2019年2月27日水曜日

うまくやれている?


仕事をしていて数字で結果が出るとき、

じぶんには「うまくやれていない点がある」とたびたび思う。

できるひとなら、きっと「もっとうまくやれる」だろうに、と。

けれども、そこで「うまくやる」を目標にすると、仕事への向き合い方がズレてしまう気がする。

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文脈はぜんぜんちがうが、よく思い出す話。マザー・テレサはインタビューを受けて「あなたはこれからもうまくやっていけると思いますか?」とたずねられたとき、

「神は「うまくやる」ことを求めてはおられません。わたしは神に忠実にするだけです」
といった風に答えた。


2019年2月23日土曜日

『ニムロッド』(芥川賞受賞作)あらすじ〜批評〜解釈

フランスの新聞では話題の文芸作品が出ると、あらすじと批評が長文で載り、原作を読んでいなくても知ったかぶりができるほどの情報量をもつという。

芥川賞受賞作『ニムロッド』(上田岳弘)について、その真似をしてみる。
*以下、ネタバレを含みます。

2019年2月22日金曜日

明日、革命をしません

いまの状況をもっとよくしたい、そのためにじぶんを変えてしまいたい、と思うことはある。「じぶん革命」を起こすべきだろうか?


哲学者のヴィトゲンシュタインは「自分を革命できる者が本当に革命的なのだ」と書きつけた。

なるほど、外に向かって、社会や他人を革命しようという動きは、いつもうまくいかない。
大破壊か、大殺戮か。行き着くのはそういうところ。

それなら「じぶん革命」をするしかないと思われるが、ぼくはそもそも「革命」を信じない。

次の一歩で行けるのは、いつも半径一歩以内。

だから、

焦らず、(革命をのぞまず)
ゆっくり、(三歩進んで二歩下がるぐらいのペースで)
じっくり取り組む。(長い時間をかけて……)

それ以外にじぶんの根っこを、じぶんが置かれた状況をしっかり変える道はないのだと思う。

──こわすのはかんたんなのに、つくることはどうしてこんなにむずかしいのだろう?

ハロー、グッバイ

──人間関係におわりはあるが、ゴールはない、と思う。
途切れてしまうことはあるが、揺るがない安定に着地することはない。

たとえ結婚しても、親友や旧友と呼んでも、きっとそうだろう。


恩師がいつか「友達は選べない」と言っていた。「たしかに」と思う。
偶然と、ふしぎなダイナミズムのあとで、いまの交友関係ができている。

なんだか不安定な気もするし、これでよかった、という気もする。

編集者はずるい?

かつて本を書きながら、「編集者は一瞥(いちべつ)しただけで原稿をボツにできるし、採用もできる。立場が強いのかな」と漠然と思っていた。


自分が編集者になってみると、「編集者ってこわい…かも。著者さんが100の労力で仕上げたものに、10くらいの労力で手を入れてしまえる」と実感した。

編集者はずるい? (いえ、ぼくだけです。)

□ □ □

「いや、じつは編集の仕事のほんしつはね…」などとは語れない。

ただ、ぼくがいつも心がけていることは、「みんなが気持ちよく仕事できる場を作ること」。作家さんも、装幀するイラストレーターの方も、組版をしてくれるひとも。

編集はチームプレイ。

読者が楽しいと思える本を届けるのに、やはり、はたらく側も気持ちよくアウトプットしたのだ、ということは大切だと思う。


* 注:同業の編集者のみなさま。編集の多岐にわたる仕事の大変さをたびたび痛感しています。つながりをもてるとうれしいですし、いつもひとから学んでおります。

2019年2月20日水曜日

今日一日を千人が……


今日一日を千人の人が千通りの仕方で過ごしたのかと思うと、驚く。

雪のように、千人の一日が降り積もり、明日までに少し解ける。

あなたはいい一日でしたか。

2019年2月19日火曜日

ランプライトの朝

ランプライトブックスホテルの朝食。


自分で好きなパンを選べる。ルッコラとドライトマトにチーズをかけたフォカッチャ。そして、甘辛く炒めた鶏そぼろのバゲット。

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カフェスペースが狭いため、相席になる。相手はヨーロッパ系の顔立ち、年の頃30くらいの男性。ぼくから、おはよう、と声をかけた。

日本語がわからないと言うが、英語はすらすら出る。「ぼくはスペイン出身だよ。韓国に4年半住んでいる。今回は仕事で名古屋に来たんだ。営業だよ」

相槌を打ち、てきとうに質問を挟むが、ぼくの英語は心もとない。それでも気にせず、世間話を続けてくれる。

「晴れている。青い空だ。韓国はひどく寒いし、空気の汚染がすごいんだ。青い空だね」

"pollution"(汚染)と何度もくり返していた。

「もうスーツを着て出かけなきゃ。会話につきあってくれてありがとう!」

ぐっと手を差し出されて、握手する。笑顔で部屋へ戻っていった。

できるビジネスマンだろう、と思ったけれど、それ以上に気さくに見知らぬひとと会話できる彼の姿勢に惹かれた。

2019年2月17日日曜日

ランプライトの夜

2018年、名古屋にオープンした泊まれる本屋「ランプライトブックスホテル」に宿泊した。


ロビーの代わりに「旅」と「ミステリ」にかかわる本がいっぱいの図書・作業スペースがある。

ホテルに入ったところ。フロントの横
図書・作業スペース

ちなみに、部屋にも絵画のように本が飾ってある。
ソファ横に本

ふつうのシングルルーム。右手に本2冊

さて、ホテルの紹介はこのくらいにして。

今回は出張で、「せっかくなら」とここに泊まったのだが、その夜に驚かされた出来事を書いてみたい。

21時すぎにチェックインした後、小道を一本はさんだローソンに向かった。そこで、すれちがった女性から声をかけられた。

「木村くん」

はっとして顔を見たが、誰だかわからない。

「はい、木村です。失礼ですが、どちらさまですか?」

知り合いなんてほとんどいない土地だからいぶかしむ。でも、名前を聞いて思い当たる。大学のサークルでいっしょに活動した仲間だった。ちょうど、ぼくと同じランプライトブックスホテルに泊まっているという。

「よくぼくの顔を見分けられたね」

十数年ぶりの再会。

ふたりでホテルの小さなカフェスペースに座って話をした。

あれから十数年分の報告は、15分か20分で済んだ。
お互いなつかしいが、ぼくはある出来事でやむをえずサークルを離れて以来、親しかったメンバーともほとんど連絡をとっていなかった。

なんだか小説のようだが、ブログで小説仕立てに語られても退屈だろうから切り上げる。ぼくらは立ち入った話もせず、それぞれの部屋に戻る。

ともあれ、会えたことはうれしかった。

2019年2月13日水曜日

Bitte(ビッテ)、お湯

新幹線の車内販売で買ったお菓子、Bitte(ビッテ)。


Bitte はドイツ語で、英語の「プリーズ」に当たる言葉。
日本語なら「すみません」「〜してください」など。

もちろん、カートを押してきた販売員の方を「Bitte!」と呼び止める……なんてはずかしいことはできなかった。

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ところで、ぼくはカフェインが効きすぎることがあり、最近はカフェインレス生活をしている。カフェならジンジャーエールやハーブティーを頼む。


最近はやりのルイボスティーもOK.

しかし、「コーヒー」と「カフェラテ」と「紅茶」しかないカフェもあるので、今日は思わず、「ホットティー、ティー抜きで!」と注文しそうになった。

白湯(さゆ)をもらうためのよいアイデアだと思うが、勇気がなくて実行できていない。

今日は、想像してみるけれど、できない話ばかり。もういい大人だからね。

2019年2月11日月曜日

国家とはなにか?──ホッブズ、シリア、ガルシア=マルケス

今日は、哲学カフェ風に話してみよう。
哲学カフェで出されるお題のように「国家とはなにか?」について考えてみたい。



国家について語ろうとすれば、いろんな切り口がある。軍事力を独占するもの、富の再分配、福祉国家と夜警国家……等々。

しかし、ここでは、ホッブズの『リヴァイアサン』をきっかけにジグザグに行こう。

ホッブズは社会契約によって臣民がみな、多くの権利を「主権者」(=政府や王)に渡す代わりに安全を保証される、というモデルを打ち立てた。近代の国家理論である。

ホッブズに特徴的なのは「主権者」(=政府や王)の権限がとても強いことだ。

なぜか? それはホッブズがイングランド内戦を経験したからのようだ。一国家のなかで紛争をするのは最悪の状態だった。どうしても内戦だけは防ぎたい。そのためには、ひとりのトップが最強の権力をもてばよい。──というわけだ。

ホッブズに同意すればこう言える。「国家が治まっている」とは「内戦がないこと」であり、「政府」とは「内戦を阻止するための組織」である、と。

あちこちの議論を飛ばして、しかも一面的に見れば、そんな風にも言える。

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現代に照らしてもこの知恵は活きている。シリアやイエメンの紛争は国土も生活もめちゃくちゃにしてしまった。

なるほど。じゃあ、内戦さえ防げばよいのだろうか?
内戦のない国家は「よい国家」なのか?

──残念ながら、そうでもない。

『ガルシア=マルケス「東欧」を行く』という面白い本を読んだ。これは60年代の東欧とソ連の旅行記であり、ジャーナリズム精神と文学に満ちた冒険の書だ。


読んでいると、どう見ても旧東ドイツ、チェコ、ハンガリー、ポーランド、ソ連……といった社会主義国家は幸せではない。

「内戦」こそないものの、民衆はあまりに強力すぎる「主権者」(=政府)のために抑圧されたり、不条理を強いられたりしている。

……そういうわけで、話はふりだしに戻ってしまうが、「国家」は内戦を防いでいれば、「よい国家」になるわけではなかった。

結論は出ないものの、こんな風に、ある程度単純化しながら、ひとつの線で思考することはおもしろく、その線が円を描いて出発点に戻るとしても、学びと発見がないだろうか?──あるといいなぁ、と思って哲学をする。

2019年2月9日土曜日

GitHub日記

エンジニアの方々がよく使うGitHub(ギットハブ)、編集業にも適しているから導入してみたら?と勧められて始めた。
写真は、GitKraken(ギットクラーケン)というソフトウェアの画面。


素人がひと言で説明すると、GitHubとは、ひとつのファイルの変更履歴を分岐も含めて、すべて保存できるサービスと言えばいいのかな?

編集作業では、2人以上で同じファイル(原稿)に手を加えていくから、GitHubは役に立ちそうだ。

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ところで、ぼくは長らく日記をつけている。断続的ながら10年は経つ。日記とは、自分の行動履歴、思考と心理の履歴がすべて保存されるサービスだ。

こちらははずかしいのであまり開かないけれど、破棄するのも難しい。GitHubと同じくブロックチェーンで守られているのじゃないか、というくらい、一連のノートを捨てられない。

いつか読み返すか、GitHub日記。

2019年2月8日金曜日

ケストナーのように

明るい言葉を書きつけたい。ランプのように照らすのではなく、太陽のように明るい言葉を。だいそれたことだろうか?

太陽は、夜の底を越えて上がる。一周して来る。

作家ケストナーのカレンダー

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つきあいの長い友人たちとおしゃべりをした。世の中の嫌なこと、厳しい面についても遠慮せず、口にする。けれども、おわりは明るく和やか。見通しが明るいのではなくて、共有できることが明るい。

厳しさを一周した明るさ。友人でないひとにも、届けよう。

2019年2月7日木曜日

「前に進む」話

週刊少年ジャンプで『ドラゴンボール』などをヒットさせ、「伝説の編集者」と呼ばれる鳥嶋さん。作家は「書きたい」ものではなく、「書ける」ものを書くべきだ、と語っていた。───


人生で「前に進みたい」と思ったら、なにをすれば、よいのだろうか?

鳥嶋さんの言葉をもじれば、「やりたい」ことよりも、「できる」ことをやるのがよいのかもしれない。

日々、淡々と、「いまできること」をひとつずつ。

前ってどっちだ?

それでも、べつの風景にたどり着く。前に進んでゆく。

ときには、3年か4年くらい「ああ、一歩も前進していないや」と思うこともある。───

2019年2月6日水曜日

たとえ地球が滅びても、家事は

家事にはおわりがない。たまの休みに朝から家事を始めると、夕方になってしまう。


ゴミ出し、料理、洗濯、買い物、掃除、書類整理……

「汝、健やかなるときも病めるときも、忙しいときも忙しくないときも、家事にいそしむと誓いますか」

誓った覚えはないけれど、いつの間にかそういうことになっている気がする。

ふっと、地球が滅びたあとも家事だけは残っているんじゃないかと思う。

片付けは明日にしよう。

2019年2月5日火曜日

いつまでも、日々ちょっとずつ。

『奇跡の本屋をつくりたい』という素敵な本がミシマ社から出ています。
札幌にあった「くすみ書房」の店主が遺した原稿をもとに作られた本。



そこに学者の中島岳志(なかじま・たけし)さんが文章を寄せており、印象的なフレーズがありました。

(政治は)「永遠の微調整」

中島さんはかつてくすみ書房の大ファンになって、お店のそばに移り住み、ついでに地域おこしを手伝います。

具体的には、発寒(はっさむ)商店街を再興させようとします。政治学者でもあった中島さんは、そこで地域でなにかをするということは「永遠の微調整」である、と感じました。そして、それは政治一般について言えることではないか、という洞察を得ます。

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これを読んで、ぼくは、

日々の人間関係も、家族とのかかわりも、自分を改善することも、実は「永遠の微調整」なんじゃないかなぁ、と思いました。

一回変えておわり、じゃない。いつまでも、日々ちょっとずつ。