2014年1月30日木曜日

【俳文】札幌便り(15)

汽車に乗って旭川へ来た。大晦日の暮れた街にイルミネーションが灯っている。たしか去年まではクリスマスで消灯されていたことを思うと、なんとなく明るい気分になる。とはいえ、人影はなく商店街も閉めきった店ばかりだ。

除夜の鐘どこで鳴らすや旅の宿

ゲストハウスに宿泊したが、なかは閑散としている。小さな居酒屋のようなところで新年を祝うべく、みな出払っている。日付が変わる頃、旭川のメインストリートをぶらついていた。

去年今年(こぞことし)音ひとつせぬ路上にて
初旅と言うもよけれや年またぎ
注連飾(しめかざり)ひとりで祝う夜更けかな

ガラスの扉にちょこんと飾られた注連飾を一瞥して、「小さな居酒屋」へ向かう。オーナーのご一家がおせち料理を用意してくれた。北海道では、元旦ではなく大晦日の夜におせち料理を食べると言うが、初めて知った。

飾海老(かざりえび)三本並ぶ皿二つ
集まれば名は知らねども賀詞(よごと)かな

10人ほどで祝える新年もめでたい。海老のお皿は三枚あったかもしれない。

いずこからいずこへゆくや年賀状

ここには届かないが、おそらく実家にも札幌の家にも届くだろう。こちらもあちこちで投函するから、落ち着きのない年賀状となる。翌日は、駅の立ち食い蕎麦屋で朝食を済ませて、とあるカフェを目指した。また珈琲か、と思われそうだが、富良野線の美馬牛駅にあるゴーシュというカフェの珈琲は、いっとう美味しい。数年前から「僕が知るなかで最高の珈琲」を出すお店、と友達にも触れ回っている。

乗初(のりそめ)やローカル線でカフェ詣で
初晴(はつばれ)や雪に埋もれしホームより

小さな美馬牛駅のホームは雪に埋もれて、単線の車両がゆくと、霧に消える一本の線路だけが残る。踏切もなし、そこを渡って猛吹雪のなかをカフェへゆき、着けば晴れるといった具合に天候は変わりやすい。帰りにホームから見上げた空は、まっさおで忘れられない。

如月の青さ白さをなんと言ふ
凍てて来る川も映さな空の色

「映さな」は「映す」の未然形に上代古語の「な」。「〜しよう」という勧誘、ないし「〜してほしい」の願いを表す。ここでは「映そうよ」といった意味。富良野線に見る風景は、厳しい自然の美しさをたたえ、ほかでは知らない。

さて、三が日のうちに札幌へ戻り、都会の生活に戻る。中島公園にKITARA(キタラ)というすぐれた音楽ホールがあるが、朝早く散歩するとまだ開館していない。

枯蔓(かれづる)をくぐりて閉じたKITARAかな

「法隆寺」や「伊勢神宮」ではなくて、横文字の固有名詞を詠み込んでみたかった。

すれちがう折に転びぬ深雪に
袋より根深(ねぶか)飛び出る寒さかな

細く雪掻きされた道は、少し寄ると足を取られる。「根深」は「葱」のこと。買い物袋から葱が飛び出るのは、べつだん寒さのためともかぎらないのだが。ところで、芭蕉の句に「干鮭(からざけ)も空也の痩せも寒の内(かんのうち)」という変わった句がある。これは実景ではなく、乾物にした鮭と、空也上人の痩せと、寒の内(小寒から節分まで)という三つを「取り合わせ」したところに妙味のある名句とされる。真似て、

エゾリスの痩せも小枝も寒の内

北海道風に興じて結びたい。

2014年1月27日月曜日

本のカフェ第二回@札幌(円山、りたる珈琲)ご報告

2014年1月26日(日)札幌の円山、りたる珈琲にて。第二回の本のカフェが開催されました。ご報告いたします。


13時ー16時の枠でしたが、12時半から受付を開始しました。ワルツ・フォー・デビィをたしか掛けていたと思います。(12時ー16時でレンタルルームを予約したため、集まり方がスムーズだったように思います。)

13時10分からご案内トークを始めて、その後、自己紹介。途中参加おひとりを含めて、8人の方が集まってくれました。(司会の僕を含めて9人。)前半は三人の方に本の紹介をいただきました。

はじめは、宮澤賢治の絵本『やまなし』。「山梨県のやまなしだと思っていた。」という出だし。ちがいますよね。山の梨が落ちて来て終わる、不思議なお話。「クラムボンはかぷかぷわらったよ。」クラムボン、なにものだかまったくわからないのですが、そんなリフレインが有名ですね。紹介者の方いわく、「賢治には森の話は多いが、川の話は少ないのでは。」そうかも。「きらきらしている。」そうですね、そこから紹介者の方は「いろんな速度」というテーマへ。

川の流れ、蟹の速さ、回遊する魚の速度、すごい速さで襲うカワセミ、泡の速さ、そして、水のなかへ落ちてくるやまなし。

こうしたいろんな流れ、速度が共存し、入れ替わって物語のリズムを構成している。すばらしい読みだと思います。このあと、2冊目として、ゼロと無限の話題を扱う、数学のご本も紹介いただきました。

14時ちょうどに二人目の方が「アラン・ロブ・グリエ」のご紹介を始めました。フランスの作家です。「去年、マリエンバートで」という映画に惹かれた、その脚本家が彼だった、という話から。「カットが正面から。左右対称。台詞は反復。」とくに反復というテーマは、小説にも共通する。「ポール・デルヴォーのような、ひとがマネキンで動かない映像美。」感想の比喩まで、美しい。

ロブ・グリエには「起承転結がない。小説もそう。」イメージのみが転々として、5ページおきに同じ台詞が出るというように、脈絡がない。また、「感情を排して出来事を描写する」手法はヌーヴォー・ロマン(新しい小説)の先駆けとなる。全編が夢のよう。

あらすじを楽しむ小説ではないが、反復される場面、イメージを味わえる……。

気づけば、50分も経っていました。三人目の紹介者さんは、アントニオ・タブッキの『インド夜想曲』。イタリアの作家だが、マイナー。ウンベルト・エーコやイタロ・カルヴィーノらのポストモダンが活躍していた時代に現れた。紹介者が「25歳のとき、初めて読んだ。100ページちょっとの薄い小説で、1時間もあれば読める。」だが、その後、くり返し読むことになったという。

タブッキは日本では無名だったが、日本の小説をイタリア語に訳して紹介していた須賀敦子さんが注目し、97年に『インド夜想曲』を日本語に翻訳。一方で、タブッキは須賀敦子さん訳の谷崎潤一郎を読み、感銘を受けていたという。

さて、この小説はインドで失踪した友人を主人公が探す物語。ボンベイ、マドラス、ゴアの3都市を回る。しかし、自然描写がほとんどない。見知らぬ都市の被造物ばかりが描かれる。その詩的な表現に触れていると、見知らぬ都市を旅するとは、インドの無意識のなかに入り込んでゆくことのようにも思われる。

最後に、友人をレストランで見つける主人公。だが、声は掛けない。なぜ見つからなかったのかと言えば、友人は主人公の名前を名乗って、偽名で旅をしていたから、だという。主人公がやっと見つけ出したのは、自分自身だったのか?

こんな感想で幕を閉じる……「自分が昔、住んだ場所で、周りのひとたちに『彼(自分の名前)はどこに行きましたか』と尋ねてもいいんじゃないか。」



15時20分から、残りの40分をフリータイムに当てました。後半1時間半とると告知していたフリータイムは大幅に縮小されたのでした……。(ちょっとてきとうなマネージメントでした。ごめんなさい。)

書誌情報
『やまなし』、宮澤賢治(文)、遠山繁年(絵)、偕成社、1987
 『異端の数 ゼロ』、チャールズ・サイフェ、林大訳、早川文庫、2009
『快楽の館』、アラン・ロブ・グリエ、若林真訳、河出文庫、2009
 『迷路のなかで』、アラン・ロブ・グリエ、平岡篤頼訳、講談社文芸文庫、1998
 『覗くひと』、アラン・ロブ・グリエ、望月芳郎訳、講談社文芸文庫、1999
『インド夜想曲』、アントニオ・タブッキ、須賀敦子訳、白水uブックス、1993
 『ペソア詩集』、フェルナンド・ペソア、澤田直訳、思潮社、2008
 『ユリイカ』2012年6月号、アントニオ・タブッキ特集、青土社


なお、アンケートを実施したので、そこから意見を抜粋。(全8枚。)
「場所がわかりづらかった」という意見が2つ。りたる珈琲の案内が不十分だったかな……
「3時間より長い方がよい」という意見が1つ。今回は紹介も長引きましたしね。
自由記述では、「本だけでなく音楽、映画、絵画などさまざまなジャンルへの脱線(前向きな意味での)がとても楽しかったです。」「また参加したいです」も3件。ありがとうございます。

全体に穏やかながらも、活発に声が飛び交う場面が何度も見られ、自然な盛り上がりがよかったと思います。オブザーバー(紹介者でない方)からの質問や感想も、貴重なものでした。静かで密度の高い時間だったと思います。ちなみに、終了後は都合のつく7人で場所を移して、2時間ほど語り合うこともできたのでした。

みなさま、本当にありがとうございました。また次回、お会いしましょう。

2014年1月23日木曜日

【エッセイ】話す言葉

話すというのはとくべつのことです。ふだん、わたしたちは「話す」というのを「AさんとBさんのあいだで内容のあるやりとりをする」「2本の矢印が行き交う」ことのように想像します。けれども……

——もし、世界で初めて言葉を発するひとがいたら、なにがそれを言葉にするのでしょう。言葉をもたぬひとが丘のうえに立ち、昇り来る太陽に向かって「Vah...(ヴァー)」と言ったとしたら、なにがそれを叫びやうめきではなく、「話す言葉」にするのでしょう。——「話しかけること」が。その声が、太陽であれ、大気であれ、ひとであれ、外の世界に向けて「話しかけられていること」がそれを言葉にするのだと思う。ただの音声にするのではなく。

話すというのは、胸のうちから周りの世界へ向かって、湧き上がるものを解き放つことです。わたしたちはふだん「内容のやりとり」をイメージしがちですが、話すというのはなによりも表へ出すことです。言葉を投げかけること。周りの世界に向かって表現すること。

他方で、「内容のやりとり」で言う「内容」も二次的なものです。わたしたちはなによりも「なにか」を表現したいのです。どうしても考えたことを言い表したかったり、愛するひとに声を掛けたかったりするのです。「元気ですか」——それだけの言葉でも、どんなにたくさんの気持ちを込めて言われることができるでしょうか。そしてまた、自分の考えをうまく言えなかったとしても、言葉が切れ切れになり、下手くそで、口ごもってしまうとしても、——その言葉は「話しかけられて」いるのです。「内容」がほとんどなくても、不明瞭でも、そこには話す言葉がちゃんとあるのです。

こうして、話すということは「内容のやりとり」である以前に、「周りの世界に向かって話しかけること」です。では、その「話す」ということを、わたしたちはどういう風にして大切にできるでしょうか。——「聞く」ことによって。耳を傾け、受け止めることによって。たとえ内容がわからなくても、うまいやりとりが続かなくても。

周りの世界に向かって話しかけること、と、それを受け止めること。

2014年1月8日水曜日

「本のカフェ」の企画案

「本のカフェ」というイベントを企画し、2013年12月7日(土)東京、恵比寿のカフェにて開催しました。その報告と今後(第二回〜)の継続のため、企画案をここにまとめておきたいと思います。

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コンセプト:本の紹介を通して交流すること。言ってみれば、本の紹介とひとの交流が50%ずつ。

場所:恵比寿のカフェ、カルフールの貸し会議室。(第一回)
日時:12月7日(土)13時〜16時
定員:12人

内容:本の紹介者4,5人と、オブザーバー(聞くひと)数人。司会は木村。全体の3時間を二つに分け、前半は、ひとり持ち時間15分×4,5人で本の紹介。後半は、それらを題材におしゃべり。

予算:1000円+ワンドリンク。(→ 実際には、800円になりました。)
  
参加者:オブザーバーはなにも用意するものなし。紹介者は、自分が紹介する本の現物をなるべく持参。レジュメは必要なし。レジュメを配りたい場合は紹介者が事前に用意。

本の選び方:本は、なんでもよい。ジャンル問わず。あとでひとが話題にしやすいもの、自分の専門や興味、活動とかかわるものだと交流が楽しくなるでしょう。

最後に:ゆるい会にしたい。本の紹介は、「あらすじ(または、要約)+感想」を意識するとわかりやすいかもしれないが、こだわる必要はない。支離滅裂でも可。その場合は周りがフォローの質問を入れる。ゼミではないし、勉強会でもないので、「知識を増すこと」を目指さない。穏やかに話をすること、本でもひとでも未知をちらりと垣間見ること、そういう体験を作る。紹介者もオブザーバーも対等に、気楽に、そしててきとうに。さあ、愉快なひとときを。。。

本のカフェ第一回@東京(恵比寿、カフェカルフール)ご報告

【スタート】恵比寿のカフェ、カルフールの貸し会議室。明るく感じのいいところ。会費は、800円になりました。クッキーと各自ドリンクを注文。珈琲もそこそこ美味しい。途中参加・退席を含めて、11人が集まってくれました。7,8人が席に着き、本の紹介が始まったのは14:15でした

【1】最初は、三浦綾子さんの『塩狩峠』。穏やかな話しぶりで本との出会いから始まり、あらすじの説明のあと、「食事のシーン」に着目。お母さんの卵焼きを食べる場面、大人になってお弁当を開く場面への思い入れが語られます。家族愛を感じる読み解き方でした。

【2】二冊目は、『ピーター・ラビット』。iPadに挿絵を映しながら、イギリス英語の発音で朗読。あらすじと読解。著者のビアトリクス・ポターにまつわる話。1時間半の講義もできそうなほど充実しました。おまけに、紹介者の方は200年前のイギリス風衣装でご登場いただけて、英国世界が開けました。

【3】三冊目は、『社会の抜け道』という対談本。文学つづきで来た流れが変わりました。國分功一郎×古市憲寿。「消費」と「浪費」というふたつの概念の対比で読み解く、現代日本の資本主義。簡潔にしてわかりやすく伝える、15分という時間を活かした知性を感じる紹介でした。

【4】文学、社会と来て、古代の哲学書が四冊目。マルクス・アウレリウスの『自省録』。一般向けではない本でしょうが、紹介者の方は「ゆる〜く」読み聞かせてくれました。皇帝でもあった著者がストア派(ストイックの語源)の思想に傾倒しつつ、善い人間を希求する雰囲気が伝わる易しい語り口でし

  【5】最後は、梨木香歩の『家守綺譚』。現代日本の小説家ですね。この著者の作品の系統的な解説(植物にこだわりがある、口語の泉鏡花とも言うべき美しい文章、など。)から、主題の作品に入り込み、時代や場所の説明から徐々に内容のこまやかな読み解きへ。「現実と異界をつなぐ水」というテーマを語って終曲。

それぞれの紹介者さんの個性が出て、易しかったり、充実の内容であったり、バリエーションもあって面白かったと思います。15分では足りない、という紹介も多く、予定の時間(1時間半)をオーバーしました。それでも、1時間のフリータイムが残り、2,3人ずつ分かれて、席替えなど自然にしながら、参加者の方々はオブザーバーも含め、自由に楽しく後半を過ごせていたようです。

「どの本も読みたくなる。」「次回があれば参加したい。」(これは、今回、参加できたひとも、できなかったひとも)「とてもよかった。」といった声を多くいただけました。第二回は札幌開催を予定しています。