2012年11月23日金曜日

【俳文】札幌便り(4)


※ 今回の投稿は、俳句結社誌「ゆく春」の一月号に掲載予定のものです。許可を得て転載しました。いまの時節に合わない挨拶もございますが、ご了承ください。

吟遊詩人の札幌便り(4)

明けましておめでとうございます。北海道から、今年初めてのお便りをお届けしたいと存じます。

のびのびと仕事始めや晩の月

さしたる趣もないようで、感慨あり。僕の思いなしだろうか。

ななかまど子供の夢をこぼれさす

街路を歩いて、北海道の木、ななかまどを見つける。三浦綾子さんは、旭川を「ななかまどの街」と呼んだっけ。驚いたことに、ななかまどは実が赤いだけでなく、葉っぱまで真っ赤に染まる。ただの紅葉と言えばそうだが……「枝の芯までくれなゐのななかまど」(大坪景章)。実景をよくよく知った人の句作だと思う。

執筆にかじかむ指も冬立てり

指を立てたら霜が降りそうな、札幌で初めての冬を迎える。山の錦も足早に、いまは白い霧に濁る。

冬の霧まろやかなりしカプチーノ

エスプレッソに注いでみたい。

寒空や哲学書にも黒い文字

墨を流したような夕べには、文庫の文字もひときわ白地に黒、と意識する。

小春日や珈琲あれば時計なし

たまの晴れた日に公園へ出ると、落ち葉が搔かれて、茶色い蕊のようなものがいっぱいに敷き詰められていた。

白樺もつるぎになって冬の朝
長靴で落ち葉の湖(うみ)を渡りけり
木枯らしや篠懸の葉の大移動

篠懸(すずかけ)の木は、プラタナス。てのひらより大きな楓に似る葉、と言えばイメージが湧くだろうか。遅く落葉する。

小雪のシロフォン鳴らす林かな

小雪(しょうせつ)は、二十四節気の一。水気を含み、じめっとした雪が降り始める頃。ちょうど、朝の光にとけて、雑木林の常緑樹から、ぽたりぽたりと落ち来る音は木琴のよう。

独り居を十一月の蕎麦湯かな

蕎麦は季節を問わないが、「十一月」に響き合う心地がする。こちらはすでに初雪も近い。

初冬やいろはを踏める石の上
冬の蛾や地に羽ばたいて力尽く

円山を登った時の句。十二月に向けて、大通公園はイルミネーションに彩られる。

Decemberや恋人連れる大通
短日やむらさき色のほの明かり

英語部、「ディセンバ」と発音されたし。札幌の風情。夕暮れも美しい。以下、旭川へ旅をしたときの句。

ストーブのひっそりと煮る小豆かな
夜咄やサルミアッキの妙な味

サルミアッキは、フィンランド人が宿へ持ってきた北欧の飴。世界一まずい飴と言われる。

今回は、新年への投稿ということだから、少し早いが年の瀬の句と、新年の句を。

門もなき我が住まいとて年木樵
かまくらに硯持たせん初句会

かまくらは、もちろん「鎌倉」ではなくて、雪のかまくら。句友を思うことしきり。今年もよろしくお願い申し上げます。

2012年11月20日火曜日

【童話】ポトフの冒険

ポトーフ博士は、船で、イギリスからやって来ました。博士は、ふつうのPh(ピー・エイチ)ドクターではなしに、特別なPth(ポートーフー)ドクターの資格を、世界で初めて取った人でした。

ところが、博士と弟子たちを乗せた船は、大皿のなかで大きな薄緑色の山に乗り上げてしまいました。

「むむ、座礁したぞ。」博士はブイヨンスープの波をかぶりながら、弟子たちに言いました。「さあ、これから尋常でないポトフの冒険が始まるぞ。」

ポトーフ博士は、丸のキャベツを半分に切った山を見上げて言いました。「諸君、君たちはこのキャベツの山に登頂できると言うのかね?」弟子たちはぶるぶると首を振りました。

それからも、いろいろな素材にでくわしました。

「ああ!わたしとしたことが玉ねぎの皮ですべるなんて。」
透き通った玉ねぎの表面は、なめらかでした。

「わが愛しのマスタード、君だけが頼りだ!」
黄色いマスタードが、ちょびっと皿の縁に乗っていたのです。

「ふきが入っておる!」と、博士は驚きました。ルーペで拡大して、ぱくりとかじりつきました。「初夏の味じゃ。五月の風が薫らないだろうか?」

「とんでもないソーセージじゃ。ぷりぷりしておる。」
それは、ほとばしる肉汁とぱちんとはじけそうな皮のソーセージでした。

「だめだ、どれだけ掘ってもほくほくのじゃがいもよ。」
色の良いじゃがいもは、やわらかいのに煮崩れた様子もないのです。

そんなこんなで、ポトーフ博士とその一行は、大皿の半分も食べ切ることができませんでした。

【童話】居眠り加湿器


ぼくは加湿器。北国のマンションに住んでいるんだ。シュッシュッと白い息を吐き出すのが仕事さ。それで、部屋の湿度が高くなると、いっしょに住んでいる青年が喜ぶんだね。

だけど、どうやらぼくはなまけものだと思われている。それどころか、こわれているとか、ぬかすんだよ。こわれてなんかいないさ、ただ、ちょっとぼくは居眠りが得意なんだ。こう、電源が入ってフウフウやり始めるだろ、しばらくすると眠くなってきちゃう。ときには、シュワッとやると、もう居眠りさ。こっくりこっくり始めちゃって。

そういうときはね、赤いランプを灯しておくんだ。すると、あいつは「もう給水か?さっき飲ませたばかりじゃないか」なんて、言うようだけど、ぼくも眠いからよく聞こえない。水はたっぷりくれるんだ、いいやつなんだよ。ぼくもごくりごくり飲むさ。

おっと、揺らすなよ!目が覚めちまう。

ところで、ぼくは超音波式らしい。そういうのが、おなかのとこについている。それはね、ヒーター式みたいに電気を食わないんだ。ぼくは節約家なんだよ。たいして電気おじさんのお世話になろうとは、思っちゃいない。ヒーター式の友達は、ばいきんがつきにくいし、部屋の空気も温まるんだから、と息巻くけれど、ぼくはああいう湿っぽいのは好かないね。

ふああ、こう、一生懸命おしゃべりしていると、ねむたくなってこないかい?あくびが出るんだが、これは加湿器の本来の機能じゃないんだ。白い霧も出ない。もうちょっと洗濯物でも干せばいいと思うよ。ほら、ぼくが汽車ぽっぽみたいにがんばらなくても済むだろう。ああ、もう夜んなっちゃった。そろそろ、彼も寝るんじゃないかな。一足先に、休むとしようか。おやすみ。

2012年11月18日日曜日

【エッセイ】旭川紀行ーー旭川奇考


訪れた友達が言っていた、「なんにもない街ですね」。「商店街を奧へ行くと、ちょっとおしゃれな喫茶店が地下にあって、珈琲を飲みましたよ。」「地元のおばちゃんたちが、カウンターの店主に話しかけていましたね。」彼の旭川の印象は、そんなところだった。

旭川を愛すること。さびしさの中の賑わい。または、賑わいの中のさびしさ。それは、ちょうどクリスマス・イルミネーションの表通りを歩くときに吹きつける粉雪。高い建物に灯る明かり。けれども、人通りの少ない道。歴史ある落ち着いた喫茶店。だが、人影はまばら。たくさんの雪が降りつのる。

旭川はさびしい。あちらこちらに小綺麗なお店が、こだわりの雑貨屋さんが、カフェがある。散在する。......その真ん中を、茫漠としたどこか空虚な大通りが貫いて、だけれど、歩けば、なにかが見つかるだろう。たしかに人は少ないかもしれない。けれど、みな、雪を踏み越えて歩いている。

僕は、旭川が住みよいとは思わない。なにも知らないけれども。あるいは、旅先として、夜景がどうとか、素敵な宿がいくつかとか、そういうこともないのを知っている。無機質にも見えるホテルが林立している。だが、なにか、あの風景のなにかが、惹きつけて止まない。完成した駅舎も、百年の懐かしさを背負って見える。

新しい駅舎は居心地がよく、広々として天井が高く、ぐずぐずと長居もしたくなるが、いざ出て、街へ。友達が「なにもない」と言った商店街へ繰り出す。僕もまた、「わずかなものしかない」とか「かすかになにかがある」とか、形容したくなるけれど、温かい人たちがお店をやっているのを知っている街へ出かける。

冬になると、旭川へ旅をしたくなる。

2012年11月7日水曜日

【哲学】"なぜ空は青いのか" そして…。

ちょっと科学と哲学の話をしよう。それは、科学を含む哲学の話だ。

なぜ空は青いのか。素朴な疑問に対して、色の波長の論理で答えられる。青は、短い波長の色であり、太陽光線のうちで、もっともたくさん大気中で反射してから、地上へ届くから。