方熊楠(みなかたくまぐす)、禅僧の物外和尚(もつがいおしょう)、博物学者の平賀源内(ひらがげんない)、歌舞伎役者の二世市川団十郎(いちかわだんじゅうろう)。

この6人だが、みな俳句で有名になった人物ではない。あくまで私的な生活のうちで俳句を詠んだひとびと。彼らの生涯を追いながら、俳句を鑑賞してゆこう……と本書は誘う。

小説家の永井荷風は、山の手のおぼっちゃんだったそう。著者は、彼の膨大な日記資料を読み解いてゆく。文も俳句も、そのまま文学になりそうだ、と言う。

帰途月おぼろなり。道源寺の犬余の跫音をききつけ従ひ来りし故バタとパンとを与ふ。即興の句を得たり。
雨霽(は)れて起きでる犬や春の月

また、著者も好きだという「紙雛や箪笥の上のまどあかり」は、僕も好感をもった。

社会主義者の堺利彦は、日本でも最初期の活動家で、「平民新聞」を刊行している。何度か獄中に入れられ、その最中に、盟友の幸徳秋水を大逆事件で亡くしてもいる。ところで、俳句で面白いのは「平民新聞」に載った竹下夢二のもの。狂句の趣。

 人間僅か五十円程とりたがり
 蝶ひらり花ひらり瓢(ひょう)ぶらり哉
 迷ひ児の家きくころを春の鐘

堺のものとしては、

 元日や先ず叩きわる厚氷

が秀逸と思った。

南方熊楠は省略して、物外和尚。「げんこつ和尚」の名でも通った禅僧である。

 雷神(なるかみ)の力も蚊帳の一重かな
 世の中はひけて治まる鹿の声
 武蔵野ははなればなれに時雨けり
 世の中は三分五厘梅の花
 極楽もこの通りなり盆の月
 水くめば山をうごかす冬の川

蚊帳越しにみる雷の句は、飄逸。「ひけて治まる」は語感がいい、具体的な意味はわからない。「三分五厘」も子細は不明。「水くめば」の句は、冬の川にぴっと映った山だろう。

平賀源内は省略して、二世市川団十郎。冒頭に

 春夏と芽花だちよき柳哉

の句。季語の重なりはよくないと言われるが、「春」「夏」「花」「柳」と四つ。「目鼻立ち」と掛けた言葉遊びも覗かせて、自在な境地を思わせる。蕉門の其角(きかく)を師としていた。

以下は晩年に詠まれたもの。

 物洗ふおとおさまりて天の川
 陽炎や仏ももとはたはこ好
 山伏の畑を通る暑かな
 浦風や千鳥の中に馬の耳
 花に蝶使がきたら起すへし
 しつかさよ畳の上の宝ふね

こうして、この本を読んでみると、6人の職業や人柄が句風に反映されているのがわかってくる。ここではひとりひとりの人生までは紹介できなかったが、挙げた句や人名にご興味があれば、面白く読める本だろう。最後に、著者のあとがきより。

 歴史に残るような大きな仕事をした人物が、どうして晩年まで俳諧・俳句をつくり続けたのだろうか、という興味が、本書を書くきっかけでした。(中略)
 今、六人の巨人たちの俳諧・俳句を読んできて見えてきたことは、この人たちのいわば本業は、荷風の小説、二世団十郎の舞台などを考えても、公的に、社会に向けて提供されるものですが、これに対して、俳諧・俳句は、極めて私的な、ほとんど非社会的なものであるということです。

パブリックな像とはべつに、等身大の個人の営みをもちたい、ということから彼らは俳句を続けたのではないか、と著者は推察しています。なるほど、読み終えて説得力のある跋文です。

【書誌情報】巨人たちの俳句:源内から荷風まで 磯部勝 平凡社新書 2010

2014年3月11日火曜日

【東京新聞のまとめ】2014年3月11日

かんたんながら、今朝の東京新聞をまとめてみよう。反原発、特定秘密保護法反対など、旗幟鮮明な地方紙。読めないひとにも興味ある方がいると思うので、3月11日の朝刊より。

死者1万5884人 行方不明2633人 震災関連死2993人 避難者26万7419人

【一面】は「海を取り戻す」「絆を結び直す」の見出し。
相馬の漁師の言葉が載る。

【二面】「今、福島の海は」「魚種で汚染濃度に差」の見出し。

 水産庁のまとめでは三年たち、魚の検査で食品安全基準(1キログラムあたり100ベクレル)を超えるセシウムを検出する頻度はかなり減った。……体内のセシウムを排出しやすいイカやタコ、カニや、稚魚のコウナゴ、シラウオはほとんどND(検出限界以下)だ。
 対照的にヒラメやカレイ類、メバルなど、本来福島の漁業の中心となっていた沿岸の海底近くに暮らす魚は、検出頻度や濃度の下がり方が鈍い。
 【三面】「復興庁 役割果たさず」の大見出し。

 復興庁は2012年2月に発足した。構想段階では、復興事業を円滑に進めるため縦割り行政を排除し、各省庁の復興事業や権限を統合して、政策の立案から実施まで一手に担うはずだった。ところが、既存の省庁が自らの権限や予算を復興庁に奪われることを恐れて、……「骨抜き」にしてしまった。
 
【四面】「福を呼ぶ 日中学生交流」の見出し。
福島県と上海の高校生の交流を大きな写真入りでレポート。

扱いは【13面】だが、重要だと思われたのは、「限度値 去るベテラン」の記事。
 被ばくの危険と闘いながら廃炉作業を担う作業員なくして、事故収束はあり得ない。現場を熟知し、作業の中心となるベテランたちが、被ばく線量限度に近づき、次々と福島第一を去っている。
 限度値は「5年間で100ミリシーベルト」……例えばこの3年間で限度値を超えた人は、限度値がリセットされるまで2年間は原発で働けない。……「残り2年の仕事の補償はない。」
 
ほかにも、1〜4号機の現状を伝える「手つかず 溶融核燃料」の記事(メルトダウン(炉心溶融)した1〜3号機の現在。)も図入りでわかりやすく、重要と思われた。

以上で、かんたんながら、まとめを終える。

2014年3月1日土曜日

『1984 フクシマに生まれて』レビュー

この本は、『困ってるひと』のベストセラー作家、大野更紗さんと、フクシマ論で一躍、脚光を浴びている開沼博さんのおふたりが、6人のユニークな人物と鼎談した、その書き起こし。ふたりは偶然にも、同じ1984年生まれ、福島県ご出身。それで、このタイトルになりました。

【書誌情報】『1984 フクシマに生まれて』大野更紗、開沼博、2014、講談社文庫オリジナル

大野更紗さんは、難病の当事者であり、作家。その発症以後の記録をユーモアあふれる筆致で綴った『困ってるひと』は話題を呼ぶ。いまはポプラビーチで「シャバはつらいよ」を連載中。

開沼博さんは、原発と福島をテーマに研究してきた(震災以前から)アカデミックな研究者。とくに中央と地方の関係を読み解く。著書に『フクシマの正義「日本の変わらなさ」との闘い』ほか。

(*『フクシマの正義』については、【珈琲ブレイク】においても書評を書いています。こちらを参照。)

では、引用を中心に(途中まで)内容を紹介してゆきたいと思います。まだこれからこの本を手に取るかもしれないひとたちのために……。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

最初に自己紹介を兼ねて、ふたりが対談するのですが、スタンスのちがいが際だつのはここ。

大野「私に関して言えば、学生時代からちょっと背伸びしすぎなこともやらなきゃいけなかったりしたんですね。二十二、三歳の小娘がミャンマーの民主化がこの先どうなるかを一人で論ずるとか、開沼さんの場合は二十六歳の大学院生が日本の原発の行く末を論ずるというのは、ある意味で過剰な責任だと私は思っているんです。……(中略)……なまじそれに中途半端に対応できるために、ある程度相手が期待しているレベルを瞬時に感じ取って、アウトプットで答えてしまって来たんですが、ほんとうはこんなことしちゃいけないじゃないかなとう思いを持ち続けています。」
開沼「なんでいけないんですか? 代役はいくらでもいるんだから負担だと思うならやめればいい。」
  
ここには、大きな差がある。大野更紗さんは考える、とりわけ若さゆえに、「論じ手」としてまだまだ未熟ななか、途方もなく大きな問題についてさらりと問われ、さらりと答えることのこわさ、「有名な若手だから」という理由だけでそれが平然とおこなわれてしまう社会、「意見」をどしどし発表することも、どんどん求められることも、どちらもかなり慎重にならなければならないのじゃないか……開沼さんはこの感覚をまったく共有していないかのように答える。

この後も、すれちがいが続き、大野さんが「なんの体験者にもなれない。何も代弁していないのではないか」とまで言ったあとで、「修行の旅に出なきゃいけない気がして」と結ぶ。開沼さんは、平然と、「僕の場合は認識はまったく違いますね。あえて言うならば、ずっと修行の旅には出ているつもりです。」とポジティヴィストの自信を覗かせる。

ここの箇所、大野さんは開沼さんをまばゆくもすこし気掛かりを残して眺め、開沼さんはそういう機微に無頓着であったろう、と推察する。この話題はここで打ち切られる。

◆ 1人目の「鼎談」ゲストは、川口有美子さん。「ALS」という難病を母が患ったことをきっかけに、介護を始め、それがいつの間にか社会的にも広がり、NPO法人の立ち上げ、著書の出版、介護事務所の立ち上げ、などなど、獅子奮迅の活躍をなさっている方。病気の実際から、社会運動、一個の稀有な経歴、苦難に向かうときに宗教があった方がよいか、といった幅広い話題が具体的に語られる。

◆ 2人目のゲストは、駒崎弘樹さん。NPOフローレンスを立ち上げて、病児保育の問題に切り込んだ社会起業家。「社会問題をビジネスで解決する」社会起業家のロールモデルとも呼ばれる。地道な活動を重ね、話しぶりにも実直さを感じさせるが、それでいて軽快。

駒崎「僕の活動にはOS(基本ソフト)自体を入れ替えようというインパクトはなくて、ハッキングしてバグを修正しているイメージ。ほんとうはどこかのタイミングでOS、つまり体制の切り替えに力を注がなくてはならないのかもしれないけれど、今みたいに局地戦を戦って、少しずつ制度を変革していくほうがいいのかもしれない。」

大野さんは、鼎談の後で「駒崎さんは、いわゆるNPOの人でもなく、ロビイストと呼ばれる人の枠にもとどまらない、特異的なニュータイプです。」と書き、事業の現場をもちながら政策提言をしていく、「とっても建設的な営み」だとまとめる。

◆ 3人目は医師の小鷹昌明さん。震災後、大学病院の准教授という安定したエリート職を辞して、南相馬の市立病院に移る。

小鷹「私は最近、"介護士の地産地消"を目指さないと駄目だと主張しています。」「八十歳くらいの超高齢者を六十歳くらいのちょっと元気な高齢者が支える、……(中略)……というように、元気がない人をちょっと元気な人が支えるというシステム作りをしないと、どうにもならないんじゃないかと思うんです。」

高齢者が動けずに残り、若者の去った福島は「二十年後の日本の姿」、超高齢化が進んだ未来の先取りだと小鷹さんは言う。そして、南相馬市の社会福祉については、

開沼「外から人が入ってくるということについては、もちろん努力はするけれど期待はしないと?」
小鷹「十分な期待はしていません。……(中略)……よほどのことがなければ、外から来る人にどうにかしてもらおうなどというのは無理だと私は結論づけています。」

ふつうなら、コミュニティ作りと呼ばれるような活動にまで手を広げる小鷹医師。ひとりひとりの市民、そしてその支援者たちとも向き合っていく。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

ゲストは6人いるので、まだ半分なのですが、ブログの記事の長さとしてはこんなところ、書き手の息継ぎ、読み手のリズムも考慮して、ここでまとめに入ります。

主たるおふたり(大野さん、開沼さん)がわかりやすい言葉遣いを心がけていらっしゃることも含め、全編、とても楽しく読みやすい本になっていると思います。話題の紹介の「浅さと深さ」、つっこみ方の温度(熱しすぎない)が心地よく、読者を置いてきぼりにしないで、すいすいと読ませます。それでいて知識も感性も刺激される、十分に「本として」出来上がった作品だと思います。(編集者の方もすばらしいのかも!)

【俳文】札幌便り(16)

二月四日の立春を迎えるも、円山公園では積雪が腰まで達していた。今年は雪が少ないと言われていたから、「これでやっと真冬だ」とかえってほっとする心地。

初午や白樺枝を天に寄す

今年の初午(はつうま)は二月四日で立春と同じ。いつも円山公園で美しいと思うのは白樺で、夏も譲れないけれど、やはり冬が美しい。裸の枝々。まっしろで細く、雪も乗らない。

雪原の狐の跡を人追えず

狐の足跡は、小さく浅くついているが、ひとが追えないのは膝まで踏み抜いてしまうから。かんじきでもなければ渡れない。

赤い実のひとつもなくて二月尽

赤い実は、ななかまど。カラスにつつかれ、吹雪に吹かれ、姿を消す。以下は夜に詠んだ句。

極寒を逃れて空に春の月
春の望見るに足元おぼつかな

「春の月」以外は、ぽうっとしてやさしいものなどひとつとしてない「極寒」の空と地である。(季重なりはよしとされないかもしれない。北海道の暦のうえの春。)なお、妙に暖かい日があれば夜には道が凍るから、足元に注意がいる。

道南や里に近づく雪景色

旅の句はひとつしかないが、函館へ汽車で向かったときのもの。険しい崖や林、雪原を抜けて人里の所在を感じられるのは道南でこそだろう、と考えた。伊達紋別あたりでの吟。

曲水のルイボスティーに代えにけり

「曲水」(きょくすい)は、奈良や平安の昔に宮中で行われた宴。上流から流れる盃が自分の前を通りすぎるまでに歌を詠み、杯を空にする。さて、わけあって東京へ帰った。

残雪にあちらの家を思いけり
梅の香やこちらの家も懐かしき

ふるさとを歩く。

春風や小川の道をゆっくりと
スプリングコートもなしに春の風

ちょうどよい春の上着がなかった。ところで、東京は家のなかが寒い。札幌では温かかったのに。

東京の家屋を抜ける余寒かな

祖父に会う。

鳥曇声枯れてのちうなずきぬ

妹に会う。

わらびもちおさきにどうぞ召し上がれ

雑多な句をふたつ。

ちりめんを透かして誰か微笑まん
北国は干鱈に文字を書くそうな

アンデルセンの「雪の女王」は好きな作品だが、干鱈に文字を書くシーンがある。

夜にはオフィス街をそぞろ歩き、見覚えのある四ッ谷駅に出る。上智大学に隣り合うイグナチオ教会のステンドグラスも情緒があり。浅煎りの珈琲がおいしいカフェに二年ぶりに立ち寄った。

絵踏せる四ッ谷のホーム幅狭し
春灯やカフェの英字がぽつぽつと