2013年12月31日火曜日

【俳文】札幌便り(14)

12月を迎えた。東京はいままでになく暖かく感じるが、やっと身体が札幌に慣れてきたためだろう。季節が二ヶ月分はちがう。

東京のアスファルトにも霜降りて

札幌では雪が降っているだろう。

冬晴れや白髪吹き上げそよぐ風
霰降る晴れ間より訃報のように
寒風のなかでお菓子をかじる駅

おじいさんのなでつけた白髪がふわっと舞うのも、漢詩の趣を覚えるようで、自分の老年もこうだろうかと一瞬、我が事のように思われる。霰を訃報と喩えたのは、昨年の出来事がまだ心に残っていたからかもしれない。空っ風のホームでチョコ菓子をかじっていたのは、なぜだったか、よく覚えていない。

はるかなれコート羽織らぬふるさとも

季語の「コート」を羽織らぬでは、季語が台無しのようだが、これを詠むときにはすでに故郷を離れて羽織っている。北海道の空は、相変わらず色が薄く、東京の藍と、潤沢な絵の具で塗ったような色合いを持ち合わせていない。

柚子ひとついただきものの柚子湯かな

帰札したのが23日、冬至だった。

鳥が二羽雪野のうえの枝かすめ
山眠る裸の木々が抱く日差し

毎日のように暖かな日差しが降り注ぐ東京とちがって、ここでは山のうえに光のある時間が貴重だ。

聖樹見るハローワークの道すがら

そんなクリスマスの過ごし方。「紹介状」をもらって来た。

数え日や朝の珈琲落としけり

今年も数えることあとわずか。なにをするでもなく時が過ぎ、

夕月や仕事納めのカプチーノ

みなさま、おつかれさまです。我が家も小掃除に(大掃除というほど広くもないので)取りかかろうとしながら、まずは冷えた足先を温める。

とりあえず足湯にひたり春支度

なかなか進まない年越しの準備。

久方のワイン飲めるや小晦日

30日。

二杯目は友と交わせり大晦日

31日は、朝に一杯目の珈琲を落としたところ、友人から「二杯目を飲もう。」と声を掛けてもらった。夜には旭川へゆき、宿で年越しをする。チケットは手元にある。さて、旅支度をしよう。 

どうぞ、よいお年をお迎えください。

2013年12月3日火曜日

【吟遊トーク】 学芸員のみる景色――しまりんさん、こんにちは。

☆ 「吟遊トーク」は30歳前後のひとを主として、いろいろな立場の方にお話を伺ってくる企画です。それぞれの社会的な立場、発信したい情報やアートを受け止めて、かんたんなインタビュー形式にまとめていきます。

山梨県立美術館で働く「しまりん」さんにお話を伺って来ました。彼女は学芸員です。学芸員とはどういう仕事なのか。現場としての美術館はどんなものか。近頃はやりの「キュレーター」とは――。

しまりんさんは、20代後半の女性。東京での大学生活、国立新美術館での仕事を経て、いまは山梨県立美術館(http://www.art-museum.pref.yamanashi.jp/index.html)で働いています。

<自己紹介>

――今年から山梨ですよね。
しまりん 「今年の4月から働き始めました。国立新美術館でアルバイトを2年して、その後1年と8ヶ月、研究補佐員(学芸員の補助)をしていました。」

――どんな仕事をしていたんですか。
「アルバイトの時は、図書室の裏方です。カタログが何万冊もあって。全国のカタログ(企画展の図録)を集めて、それを海外に送る仕事です。」 

国立新美術館は、日本美術のカタログをアメリカやヨーロッパの大学、美術館の図書室へ送るセンターの役割をしている。だいたい週1でアルバイトをしながら、修士課程に在籍していたとのこと。その後は、研究補佐員として図録作成や展示・撤収などの展覧会企画の補助的な仕事に携わる。

――修士は、2年で論文を書くだけでも大変ですよね。なにを研究していたんですか。
「18世紀のシノワズリーです。修論の題名は、「フランソワ・ブーシェのタピスリー ―18世紀フランスのシノワズリー―」だったと思います。書いていて面白かったです。もっと続けたかったな、っていまでも思います。」

シノワズリーというのは、17,18世紀にあったヨーロッパの東洋趣味。主に王侯貴族など裕福な人々が室内装飾にする目的で、中国や日本の美術品を買い求めていました。「シノワズリー」は フランス語で「中国風chinoiserie」のことですが、しまりんさんによると「東洋のかなり広い範囲の美術品を『シノワズリー』としていて、中国、韓国、日本、インドとか、場合によっては中東もごっちゃになっている感じがする。」そうです。

<美術館の役割>

――しまりんさんがお仕事のなかで考えていることは。
「展覧会や美術館の存在ってなにか、ってことなんですけど……それが、いま不況で、ものすごく関係者でも言われていて。うちの美術館(山梨県立美術館は1978年の設立。)ができたのも、全国的に美術館がぼんぼん建てられた時期です。」

――それで、これからどうするのか、ということですね。
「たとえば、一般の人にとって、展覧会は非日常空間かもしれません。最近よく言われるのは「癒しの場」ということなんですけど……。公的な文書にも「癒しの場」という言葉が出てくるんですね。2,3年前だと思います。」

――90年代から「癒し」ブームはありましたが、美術館にも来たんですね。
「ただわたしはですね、それにはけっこうもの申したい派でして、べつにいいんですけど……。まず入館していただくことが大事なので、きっかけはそれでもいいのですけれど。癒されようとしたのに、入ってみたらちがった、ということになると困りますね。」

――そういう場面が具体的にあったんですか。
「このあいだ、「美術館は癒しの場だと思っています。」と言われて。癒しの場という役割を担っていかなければならないとしたら、重い荷物を背負っている気持ちになったわけなんですよ。」

――山梨県立美術館のホームページは拝見しましたが、過去の展覧会のタイトルに「癒し」はありませんよね。
「そうですね。癒しだけでなくて、公共の場に出す強いメッセージ性のあるもの。そういう展覧会をやっていきたいです。」

<キュレーターについて>

――キュレーターという言葉は少し馴染みが出てきたとは思うけれど、説明してもらってもいいですか。
「美術の世界では、展覧会を作る人です。」

――もう少し語ってもらえますか。
「学芸員の仕事のなかでは、キュレーションは半分とか、1/3とか、そのくらいなんです。」

日本では、博物館、美術館で働く人を「学芸員」として国家資格にしており、英語の名刺だと「キュレーター」と訳されることもある。けれども、学芸員は欧米の「キュレーター」とは異なる点もある。そこを詳しく話してもらいました。

「ほかの(キュレーション=展覧会を作る、以外の)仕事は、作品の収集、保存、修復、研究などですが、たいていの学芸員はこれらの仕事すべてにかかわっています。また、大きな役割なんですけど、エデュケーターという仕事もあります。」

このように、「学芸員の仕事=キュレーション+その他、たくさん」ということ。

「私、いま実はエデュケーターをやっているので、仕事の分量的にはエデュケーターが2/3くらいで、あとはキュレーターという感じです。(「エデュケーター」は、)日本では「教育普及」と訳されます。仕事の内容としては、来館した子供たちに絵の解説をする、ワークショップ(幼児~大人まで)を開く、日本画や油絵の体験講座をやる、などですね。」

――ホームページを見たら、子供向けのイベントがたくさんありました。
「私もかかわっています。」

<夢、これからの展望>

――エデュケーターは専門家と市民の「橋渡し」なのですね。どんな風にしていきたいですか。
「いま、山梨にいるからなんですけど、大学進学などで東京に出てしまう人が多いんです。高校生くらいの、とくに若い人たち、美術に興味ある人が、気軽に仲間を作ったり、語り合える場所が作れないかな、と思います。受験でいなくなっちゃうのもさみしいので。……っていうのがエデュケーターとしての自分の夢、というかやってみたいことです。」

それから、キュレーターとしての夢についても語ってくれました。

「あとは、キュレーターとしての夢もあります。私はずっと東京で生まれ育って、この年で山梨に来ました。山梨には、東京にはない良いものがたくさんありますが、情報をキャッチして新しいものを受け入れるという面は少し苦手かもしれない。たとえば、若い人が発信しようと思っても場が少ない。」

――発信というのは、なにを。

「サブカルチャーをふくめたアート。そういう人たちのことも美術館で支えたいです。新しい試みが歓迎される環境が作られるように、なるべく新しい価値観を提示できるような展示をやりたいです。」

2013年11月29日金曜日

札幌便り(13)

立派な洋梨を見つけて色も形も申し分なく、見ようによっては少しいびつなのもおかしとて家に持ち帰り切るけれども、じゃりと言うばかりで味の淡泊なること甚だし。

洋梨の切るまで味のわからなさ 

同じように、はと麦茶もいい加減に選んで買ったからかこのあいだのはと麦茶(メーカーがちがった)のように豊かな香りが満ちてこない。かたや檸檬をしぼっただけの水が驚くほど美味しい。

霜降やあたりはずれのはと麦茶 
ひとり居に檸檬の水のうれしさや

飲み物つづきだが、喫茶店ではココアを頼む。

口つけて雪の音の止むココアかな

円山公園でいつも見上げる白樺も日に日に葉を落として簡素な身なりになりゆく。

白樺の葉の幾ばくぞ今朝の冬
マフラーを日除けに小春日和かな

そんな散歩も幾日か、11月の半ば頃、まだ秋の東京へ帰る。

なにげなく南天の実をゆきすぎる

あの赤い実は南天の実と美しい名前がついているが、垣根にありふれてついつい目にも留めずに通り過ぎてしまう。それでも、あとから思い返せばありありと浮かぶ、近所の一街路である。

人波のここに愉しや日記買う 中村汀女

歳時記に見つけた句。なんとも愉しげな雰囲気が漂う。好感をもった。どことなく優雅でさえある。東急ハンズの文具コーナーはダイアリーにあふれて、選ぶのも、人波さえも楽しい。折よく汀女の句が光景にぴたりとはまった。

真っ白の頁も多し古日記 

「古日記」「日記買う」は同じ項目にある冬の季題だが、趣向を変えて詠んでみた。江戸の俳人さながら、「いや、世間のひとは細かく予定を書き込むのかもしれないが、わたしは閑人でね……」といった見栄。ただ、本当に白いことには一抹のさみしさも。

東京の人になりけり着ぶくれて 
小雪やポケットに手を入れる頃

札幌では、厚いコートを使うので、中は重ね着をあまりしない。建物のなかに入ると、暖房が十分に効いているからでもある。東京へ来て二週間ほどで着ぶくれる文化に染まり直した。ところで、札幌の紅葉は七竈(ななかまど)や白樺が目を引くが、東京はやはり銀杏並木が「紅葉」を代表している……ように私には思える。
 
なんとなくちょっとさみしい銀杏散る
黄落の積もり積もりてミルフィーユ

友人からドイツ土産の珈琲をもらった。粉だが、ずいぶん細かく挽いてある。酸味は強く、香りが立ってフルーティーだ。もらいものはいっそう美味しく感じる。

ありがたやドイツコーヒー冬の月

2013年10月31日木曜日

【俳文】札幌便り(12)


本の執筆が佳境を迎えて。

書き上げても書き上げても青蜜柑

「分け入っても分け入っても青い山」(種田山頭火)の真似をしてみるが、これはきちんと熟さないと困る。

旅に出でなんとす紅葉かつ散れば
丸いのもハートの型も紅葉かな
秋深しこの靴ももう二年経つ

円山公園は十月の半ば頃から黄葉がちらほらと散り、十月の末には紅葉も真っ盛りとなった。

行く秋や同じ木を見る何度でも

体調を崩すこともあった。身体を温めるはと麦茶は、あれこれ試してみたけれど風味がずいぶんちがう。

オレンジのクッキー甘く秋深し
ゆっくりとひと粒ずつの葡萄かな
仲秋やあたりはずれのはと麦茶

十月の半ばに帯広や富良野など、各地で初雪を観測した。着々と冬は来る。札幌の家の周りでは降らなかったが、銀色の(白く光る)「雪虫」が飛び始めた。これは小さな羽虫で、銀色の羽を二枚持っており、群れをなして飛ぶ。雪が降る少し前になると、わあっと飛び始めるので、初雪を告げるとも言われる。

ひととせをふたとせにせよ今日の雪
雪虫や雪の降るのを告げるらむ

暦の上で立冬を迎える前に雪の句となってしまった。そういえば、中秋の名月に次いで美しいと言われる後の月。旧暦九月の十三日の札幌は晴れた。

足取りも軽く運べる十三夜

近頃、『蕉門名家句選』(岩波文庫、上下巻)を読んでいる。冬の句が目につくので紹介したい。

あたらしき茶袋ひとつ冬篭 荷兮(かけい)

簡素な冬篭りを詠んだ句。

あたらしき珈琲淹れて冬篭り

と、こちらも詠んでみたくなる。ほかには、

はつ雪を見てから顔を洗けり  越人(えつじん)

初雪が降っていたら、まずは床を起きて外を見る。その気持ちは風雅のものか、童心のものか、ないまぜになった人の情かもしれない。さて、初雪の待ち遠しい我が家では、まだ風呂を焚かず、シャワーだけで頑張っている。

霜降もシャワーで済ます蝦夷の家

動物界は、もう冬の準備に忙しい。人間で言えば師走のようなものだろうか。

エゾリスははや霜月もせわしなく
十月の薄き光の小山かな

ところで、「引鴨」「帰る鴨」は本州では春の季題だが、北海道では逆になる。鴨たちは北海道で夏を過ごし、池が凍る前の秋には本州へ帰ってゆくのだから。

帰るまで水遊びせよ池の鴨

そこで、秋の季題とした。無邪気そうな鴨の群れ。

遠鴉のみ色ありや冬の空

「とおがらす」は造語。真っ白というべきか灰一色と言うべきか、札幌の冬空がやってきたと思う。

小夜時雨足はおのずと珈琲屋

冬支度をじっくりと進めよう。

2013年10月21日月曜日

【映画を読む】クロワッサンで朝食を


フランス映画「クロワッサンで朝食を」を観て来た。シンプルだけれど、深みのある映画だ。この映画を「読解」してみよう。※ 以下では、ストーリーの詳細から結末まで触れるので、これから観にゆかれる方は読まないことをおすすめします。

エストニア人のアンヌは、齢50を過ぎた女性。故郷で介護をしていた母の死をきっかけに新たな仕事を始める。それは、パリでエストニア人老婦人の家政婦として働くというもの。空港で彼女を待っていたのは、ハンサムな同世代の男ステファン。彼は老婦人の家にアンヌを案内をして、「辛辣な皮肉屋」だから気をつけるように言い残して去って行く。

老婦人フリーダは、気紛れできつい女性。アンヌは手作りの朝食も食べてもらえずに、この仕事を辞めようかと挫けそうになる。ステファンがそれをとどめるが、「あなたはフリーダの息子なの」とたずねるアンヌに、彼はフリーダが昔の恋人であったことを明かす。孤独なフリーダの来歴を知るにつれ、愛をもって接するように努めるアンヌ。パン屋で買ってきた美味しいクロワッサンを朝食に並べて、ついにフリーダからよい家政婦として認められる。

フリーダとアンヌは、ふたりでパリの街を歩く。ふたりは母と娘のような、少し親密な関係を築き始める。だが、ステファンのひと言で物語の雲行きが怪しくなる。「僕には僕の人生がある。」もう愛のないことを思い知らされたフリーダは不機嫌になり、また辛辣になる。慰めようとして事態を悪化させたアンヌは、フリーダと決裂、家を飛び出して故郷への帰路につく。

ここから、物語は速度を速めてクライマックスを迎える。ステファンがひとりでフリーダの家をたずね、泊まって行く。ふたりの間にはなにも起こらないが、眠ってしまったステファンの耳に「あなた、アンヌと寝たでしょう」とフリーダが笑顔でつぶやく。翌朝、結局、帰るのを思いとどまったアンヌがフリーダの家を訪れる。鷹揚なフリーダが出迎えて、やさしく言う。「ここはあなたの家よ。」

こうして、ハッピーエンドで終わる。

最後のところ、展開は早いし、なぜフリーダが心の余裕と愛情を取り戻したのか、いまいちわかりづらい。なんとなく答えるとすれば、「アンヌと喧嘩別れになったのを後悔し、自分のもとに仮にも戻ってくれたステファンの愛をうれしく思って……」といったところだろうか。やや唐突なハッピーエンドにも見える。

ここをきちんと「読んで」みよう。最後の場面は、アンヌとステファンがふたりそろって、フリーダの家に招き入れられるシーンだが、ここはまるで息子と娘が母親の家に帰ったような映像になっている。フリーダが母親で、アンヌとステファンは息子夫婦、または娘夫婦だ。ここに物語を解く鍵がある。

フリーダはステファンの「昔の恋人」であり、恋愛関係を引きずっていた。けれども、それは捨てられて見込みのない関係だ。他方、アンヌに対しては、「よい友達でもあるような家政婦の女主人」という立場だった。どちらも、フリーダにとっては中途半端な人間関係であり、彼女の孤独を癒すものではない。そこで、フリーダは無意識のうちにか、半ば意識してか、ステファンとアンヌのふたりにとって同時に「母親」の役回りになるという決断を下す。それが、もつれて不安定だった関係の糸を切って結び直した。三人は、一挙に親密な三角形を築くことに成功する。これが物語の「解決」であり、ハッピーエンドの意味である。

だから、ステファンとアンヌが「寝た」ことに対しても、フリーダはもう腹を立てたりしない。フリーダは恋の第一線を退き、むしろ、ふたりの仲を喜ぶ。そして、ふたりの息子と娘に愛され、また彼らを愛する「母親」という安定した立場を見出したのだ。

ちなみに、「クロワッサンで朝食を」の原題は、フランス語で "Une Estonienne a Paris" であり、「パリのエストニア人」だ。なんて素っ気ないタイトル、と思われるかもしれない。だが、よく見てみよう。冠詞の "Une" がついているから、単数の女性形だ。「パリのひとりのエストニア人の女性」となる。それは誰だろう? 映画のはじめを見る観客にとっては、まちがいなくアンヌだ。田舎から大都会パリに出て、厳しい環境で新しい人生を歩み始めるのだから。だが、物語のクライマックスになると、表題の意味する女性はフリーダに変わる。三人の関係が破綻するのを食い止めたのは、フリーダが母になるという変化、そう、この映画は全編を通してフリーダの成長物語であったとも言える。ステファンとアンヌは、恋に落ちたけれども人間として変化したり成長したわけではない……。

こうして、映画の原題にも深い意味が込められていることがわかる。アンヌとみせかけてフリーダ。そういうユーモラスなねじれ、ちょっとした遊び心のある引っかけが、この原題には込められている。こんな風に、この映画を「読む」ことができるだろう。

2013年10月10日木曜日

はてしない物語のふたつの読み方——ファンタージエンの友達


はてしない物語には、ふたつの読み方があると思う。焦点は後半だ。ここは文学的で、思想的になっているが、奥底には平明なものがあると思う。それをどう読むか。

『はてしない物語』はミヒャエル・エンデの作品で、児童文学として日本でも親しまれている。物語は、「でぶでエックス脚の」いじめられっ子、バスチアンが古本屋に入るところから始まる。彼は、ある本に引きつけられて、店主がいない間にその本を盗み出してしまう。お母さんが死んでからというもの、お父さんは虚ろになってしまった、学校では教師からも仲間からもばかにされる。バスチアンには居場所がない。そこで、学校の屋根裏にある物置に籠もって、バスチアンはその本を開いた。それはファンタージエンという世界の不思議な物語だった。——

物語の前半は、ファンタージエンの大冒険が描かれる。本のなかの本の主人公アトレーユは勇士であり、幾多の危機を乗り越えてファンタージエンの世界を滅亡から救おうとする。そのためには、実はファンタージエンの「外」にある人間の子供の力が必要だーーバスチアンはいつしか本の世界に文字通り「引き込まれてゆき」、そのなかへ入ってしまう。そして、バスチアンが最後の鍵となることで、ファンタージエンは救われる。

ここまでが『はてしない物語』のなかでもとくに有名な部分ではないかと思う。不思議な本のなかと外がリンクして、現実世界では才能のないと思われている、だが想像力だけはふんだんに持ち合わせている少年が、本のなかの世界を救う。ところが、ここから難解な後半部が始まる。

後半では、ファンタージエンを救ったことにより、その世界ではどんな望みもかなえられるようになったバスチアンが奇妙な冒険をくり広げる。バスチアンが「物語」をすると、それがファンタージエンにおいては現実になる。あらゆる望みがかなうバスチアンは、美しい容姿や無類の強さ、知恵といったものを順々に手に入れていくが、その代わりに現実世界の記憶を次々に失っていってしまう。ファンタージエンで友人になったアトレーユは、彼を心配してもとの世界に帰るよう説得するが、それを疎んじたバスチアンは「もう帰らない。」と宣言し、アトレーユと決裂、ファンタージエンを二分する戦争まで引き起こし、アトレーユと剣で切り結ぶ。その後はひとりで放浪するが……

後半の読み方でたぶんポピュラーな、受け入れやすいものは、バスチアンの成長物語であるというものだろう。ドイツには、ゲーテ以来「教養小説」(これは誤解を招きやすい訳であり、原語はBildungsroman。英語のbuildに当たる言葉+小説で、「(人間や人格の)形成小説」という意味。)というジャンルがあるが、その一種と読む読み方である。主人公(バスチアン)はいろいろな体験をする、失敗もする、だがそのなかで学ぶ、そして誠の人間として生まれ変わる、という読み方である。それによれば、万能の魔法を手に入れたバスチアンが、はじめはそれを楽しみ、次いで慢心してゆき、ついには世界の「帝王」になろうとして友人さえ刃にかける、だが、その後の放浪のなかで、記憶をなくしてゆく自分に危機を覚え、また、「最後の望み」として「愛すること」を見出し、現実世界に戻っていく、というストーリーである。

こうして、バスチアンの人格が陶冶され、完成される「教養小説」である、というのがひとつ目の読み方である。しかし、僕はこの読み方に疑問を感じる。どうも、バスチアンにはきちんとした人格がないように思える。決断や選択も主体的と感じられない。ものごとのなりゆきに任せて、心情のゆくままに物語は流れてゆくだけのようなのだ。

それどころか、バスチアンは堕落してゆくようにさえ見える。ファンタージエンの帝王になろうとしてそれを諫める友人を刃にかけるわけだから。非がバスチアンにあるのは明らかだ。そして、その後の放浪でも彼は記憶を失い、望む力も少なくなり、このままファンタージエンに閉じ込められてしまうのではないか、というところまで状況は切羽詰まる。そして、最後にバスチアンは名前さえ、失ってしまう。「バスチアン・バルタザール・ブックス」は「名前のない少年」になってしまう。自分の名前も忘れたのだ。

それを救ったのは、アトレーユだった。アトレーユはバスチアンといっしょに現実世界に帰れる門に来て、バスチアンの代わりに門を司る者と話をする。

「記憶のないものは、ここへ入ってくることができない、蛇たちは通さない、といっている。」
「かれにかわって、ぼくがみんな覚えています。」アトレーユが叫んだ。「かれ自身のこともかれの世界のことも、ぼくにはなしたことをみんな覚えています。ぼくが証人になります。」

だが、おまえになんの権利があるのか、と問われてアトレーユは答える。

「ぼくは、かれの友だちです。」

その結果、「名前のない少年」は門を通過することを許され、「生命の水」を得て現実の世界へ帰ってゆく。父とバスチアンは愛情を取り戻し、バスチアンはこの体験の前よりも勇敢な少年になる。彼は、本を盗んだことを告白するべく、古本屋に向かう。店主はそんな本は置いていないし、バスチアンに会った覚えもないと言うが、バスチアンが不思議な体験の話をすると耳を傾けて、こう言う。

「そうだな。」ぼそりといった。「きみは幸せだよ。ファンタージエンに友だちがいるんだから。みんながみんなそうってことじゃないんだよ。」

この言葉が、『はてしない物語』の後半を解説しているように思う。これは「教養小説」の類ではない。バスチアンはものごとのなりゆきに取り込まれ、自らその一部としてふるまった。その怒濤の流れが物語の後半を形作っており、ついに最後の裁定の場面に至る。そこで、彼を人間世界に帰したのは、アトレーユの言葉だった。バスチアンは、たしかにいろいろな体験をしたのだが、決定的な場面で彼はまったくの無力だった。実際、名前まですべての記憶を奪われて、なにもできなかったのだ。

ここでアトレーユが登場することには、ふたつの意味を読み取れると思う。ひとつは、もちろんバスチアンの「友だち」であったということ。そして、もうひとつは人間世界の、現実世界の住人ではない、本のなかの住人であるということ。

だから、最後の古本屋のセリフにつながっていく。「きみは幸せだよ。ファンタージエンに友だちがいるんだから。」ファンタジー(空想)の世界に「友だち」と呼べるような存在がいるということ。それは、わたしたちみんな、本を読むことに楽しみをもつひとならば、誰でも体験できることだ。バスチアンでなくても。そして、そういう「友だち」をもてるかどうかは、ときにひとの人生を左右するだろう。彼らはわたしたちを支えてくれるからだ。ほんとうに、古本屋の店主が続けて言ったように、

「みんながみんなそうってことじゃないんだよ。」

誰もが「友だち」をもてるわけじゃない。おそらく本を愛せるひとだけが……

本のなかに、それも「作者」ではなく、ファンタジー世界の登場人物に「友だち」を見出せるということが、とても価値のあることなのだよ、とエンデは語りかけているように思える。

2013年9月27日金曜日

【俳文】札幌便り(11)


誰もいない秋夕焼の広場かな

雑木林の向こうは色に染まって。この秋は空から降りてくる、だんだんに。

数えればひふみよいくつ星月夜
なんの日か秋桜みんな咲いている

都会の夜空は星も見つからないようでいて、探せば増える。「今日はなんの日」と唱えたくなるような、群生。

月はまだ半分にてもなかなかや
爽やかに珈琲の香も漂い来

中秋の名月を待ちながら、夜の道を歩く。上弦の月。近所の珈琲屋からは風向きで離れていてもふと焙煎の香ばしさが漂う。

陰る日の陰り方さえ秋めきて
空き家にもおとなうものぞ蔦の壁

雲の向こうに隠れる日もゆかしく。「おとなうもの」(訪れる者)は秋。今年の札幌は中秋の名月をくっきりと見られた。

この道に空き地ができて小望月(こもちづき)
名月や梢の先に登りたし
名月を北国の子も見上げてる

人の背丈の二倍はあるだろう、木の枝の先ならばもっとよく見えるだろうか。鳥か童のように腰掛けて。ところで、名月と北国の取り合わせは不思議なものに思える。芭蕉は中秋の名月を見に鹿島詣をしたが、江戸の俳人の誰も北海道の月は詠まなかったろう。

十六夜に札幌の雲かかりけり

だから、月と北国の取り合わせだけで新鮮に感じてしまう。

居待月空紺色に晴れ渡り(いまちづき)

なんの趣向もないようでもある。北国の空は、以前にも書いたが色が薄い。真っ暗になれば黒一色と思われるかも知れないが、そうでもない透けるような紺色が残る。今年の月はよかった。

真鰈のさばけた笑顔北の人

札幌の人は移住者に対して分け隔てがないと言われる。その態度には救われる。「さばけた」は掛詞。

秋晴れやいずれの国の境まで
拳法の指先に来る蜻蛉かな

公園で太極拳をしていると、ゆらゆら蜻蛉が寄ってきて指先に止まった。そのまましばらくくっついている。手の向きを変えると、それに合わせて上に来る。いっそ散歩をしようかと思ったら飛び去った。

誰よりも早く染まるや七竈(ななかまど)

紅葉。「誰よりも遅くて蝦夷の桜かな」(拙句、既出)と呼応させた。

色変えぬ松にとどまる池の水
草の実や鳥になりたき心地して
子ひとりを置いてけぼりや鱗雲

へびいちごかなにかを見つけた。置いて行かれた子供のようなさみしさを覚えるのは秋が深まるからか。それとも病のせいだろうか。

眠らずに過ごす昼なし花梨の実(かりん)

夕方に目覚めれば「きたあかり」(じゃがいもの品種)のポタージュを作る。

じゃがいもの国のじゃがいも甘いこと

北海道の街灯はオレンジがかっている。雪降るなかでも道を照らすためだろう。春や夏には気がつかない。

オレンジの灯ぞやわらかき冬隣

2013年9月5日木曜日

「ヴィジョン」と「行動せよ」


ヴィジョンをもつ、という言い方がある。ビジネス書や自己啓発にも使われる言葉だが、今回は、ネイティブ・アメリカンゆかりの「ヴィジョン」から話を始めよう。

2013年8月28日水曜日

【俳文】札幌便り(10)


北海道の七夕は8月7日にやってくる。もっとも、函館は例外で7月7日らしい。商業施設のなかでは笹が飾られて、誰でも短冊をかけられる。子供は思い思いのことを書く。

プリキュアになれますように星祭り

「プリキュア」は日曜日の朝に放映するアニメで、数年来シリーズが続く。女の子に人気のヒーローだ。

ししとうに塩ふりかける涼しさよ

暑い夏に青唐辛子はちょうどよい。オリーブオイルを薄く敷いて、弱火で炒める。塩を振りかけるだけのシンプルな料理。ところで、角川の歳時記をめくると、「青唐辛子」は季語だが、傍題に「ししとう」がない。大辞林によれば、両者は同一のものなのだが……

きたあかり溶けてなくなる暑さかな

反対に、北海道の名物じゃがいも、きたあかりはほっくりとして、煮崩れる。その様はなかなかに暑さを感じさせる。

神官もビールの箱を運びゆく 

盂蘭盆の北海道神宮。人出多くにぎわうなか、白い装束に身を包んだ神官が、黄色いビールの箱を抱えて歩く姿には、滑稽味が混じる。そのまま公園を歩けば、

おにやんま登りたそうな滑り台

悠々と飛行する。近所には、紫陽花も見える。まだ色素を保ってドライフラワーのように枯れてゆく。どこからが枯れていて、どこまでが花として凛とあるのか、見分けがつかない。

紫陽花に秋冷いたる信濃かな (杉田久女)

この句を思い出す。信州の紫陽花は見たことがないが、高地で涼しく乾燥しているのだろう。遠く離れても気候が似通っているものと思う。ここで、栗の句をふたつ。

茶碗蒸しより栗出でてほっとする
一番に落ちてやったぞ青い栗

北海道では茶碗蒸しの底に栗を入れる。旭川でもそうだった。関東では百合根などが入っていたものだが。道端で見つけたきれいな青い栗(まったく変色していない。)は、初秋が落ちていたかのようだ。札幌もここ数年は気候が変わったと聞くが、今年は北の暦に従ったか、8月の後半にはあっという間に秋の気配が深まった。

オムレット黄色く秋の空青し

ししとうの一本辛し処暑の朝

「処暑」は暑さの収まる頃というが、残暑の厳しい日もまだある。ほのかな甘みのあるししとうを食べていて、とても辛い一本に当たった気分は、これが残暑か、と思う日に近い。さて、夜風はすでに肌寒いほどの8月末の札幌、ぶらり出掛けてみる。

月を見に珈琲屋まで歩きけり

2013年8月18日日曜日

ちょっとしたこと


ちょっとしたことを書きたい。ぼくが親しくしていた、中高時代の友人がいる。彼と数年前にお茶をした。桜の時期で、「男ふたりでなにしてるんだろうね。」などと笑い合いながら、ちょっとおしゃれなカフェへゆき、そのあと川沿いの遊歩道を歩いた。ふたりとも、どこか「ふらふら」していた。舞い落ちる花びらのように拠りどころがなかった。

それから2,3年後に、再び渋谷でお茶をした。彼は「いい場所を知っている。」と言って、穴場と言えるような、夕暮れ時のカフェ&バーへぼくを案内した。彼は「留学しようと思っている。」と言った。「MBAを取りに行くんだ。」

そのとき、つきあっている恋人がいたのかどうか、聞いたが、答えを忘れてしまった。ともかく、いまは結婚してふたりでアメリカにいるはずだ。

ぼくが「あれ?」と思ったのは、渋谷で留学の話を切り出した、彼の雰囲気だった。そのとき、彼は「身を固め」ているように見受けられた。結婚していなくても、すでに自分の道を決めていた。そう、彼は「定住」する場所を見つけたのだ。

彼はもう「ふらふら」しない。あの桜の花のようには揺れない。けれども、ぼくはただ「ふらふら」して——もう少しマシな表現があるとすれば、「旅をするような心持ちで生きて」いたいと思う。

もし、ぼくの友達や知り合いが、「定住」することに、あるいは「定住」させようとする周囲の圧力に、疲れたときにぼくを見かけて「あいつはいいよな。ふらふらして。真似したくはないけれど、見ている分には悪くないかもしれない」と思ってくれるなら、そうあってもいい。

2013年7月30日火曜日

【俳文】札幌便り(9)


 空っぽの日をおもしろくする麦茶

トポトポと満たされるのは、器ばかりではなく。どことなく爽快な気分で書く。

 香水のふと立つペンをもつ手にも

出先で書けば、自分でつけた香水に驚くことも。七月の半ばに函館を見て回った。函館は北海道でもっとも歴史の深い街。とりわけ古い家並み、商店の残る谷地頭(やちがしら)から歩き始めた。

 白靴を古めかせたる谷地頭

「古めく」は自動詞と思うが、ここでは他動詞に使った。函館山の麓をゆけば、元町に出る。有名な教会群と巨大な瓦屋根の寺院。神戸の異人館街に趣は似るが、まったくの観光地とされるより、周りの街並みに馴染むところ、横浜も思わせる。

 元町の坂を転がる夏帽子

 夏シャツの連れ立ちて入る(いる)ハリストス

ハリストス正教会は、ロシア系の薄緑の教会。外国人観光客は、涼しげな格好で中を覗く。夜は、函館市民で作る、野外劇を観にゆく。

 あおぐ手も止まる団扇や野外劇

壮観であった。五稜郭を舞台に、光が行き交い、船が訪れ、華やかな衣装姿が走り回る。函館の歴史を十五の場面にして表す。わたしはいつまでも拍手していた。翌日は、ロープウェイに乗って昼の函館山へ。夜景はかなわなかったが、市街をよく見渡せた。

 ハンカチの先に津軽の海狭し

函館は、ガスり(霧がかかり)やすい港町で、下北半島もこの日は見えなかった。札幌へ帰ると、夏の催しがもっとも多い時期になった。

 飲めずとも割り箸割らんビヤガーデン

 後ろ身はなどかさみしき浴衣かな

 風鈴が身体の芯に響きけり

 ひらひらを好かずに迷う白日傘

 打水をかぶって笑う子供たち

最後のは近所の光景。そうもできない大人はせめて靴を履き替える。

 サンダルの形をなぞる日焼かな

じめっとした日は、梅雨のない北海道にもある。そんな日は

 洋服を引っ掛けた身も土用干

晴れたら、からだごと干してしまいたいと思う。それから、また生活句。

 露台には北国とても夜の匂い

 夏掛けを手繰り寄せては眠り込む

夏の夜にふとベランダ(露台)に出たときの匂いは、東京と同じで懐かしさを覚える。夏掛けは、夏の蒲団。こちらは、七月も終わるというのに、紫陽花が色鮮やかに咲き誇る。

 紫陽花に紅さす七月の終わり

リズムが変則的な句。次の「水中」(みずあたり)は、水物の摂りすぎでおなかを下すこと。夏の不調のひとつ。

 水中するも寝っころがればよし

 夏痩せも本を読みなば忘れけり

もっとも、本で忘れてしまっていいものか。栄養のない飲み物がよくないのかもしれない。

 しばし待て夏炉に沸かす珈琲を

2013年7月28日日曜日

詩情


「あなたにとって、人生で一番、大切なものは。」——そう尋ねられたら、どうだろう。多くのひとは、物質的な話をやめて、精神的なことがらに思いを馳せるのではないか。

ひとは、幸福について考えるだろう。たとえば、「安らかな気持ち。」平穏な生活が続くこと。明日も、できれば、明後日も。

「家族」と答えられるひとは、すでに十分な幸福を築いたひと、かもしれない。小さな子供がいて、妻と(夫と)仲睦まじい。幸福感。

ほかにも、芸術に触れること、小説を読むこと。
スポーツにおける快さ、躍動する感覚。

恋愛における「ときめき」を大切にするひともいる。味わう想いや切なさが貴重だと感じるひともいるだろう。

仕事の満足。ビジネスにおける成功にかぎらず、自分のライフワークに打ち込むこと。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

いろいろなことを書いたが、僕にとって、いま、一番大切だと思えるものは、詩情だ。

詩情、それはたゆたうもの、移ろいゆくもの。

僕は、ほとんど詩を書かない。けれど、それでも詩情はある。旅する風景のなかにも、一杯の珈琲のなかにも。友人と交わす会話のなかにも、午前の陽を浴びるときにも。

そして、それは芸術的な霊感のようにおおげさなものではない。詩歌を紡ぎ出せるインスピレーションでもない。

たしかにそれは気持ちのありようだが、名前をもっていない。愛情や慈しみの偉大さでもなく、ノスタルジーのように浸れる感傷でもなく、涙とともに我を忘れる感動の類でもない。

胸のうちに泉のように湧き上がって、こぼれ落ちる水の流れ。言葉にも、すぐれた作品にもならない。

ただ、その詩情に身を委ねること。その詩情とともに、たゆたい、移ろうこと。どこへゆくという目的地もなく、連れ立っていること。ちょうど、思い出される音楽のように、心がいつも、静けさのなかで歌っている。

そういう詩情をもつことが、僕にとって人生で一番、大切なことだ。

2013年6月26日水曜日

爪切りのあちら側、こちら側


爪切り、というのは、100円でも売っているあの爪切りのことで、パチパチ爪を切るあれのことなのだが、今回は、旅と爪切りの話をしたい。

僕は、長い旅に出ることがたびたび、あった。いまは、2泊3日くらいが多いが、以前は、十日とか、二週間、西日本や北海道を放浪した(り、ふつうに旅行した)。そこで、必要になるのが爪切りだ。どうも気になってくる。二週間も旅をすると、爪が伸びてくるのが……。

ふだんの生活で、どれだけのひとが、爪切りの存在を、というか、爪を切る間隔を気にしているのかよくわからない。僕も、以前は、爪切りの存在なんて気にしたことがなかった。空気を呼吸するみたいに、伸びて来たら切っていた。それが、十日おきなのか、一ヶ月に一度なのか、わざわざ考えない。

けれども、旅をしていると、人間の爪は、二週間ほどでも、ちょっと気になるくらいの長さには伸びることがわかる。旅に出る直前に、いつもきちんと切って出掛けるわけでもないし、旅の間に爪切りが必要になる。そういうとき、ホテルなり、宿なりに借りて切る。

僕は、長旅をし始めてから、爪を切る間隔(の短さ)を意識するようになった。そして、もし、マルチツール(はさみやペンチやピンセットやドライバーなどがくっついた持ち運びツール)に爪切りのついているモデルがあったら、ほしいほどだと思った。……

そんな経験から思うのだけれど、(飛躍させて言えば)爪切りのあるところに、定住がある。僕は一人暮らしを始めて、爪切りを買った。それは、どこか安心感をくれた。いつでも爪を切れるという。

とても小さなこと、とても些細なことだ。だけど、僕にとっては、途中で爪を切る旅が長旅だったし、爪切りのある生活が定住である。だから、もし、爪切りを自分で持ち運ぶような、長い長い旅をするようなことになれば、旅と定住の境目がわからなくなってしまうだろう……家を捨てて、家財道具のひとつとして、爪切りをもって、放浪生活を始めてしまうかもしれない。

なんてことを考えたりする、六月の札幌は、涼しく晴れた空が紺碧に染まってゆく黄昏時です。

村上春樹の卵


村上春樹は、自分の書く態度について、「固い壁と、それにぶつけられる卵があるならば、僕は卵の側に立ちたい」というようなことを述べた。

この比喩は、作家としての姿勢のみならず、ものの見方を表していると思う。片方には巨大な壁のように立ちはだかる「固い」現実があり、それの前で、弱い人間はぐちゃぐちゃに潰されてしまいかねない、という構図だ。

村上春樹の文章は、けっしてセンチメンタルではなく、むしろ、現代アメリカ文学、そしてハードボイルド小説に影響を受けただろう、ドライで即物的なスタイルで書かれる。けれども、内容を追うと、文体からにじみ出るようにして、人間のもろさが露呈する。村上春樹にとって、人間とは、「幻想」的なほどに "Fragile" (もろさ、はかなさ、壊れやすいこと)だ。

たしかに、厳しい現実の前での共感はある。だが、その共感の世間的な大きさは危険でもある。「ほら、人間ってこんなに弱いのだよ。わたし(たち)はもうこわれそうです」と言いたくなること。

むしろ、「卵を茹でてみたらどうだい? 意外に、現実のなかをころころ渡っていけるのではないか。壁にぶつかったって、砕けやしないで。そう、コロンブスの卵みたいに」。書き手としての僕は、代わりに、そんな風に言いたい。

身の回りの世界を、超越的な「固さ」をもつ壁へと変貌させて眺めることから、離れること。幻想的な弱さから、現実の弱さへと踏み出すこと。そこから、強さを得るための具体的な一歩を進めること……。

2013年6月23日日曜日

【俳文】札幌便り(8)


松落葉ベンチのうえで寝るひとも

五月、長く雪に閉ざされていた円山公園が、茶色い大地を剥き出しにしているのには、力強い季節の移りゆきを感じる。

誰(たれ)よりも遅くて蝦夷の桜かな

日本でおそらく一番、遅い桜はエゾヤマザクラ。札幌にはソメイヨシノが少ない。

制服もスーツもありや花見客
木の下でカメラもつ子も花の宴

恒例の「花見」は、五月とともに始まり、公園も火気解禁となる。気象庁の「開花」は5月の半ばだったが、その前から、飲めや歌えの宴が開かれていた。

公園の花もけぶりなバーベキュー

じきに、楚々として奥ゆかしい山の桜が、ちらほらと花をつける。花見は、北国のひとにとっては、春を迎える行事らしい。円山公園に隣り合う北海道神宮も、参拝客で賑わう。

参道の花に埋める円い山

北ヨーロッパには、春の訪れを喜んで「五月の木」(メイ・ポール(英)、マイバウム(独))を立てる、という行事があります。春は短い夏の始まりでもあるような、季節の感覚。

実際、そこここに春の気色が。こちらのひとは、桜が咲くと「春が来た。」と言う。もう五月も後半だが、たしかに色とりどりの花が街路や花壇、家々の庭にあふれる。とりわけ、チューリップに目が行った。

小雨がち咲きたそうなるチューリップ
好きな子のほっぺに添えるチューリップ
来札のひと出迎えるチューリップ

その品種の多さと、あちこちに咲く様は、チューリップ王国のオランダを思わせた。北海道は、暦の上の夏を迎え、土地の暦では「春」を迎えているのでした。そうしたわけで、いくつか、遅れた春の句を。

母よりの手紙を開くクロッカス
遅咲きの桜のように笑むひとも
たんぽぽの乱れ咲く喜びと悲しみと
鶯の初音に白く二輪草
こでまりと握手しそうでできないな

鶯の初音を聞いたのは、二輪草の咲く山道でした。エゾエンゴサクという水色をした花も、五月の半ば頃、群生していました。こでまりは、まるで握手を求めるように風に花を揺すります。それから、夏の句を。

大木の曲がりたる根に清水寄る
新緑を編み上げている途中の木
小満や北の緑は薄緑

小満。万物がしだいに満つる時節。北国の林や山は、濃緑ではなくて、薄く白樺の肌を映したような浅い緑、黄緑に染まってゆきます。

夏の夜自転車一つ月一つ

今年の夏は、どこへゆこうか。

2013年5月3日金曜日

札幌便り(6)(新版)


※以前、札幌便り(6)として掲載したものの前半を新しく書き直したものです。

茫漠とした気持ちで迎える三月。まだ雪は積もったまま、これより積もることはないものの、溶けゆく四月までは間があります。

二月尽はじまるものもないままに

ブーツを履いて出掛け、ひとと行き交うときにはどちらか雪の壁に寄ります。

細道や雪を踏み抜くすれちがい

三月三日の節句の頃、幸いに蛤(はまぐり)のお吸い物をいただきました。

蛤の地模様競うお吸い物

まだ寒い啓蟄の日に。はぎましこは鳥の名です。

啓蟄の土の色してはぎましこ

こちらでは、鰊(にしん)のお刺身がスーパーに並んでいます。値段も手頃。鰊の別名は「春告魚」、道民にとってはもどかしい名前です。

札幌の春告魚や小骨刺す

ちくりちくり、と刺します。けれども、春の足音もたしか。

札幌のひと傘を差す別れ雪

北海道のひとは、雪に傘を差さない、と言います。こちらの雪は、コートがはじくから濡れないのです。それが、ある日、示し合わせたように街の人々が傘を差しています。「ああ、もうびちゃびちゃと溶ける雪なのだな。」と、納得しました。

春雨やまだ傘差さぬ怒り肩

同工異曲の句。そんな札幌の雪も、いつしか雨に。長い冬が終わる感慨。氷の層となっていた根雪も、ついに、じゃりじゃりとアスファルトを見せます。

氷解く自転車でゆくおじいちゃん

札幌では、自転車は約半年しか乗れません。なぜか、春先に見掛けるのはおじいちゃんが多いよう。

あかときを待とうつもりが朝寝かな

札幌の夜明けはいささか遅く、早朝に目が覚めても、まだ暗いかと目を閉じて寝過ごしてしまいます。朝がだめなら夕べを。春は午後のカフェもよいです。

しるしるとシェードを上げぬ春夕焼

雪景色を遠ざけるくらい、赤みが差すのです。

2013年4月30日火曜日

【俳文】札幌便り(7)



雪解けの松葉の先の雫かな

円山公園はいまだに腰まで雪があった。四月の初め。帰り道では、

凍て山の向こうにありぬ春夕焼

稜線のうえには春の夕焼けが穏やかに、その下は薄暗く、白雪と枯れ木の厳しい表情を湛えた山。

凍てゆるみキウイフルーツくりぬけり

ちくちくする酸っぱさが、抜けきれない冬のなかの早春を思わせる。今年の四月は、東京への帰省がある。

あてもなき旅にしあれば朝寝かな

帰省もまた長旅のよう。長旅ならば、朝寝のひとつも、と、くちずさみ、飛行機のチケットを取る。

清明や季節を越えて東京へ

海を越え、季節を越える。札幌は、ふた月遅れで春が来ると、道民から聞いた。東京行きは、ふた月分の時間を進めるだろう。はたして、東京へ着けば、桜もすでにだいぶ散ったあと。

知らぬ間に花も散りしな里帰り

さっそく、家の周りを散歩する。

熊ん蜂どこゆく橋の右左
芝桜われよりほかに花知らず
空き家や主なくして花水木
小手毬や姪っ子の頬つつく指

暖かい春の保育園も通りかかった。子供たちは外で遊ぶ。

子に配る風船売りになりたしや

晴れやかな日が続く。曇りがちの北海道とは、だいぶ異なる。お釈迦様の誕生日も迎えた。

恋人と指の触れ合う花祭り

艶のある句も、たまには良かれと。

四月の後半には、また札幌へ戻ってきた。車窓から見る野原に田畑、雪はほとんど解けている。街中も、路肩に積まれた壁のような雪が取り払われていた。

札幌の道幅広し春コート

雪がなくなってみると、札幌はこんなにも道幅が広かったのか、と驚く。

真っ先に開こうとしてクロッカス

ふきのとう、福寿草、クロッカスは北海道の春の先触れ。街路樹の下、小さな花壇に早咲きのクロッカスを見つけて、気持ちがほぐれる。さて、本業の書き物に取りかかろう。そう考えながら、カフェの窓から外を眺める。しかし、いつまでたってもこうして新鮮な気持ちになれるのは、裏を返せば、進歩していない証拠ではないか、などと思わないでもない。

いつまでも新入社員カフェの空

また新しい四月を迎えられたことを幸福と思う。

2013年4月26日金曜日

ハルキ風イケメンになる10の方法


巷でひそかにブームになっている(?)ハルキ風イケメン。村上春樹の主人公は、いつもある特徴をもっています。彼らは、テレビのバラエティー番組に出てくるようなバブリーなイケメンではなく、そこからやや距離を置いた知性派のイケメンです。最近は、この「ハルキ風」がモテるというまことしやかな噂が。そこで、今回は、そんな「ハルキ風イケメン」に手軽になれる10の方法を紹介したいと思います。


【1】自分のことを「ぼく」と言う。

まず、自分のことを「ぼく」とお洒落に言うことから始めましょう。たとえ、周りはみんな「おれ」を使っていても、または、あなたが髭を生やしたいい歳の中年でも、気にすることなく「ぼく」を使いましょう。

実例:「ぼくは人並みの人間なんだよ。あるいは、そうなりたいと思っている。」


【2】アイロンを丁寧に掛け、スクランブルエッグを作る。

シャツにはきちんとアイロンを当てます。できれば、アイロン掛け自体を好きになりましょう。かんたんな料理ができることも、大事なポイントです。べつに、凝ったものが作れる必要はありません。彼女が家に来るから、野菜で彩りを添えたペペロンチーノを作って待っているよ、と、できなくてもいいのです。ハードボイルドな探偵でも作りそうな、サンドイッチか、スクランブルエッグを練習しましょう。

実例:「日曜日には、まとめてシャツにアイロンを掛けている。それをしていると落ち着くんだ。気が利かなくてすまなかった、なにか食べていくかい? あいにく、珈琲とスクランブルエッグくらいしか、出せないけれども。」


【3】一日、誰とも会話しない日を作る。

愛嬌のあるキャラクターを演じて、みんなを楽しませる。よく友達と連れ立っている。そうすれば、ふつうのイケメンにはなれるかもしれませんが、疲れます。そこで、逆に、一日、誰とも会話しない日を作りましょう。そして、女の子とおしゃべりするときに、それとなくアピールしてみましょう。

実例:「あの頃は、よくひとりで学食に行っていた。誰ともしゃべらない日もあった。だけど、とくにさみしいとは感じなかった。コンビニエンスストアでレジ袋を断るときに、ひとこと口を利くくらいだったんだ。」


【4】気の利いた比喩を付け足す。

話題作りは難しいものです。しかし、過去の武勇伝を持ち出したり、まぬけなエピソードで笑いをとっては、ありきたりな男だと思われてしまいます。むしろ、ふだんと変わらない会話を心掛けましょう。ただし、気の利いた比喩を付け足すことを忘れずに。

実例:「弟さんは元気なの。」「うん、彼は元気にしていると思う。タフな人間だから。ぼくらが会うことはほとんどない。だけど、ときどき葉書が舞い込む。ちょうど、春先の軒下につばめがやってくるように。」


【5】特定のクラシック音楽を聴き込む。

なんでもよいので、クラシック音楽を聴きましょう。通になる必要はありません。ただ、ひとつかふたつの曲を決めて、何度も聴き込めばよいのです。選曲の際に気をつけることは、1.メジャーすぎない作曲家を選ぶ、2.タイトルを口にしたときに印象に残りそうなものを選ぶ、という二点です。

実例:「どうかしたの。」「いま、ふとシベリウスの「ポヒョヨラの娘」を思い出していた。」「なに、それ、ユニークな名前ね。」「ポヒョヨラは、フィンランドの叙事詩に出てくる娘の名前なんだ。シベリウスは詩にインスピレーションを得て作曲したんだよ。ずっと昔、レコードでくり返し聴いたから、いまでもときどき思い出す。なぜ「ポヒョヨラ」をくり返し聴いたりしたのか、そこに、とくべつな理由があったわけじゃない。このお店の赤ワインが、チリ産ではなくて、スペイン産であることに、とくに理由がないようにね。」


【6】現代のおとぎ話を知っている。

現代のおとぎ話のような、にわかには信じがたいけれども、ありそうな話をしましょう。実際にあった話でも良いですし、作り話でもかまいません。

実例:「なにか、おもしろい話をして。」「ぼくがさっきからぼんやりと考えていたのは、五角形の禿げのことだよ。マルセル・デュシャンという変わった芸術家が、自分の後頭部に五角形の剃りを入れたんだ。なぜそんなことをしたのかはわからない。ただ、ぼくがそれを見たのは、たしかマン・レイが撮った写真でだったと思う。」


【7】話しづらい過去について聞かれたら、「失われてしまったんだ。」と答える。

親しくなりたい相手にも、打ち明けたくない過去はあります。また、話すとしても、いまのタイミングじゃない、と思うことも。そういうときには、「失われてしまったんだ。」と答えましょう。

実例:「二十歳の頃は、どんな生活をしていたの。」「どこにでもいる、ふつうの学生だったよ。週に四日は大学に行って、二日か三日はバイトをしていた。名画座に通ったりもしたけれど、なにを観たのかはよく覚えていない。みんな、おぼろげなもやの向こう側にあるようなんだ。ぼくが二十歳のとき、いまもうまく話すことのできない、つらい出来事があった。それはぼくにとって、正直、かなりきついことだったんだよ。いまとなっては、あの頃のぼくは、失われてしまったんだ。


【8】深刻な話になったら、「損なわれてしまったんだね。」とコメントする。

親しくなれば、女の子から深刻な話を聞く機会もあるでしょう。それは、信頼を勝ち取るチャンスです。けれども、言葉のかけ方をまちがえると、「このひとはわかっていない。」と呆れられてしまうかもしれません。そういうとき、「損なわれてしまったんだね。」という表現が役に立ちます。

実例:「わたしが以前、つきあっていたひとのことを話してもいい?」
「もちろん、いいよ」
「ときどき心が疼くの。凍てついた霜のうえで、膝を抱えて座っているみたいに心細くなるのよ。そういうの、わかる?」
「わかると思う」
「彼はね、けっこう、なんというかな、無茶なところのあるひとだった。ある日、いきなりわたしを連れて旅に出よう、と言い出したり」
「あるいは、象を食べようと言ったり」
「茶化さないで」
「悪かった」
「それで、あるとき、ひとりで樺太に行くと言って、そのまま帰ってこなかった。わたしを置いて」
「彼はどうして樺太に行かなきゃならなかったんだろう」
「わからない」
「ねえ、こういうのは微妙なことがらだよ。あるいは、繊細な、と言ってもいい。チェーホフも樺太に行った。だけど、きみの彼もチェーホフと同じように樺太行きを決めたのかどうかはわからない。第一、ぼくは彼と面識もない。それに、樺太どころか、北海道にさえ行ったことがないんだ。おそらく、彼は損なわれてしまったんだね。きっかけは些細なことかもしれない。けれども、それは決定的なことがらだったんだ」


【9】真夜中の3時に電話を掛け、下の名前を3回呼ぶ。

いよいよ、彼女に想いを伝えるときが来ました。あなたがハルキ風イケメンを目指すのなら、真夜中の3時に電話を掛けましょう。ちなみに、翌日が休日である必要はありません。込み入った話はしませんし、返事は向こうの都合の良いときを待てば良いからです。あなたの電話は相手を無理に起こすでしょうが、とにかく、言いたいことを言うべきです。大事なのは、「きみがほしい。」と伝えることと、彼女の下の名前を3回呼ぶことです。

実例:「どうしたの……いま何時?」「ごめん。こんな時間に電話を掛けるのは非常識なことだとわかっている。きみが快く思わないだろう、ということも。だけど、どうしていいかわからないんだ。きみがほしい。こんな気持ちになったことはいままでなかった。どうしていいか、自分にもわからないんだ。」「いま、どこにいるの。」「○○○、○○○、○○○……!」(彼女の下の名前。)


さて、【9】まで実行すれば、あなたはほぼ完璧な「ハルキ風イケメン」です。すでに彼女もあなたに夢中かもしれません。ですが、もし、それでも恋が実らなかったら……


【10】フィンランドや四国など、どこか遠くへひとりで旅に出ましょう。


幸運を祈ります。

2013年3月31日日曜日

【書評】『狼と香辛料』〜中世ヨーロッパ商人の時代小説

<概要>

『狼と香辛料』は、ファンタジー世界を舞台にしたライトノベルで、2006年の第1巻は著者のデビュー作でもある。全17巻で完結し、シリーズ累計400万部を売り上げている。

今回は、第1巻から第5巻までを面白く読んだ。テレビアニメ化もされているようだが、そちらはチェックしていない。作品は、25才の旅する商人(男性)が、狼の化身である少女と出会い、道連れとなり、商売をしながら、彼女の故郷を探すというもの。世界観は、独自のファンタジーで、著者によるフィクションだが、中世ヨーロッパを(参考文献から察するに、とりわけドイツを)かなり忠実に模している。

一巻ごとの展開は、ふたりの前に「儲け話」または「故郷を探す手がかり」が現れるが、それを追ううちに、権力の陰謀や商人の策略に巻き込まれ、そこから脱出して利益を勝ちとる、という流れ。そこでは、商人の世界がこまやかに描き出され、面白い仕掛けや裏をかく策謀が解き明かされ、主人公たちは、みごとに自分たちの勝利と言えるような結末に導いていく。一種、ミステリーのような読後感がある。

<商人世界のリアリティ>

本作の面白みのひとつは、その商人世界のリアリティにある。著者の支倉凍砂(はせくらいすな)さんは、大学では物理学を学んだというが、独学で丁寧に中世ヨーロッパの世界を勉強なさったようだ。

」というまとめサイトがあり、参考文献が列挙されているが、著作のきっかけとなったと言う『金と香辛料』(ジャン・ファヴィエ, 春秋社)をはじめ、中世ヨーロッパに関して、生活誌、傭兵、騎士、十字軍、迷信、都市の研究、魔女狩り……といったテーマが咲き乱れている。

これだけを見ても、文献を渉猟して、中世史研究の成果をきちんと交えた作品作りをしていることがわかる。実際に読み進めていても、中世を思わせる商習慣や町の様子、権力の機構、生活誌の雑学といったものが自然と織り込まれている。それらの知識は、けっしてくどくはない形で、世界観を緻密に描くために一役、買っている。

だから、この作品は、ファンタジー・ライトノベルにありがちな、剣と魔法とドラゴンが出てきて、詳細はわからないヨーロッパ風の世界観のなかで、勇者が戦いを繰り広げるような類とは、ずいぶん趣が異なる。緻密に描かれた商人世界のリアリティ。それが、『狼と香辛料』を、中世ヨーロッパを舞台にした時代小説のようにしている。

<可愛い狼少女「ホロ」>

けれども、そうした「真面目」な側面の一方に、ライトノベルのお約束として、異世界の住人である可愛い少女(狼の化身である女主人公「ホロ」)が出てくる。彼女は、数百年のときを生きた狼の霊だか、神だか、そういう存在で、主人公の男と、ラブコメを繰り広げる。たいていは、戯れ言を返し合うようなやりとりで、結局、主人公がやりこめられて、「ホロ」の勝利に終わる。その台詞回しのかっこよさ、気取り、まぬけさ、可愛い少女が主導権を握る恋愛劇、といったところに、作品のもうひとつの面白みがある。難しく書いてしまったが、「ホロに『萌え』ます。」と言えば、わかりやすいだろうか。

ただ、ふたりの心理描写が少しくどく、会話が音楽性に欠ける(あまりリズム感がなく、説明調になりがちな)印象を受けるのが、やや難かな、と思った。けれども、小さな嫉妬や、別れの予感、信頼や愛しさをエンターテイメント仕立てで交えることによって、ライトノベル特有の「軽快な読み心地」を、さきのリアリティと両立させているのだから、これはこれで楽しめばよいか、とも思う。

最後に、ライトノベルの書評にしては、かなり真面目な文章になってしまったのを申し訳なく思う気もするのだが、本屋に並ぶ小説も「ライト」なものが増えるなか、知性とアイデアと筆力を感じさせる力作として、高く評価したいのだから、という理由でご容赦願いたい。ちなみに、年間3冊のペースで執筆されていたようで、ライトノベル業界ではふつうなのかもしれないが、質の高さを見ても、ペースの速さには驚かされた。

気晴らしと、中世ヨーロッパ世界に浸る喜びを兼ねて、続きを読みたいと思う。

エッセイとはなにか


昔、天声人語で、随筆についてこんな文章を引用していた。「欧米におけるエッセイと、日本の随筆は少し異なるようだ。日本の随筆は、話題の中心から離れたところで始まり、なかなか中心に触れずに、その回りを遠巻きに回るように進む」。うろ覚えで、細部はしっかりしない。

僕はこの考え方の骨格を、とても興味深い、と思った。それで、頭のなかに残ったイメージは、「核」のようなものが真ん中にあって、その回りを螺旋のようにぐるぐる巻きの線が回っているというもの。

日本の随筆は、おそらく、なかなか核心に触れないのだろう。通り過ぎてゆく、行きつ戻りつ、ぱっと話題が飛ぶ。飛躍したように思えるが、奇妙な近道を通って、戻ってくる。それも、気づくと、ぐっと近づいている、言いたいことはそこなのか、と思う。ついに結論部に至るぞ、と思いきや、ふっとはぐらかされて終わる。それで、終わり。空白のような余韻。

僕は、そんな「随筆」をとても好ましいものに思う。奥ゆかしい、という言葉がぴったりくる。それでいて、そのゆき方は、しばしば、ものごとを捉えるためにもっともふさわしい方法ではないか、とも考える。

2013年3月30日土曜日

追記:そして、なぜ「吟遊詩人」なのか。フィリップ・マーロウを参考に。


さきの「吟遊詩人のまなざし」の話では、なぜそれが「吟遊詩人の」と名づけられるのか。

やや唐突な遠回りなのだが、ハードボイルド小説について、少し。レイモンド・チャンドラーの生み出した探偵にフィリップ・マーロウがいる。彼は、ハードボイルド探偵の代表格だ。「ハードボイルド」とは、固ゆで卵のように硬質で弾力のある人格を意味する言葉なのだと思うが、実際、マーロウの活躍ぶり、その台詞回しは、気が利いていて、感情に流されることがない。それは、硬質な文体と相まって素晴らしい小説の効果をあげている。

だが、マーロウの物語は、ただ単に「強くて」「クール」な探偵のお話ではない。それどころか、マーロウ自身が自分のことを「センチメンタル」なやつだと言い、チャンドラー文学の決め台詞としてよく引き合いに出されるのは、「タフでなければ、生きていけない。だが、やさしくなければ、生きている資格がない」という、情のあるものだ。というわけで、ハードボイルド探偵もののマーロウは、実に「感傷」と「やさしさ」にも通じている。

また、面白いのは、マーロウが事件にわざわざ巻き込まれていく理由だ。たとえば、一度会ったきりの人物に対して、友情や義理堅さ、日本語で言えば、仁義みたいなつながりを勝手に抱くがゆえに、事件に首を突っ込んでいく。そういう個人的な理由を堅持するから、警察とも張り合う、ヤクザな連中にもよく思われない、犯人にも暴行を受ける、というわけで、タフでないとやっていけない。

けれども、彼は、けっして感情の坩堝には、落ちない。いつも愛嬌のある、気の利いた、ジョークのような台詞で難局を茶化してしまう。だが、真剣だし、皮肉屋でもない。また、友情に厚いくせに、表面上の態度は、淡々としてそつがない。そのギャップが、奇妙な浮遊感(現実的でない、フィクションであることを意識させる)とともに、人物として、また文体としての一貫性を小説にもたらす。

以上が、ハードボイルド探偵、マーロウに関する分析である。

それで、ハードボイルドと吟遊詩人の間に橋渡しをしなければならないわけだが。マーロウのもつようなギャップが、「吟遊詩人のまなざし」のうちにもある。それは、吟遊詩人が、あの独特の「遠さ」の距離感によって、繊細な感情のなかを「行き来」することにかかわる。

吟遊詩人は、語り手なのである。ただの旅人ではなく、事件や出来事に関心をもつだけでなく、それを外から眺めた物語にできなければならない。そこで、マーロウが「友情」と「クールさ」の間を、「センチ」と「気の利いた台詞」の間を行き来するように、吟遊詩人も、ひとつの出来事に対して、さまざまな感情の間を行き来できなければならない。そのことによって、かなしみに対しても、よろこびに対しても、距離を置いて語ることができるようになる。もし、自在な行き来がなく、現実に距離を置くこともできなければ、その語りは制約された、ぎこちないものになってしまう。

そして、この「行き来」は、吟遊詩人が、どこにも定住しないことを、武術の言葉で言えば、「居着かない」ことをも示している。吟遊詩人は「旅」をする。それは、物理的な移動というより、語りの立ち位置についてだ。自由に、立ち位置をずらせること。たとえば、多くの人が「おお、なんというかなしみ」と言う場面で、「かなしみ」に片足を置きながら、一歩離れた場所にも他方の足を伸ばせること。それが語りの幅を広げる。

さらに、おそらく思想についても同じことが言える。人生は苦である、とか、なにもかもがかなしい、とか、逆に、どこにでもよろこびを見出そう、とか、愛がもっとも大切である、とか。そのどれも否定せずに、そのなかへ踏み入ろうとさえする。けれども、ひとつところに居着くことがない。また、べつのものの見方へ、生の態度へと、足場を移す。

このような、ものの見方や感情や思想における、一所不住のあり方は、ハードボイルドと相通じてもいる。マーロウが、あらゆる事件の現場に出入りし、登場人物のみんなと接触をもちながら、結局のところ、事件を自分の支配下におかず(ある程度をなりゆきにまかせる)、また、登場人物の誰とも固定した関係をもたないで、オフィスにひとりきりで結末を迎えることに対応する、ように思える。

吟遊詩人は、べつにハードボイルドではない。ただ、いかなるときも、あの「遠さ」の感覚を忘れないことで、固定した感情やものの見方に囚われないでいることが、求められると思う。その姿勢が、旅心のみならず、語り手としての自由な立ち位置と不可分であると、言える。

吟遊詩人のまなざし


偉人の伝記を読んでいると、「これほど歴史に残る仕事をしたひとでも、こんなにも些細なことにこだわったのか。」と思って、不思議な気分になることがある。たとえば、穏やかな賢者という趣のあるスピノザ(哲学者)でさえ、暴徒が街を荒らしたときに平静ではいられなかったというエピソード。ほかにも、ベートーヴェンがお金のこと、買い物のことなど、事細かに記した日記を読むと、「そうか、彼も生活をしていたんだ。」と当たり前のことに気づく。

今回は、偉人の話がしたいわけではないのだが、「時間を超えた」視点の話をしたい。後世から見れば、「そんなことは(理想や、高邁なもの、人間にとって大切なことがらからすれば)全然、重要じゃない。」と思われることに拘泥した歴史上のエピソードはたくさんある。だから、あまりに権力闘争や損得勘定の絡んだ歴史は、学ぶ気がしなくなることもある。それは、わたしたちが無意識のうちに、「時間を超えた」視点から歴史を眺めるからで、その際、過去の出来事に対しては、現実の断片よりも、一貫性のある物語を求めがちであるから、だろう。

さらに、そこでは、物語性が生じるばかりでなく、「フィクション」と「現実(ノンフィクション)」の境目も曖昧になる。たとえば、「イーリアス」という古代ギリシャの叙事詩は、史実に基づくが、ホメロスという詩人が物語った点では「フィクション」を含んでもいる。そして、どこまでがフィクションでどこからが実際に起きたことか、という学問的な線引きとはべつに、古の物語は、総じて、どこか浮き世離れした、架空のおとぎ話のようでもあり、現実に起きた事柄でもあるような、二重性をもつ。

さて、「吟遊詩人のまなざし」へと話を運ぼう。わたしたちは、自分たちが現に生きている時間のなかでも、さきに述べたような「時間を超えた」視点をもつことが、しばしばある。たとえば、ある夏に仲間と旅行をする。それは、終わってみると、あっけなかったような、いまとは隔たりがあるような、遠い日の出来事のような、そんな気がする。身近なひとを亡くすと、生前の出来事が鮮やかに思い起こされる。そういう記憶の作用は、時の彼方を見つめるような気分にさせる。

こういう出来事の眺め方を「吟遊詩人のまなざし」と名づけたい。「遠さ」の感覚、現実との「隔たり」の感覚を伴い、少し「時の彼方」を見つめるような気分にさせるまなざし。ある種の「時間を超えた」視点をもつこと。これは、さきの通り、古人の伝記を読むときに、自然と取りがちな態度でもあるし、歴史に触れるときにしばしば構える仕方でもある。

ただし、そのまなざしは、単なる「ノスタルジー」(懐かしさ、懐古趣味)や、「失ったことがらへの愛着」、「非現実への没入」(または、「現実逃避」)といった態度とは異なる。ここで問題になっているのは、どんな「感情」に浸るかではなく、現実に対する「距離感」である。「吟遊詩人のまなざし」の先にあるものは、(現実であるという点で)「はるか彼方」というほど遠くはないが、かといって、(フィクションの感覚を含む点で)目の前にあり、その渦中へ自分を巻き込むほど近くもない。遠すぎず、近くはなく。そんな宙ぶらりんの距離感のもとに置かれる。

こうして、「吟遊詩人のまなざし」は、まったくの凝り固まった現実とも、夢想の物語ともちがう、それらの間で現実と隔たる、遠さをもつ。そのとき、わたしたちは、一方では、現実の些事に拘泥することをやめることもできるだろうし、他方では、フィクションや夢想に没入して現実を見失う過ちからも、逃れられるだろう。そうした間合いを、妙味のある距離を掴もうとする。

これは、いわば生の美学の問題である。そういうまなざしを獲得しようとする生き方もできる。それが「美しい」かどうか、「よい」かどうかは、ひとによる。また、実際には、わたしたちは現実のさなかで「距離感」など気に掛ける余裕さえないかもしれない。けれども、「吟遊詩人のまなざし」をもつひとは、どこへゆくのか。そのひとは、旅をするような浮遊の感覚を忘れないだろう、と思う。

2013年3月26日火曜日

メッセージボトル


緑の瓶が落ちています。浜を歩いていた少年は、なにげなく拾いました。そこはゆくりが浜でした。

少年が、緑の瓶を持ち帰り、窓辺に立てておくと、少年のお兄さんがやってきて、言いました。

「こういうのは、メッセージボトルにぴったりだなあ。」

なんだい、それは。と、少年はたずねました。「メッセージボトルというのはね、空き瓶に手紙を入れて、コルクで蓋をして、海に流すのさ。どこかの岸に漂着するだろう。それを、見知らぬ誰かが読むのさ。」お兄さんは、こんな風に説明しました。少年は、なんておもしろいのだろう、と思って、ぽかんとしました。

さっそく、手紙を書いてみました。「ぼくは10才です。海辺の町に住んでいます。あなたはなにをしていますか。」こんなものでしょうか。書きあげると、くるくるっと丸めて、緑の瓶に詰めました。コルクで蓋をすれば、メッセージボトルのできあがりです。

少年は、晴れた日に海に向かって投げました。メッセージボトルは、引く波にさらわれて、ゆくりが浜から旅立ちました。

さて、ゆくりが浜のある町の、隣にある町の話です。こちらは、ひとがたくさん住んでいて、入り組んだ湾が港になっており、多くの船が貿易に出るところでした。そこに、とおみが崎という岬があります。ひとりの少女が、そこに立って、海を眺めていました。夏の海は、青く、波と陽に揺られて、どこまでも青いのでした。

ところが、目を凝らすと、とおみが崎の下の岩場に、緑色に輝くものがありました。なんでしょう。少女は、遠回りして岩場へと降りてゆき、その緑色のものを掴み取りました。それは、丸めた紙の入れられた瓶でした。少女は、それを家へ持って帰りました。

「こういうのは、メッセージボトルと言うのだよ。」

と、船が好きなお父さんは言いました。「空の瓶にね、手紙を詰めて、海へほうり投げるのさ。いつか、どこか遠い国の波打ち際で、誰かが拾うだろう。」その説明を聞くと、少女は、夢中でメッセージボトルを開けました。そこには、一枚の手紙が入っていました。

「ぼくは10才です。海辺の町に住んでいます。あなたはなにをしていますか。」

そこには、そう書かれていました。少女は、うれしいのとどきどきするので、返事を書かずにはいられませんでした。それで、一晩かかって、こんな風に書きました。「わたしは、11才です。港のある町に住んでいます。わたしはいま、学校で勉強をしています。」そして、翌朝、とおみが崎から、同じメッセージボトルを投げたのです。

少女が投げたメッセージボトルは、近くの波にさらわれて、遠くの波に乗せられて、沖の方へ流れてから、また、浜へと戻ってきました。ただし、それは、隣町のゆくりが浜でした。

ゆくりが浜の少年は、あれから、毎日、浜へ来て、なにをするわけでもなく、ただ、そぞろ歩いていました。ぼくの流したメッセージボトルは、いまごろどこを漂っているのだろう。それとも、誰かのもとに辿り着いただろうか。そんなことを考えました。もしかしたら、ぼくと同じようにメッセージボトルを出したひとが、ほかにもいるかもしれない。この海のどこかで。

そこまで、考えたときでした。少年は、あのときとまったく同じように、緑の瓶をみつけたのです。けれども、今度の瓶は少しちがっていました。コルクで栓がしてあったのです。少年のこころははやりました。これは、メッセージボトルじゃないのか。ほかの誰かが、たぶん遠い国から、このボトルを流したのでしょう。それは、いま、ゆくりが浜に届きました。

さっそく、家へ帰って、瓶を開けました。中には、手紙が一枚、入っていました。そこにはこんな風に記してあります。

「わたしは11才です。港のある町に住んでいます。わたしはいま、学校で勉強をしています。」

少年は、驚きのあまり、口をぽかんと開けました。そして、すぐにくすくすと笑いました。うそかほんとか、これは、少年が出した手紙に対する、返事のようだったからです。少年は、無性にうれしくなりました。届いた手紙を、ぎゅっと握りしめると、目をつぶりました。潮騒が聞こえてくるようでした。

こうして、隣町の少年と少女は、翌朝も、ゆくりが浜ととおみが崎に立ちました。自分が投げたメッセージボトルのことを思い、また、受け取ったメッセージボトルを投げた、遠い国の誰かのことを思いました。

ふたりは、それぞれの浜で、海の向こうを眺めていました。はるか遠く、地平線の彼方を。ふたりとも、目に見えないものを見つめていたのです。