2013年3月31日日曜日

【書評】『狼と香辛料』〜中世ヨーロッパ商人の時代小説

<概要>

『狼と香辛料』は、ファンタジー世界を舞台にしたライトノベルで、2006年の第1巻は著者のデビュー作でもある。全17巻で完結し、シリーズ累計400万部を売り上げている。

今回は、第1巻から第5巻までを面白く読んだ。テレビアニメ化もされているようだが、そちらはチェックしていない。作品は、25才の旅する商人(男性)が、狼の化身である少女と出会い、道連れとなり、商売をしながら、彼女の故郷を探すというもの。世界観は、独自のファンタジーで、著者によるフィクションだが、中世ヨーロッパを(参考文献から察するに、とりわけドイツを)かなり忠実に模している。

一巻ごとの展開は、ふたりの前に「儲け話」または「故郷を探す手がかり」が現れるが、それを追ううちに、権力の陰謀や商人の策略に巻き込まれ、そこから脱出して利益を勝ちとる、という流れ。そこでは、商人の世界がこまやかに描き出され、面白い仕掛けや裏をかく策謀が解き明かされ、主人公たちは、みごとに自分たちの勝利と言えるような結末に導いていく。一種、ミステリーのような読後感がある。

<商人世界のリアリティ>

本作の面白みのひとつは、その商人世界のリアリティにある。著者の支倉凍砂(はせくらいすな)さんは、大学では物理学を学んだというが、独学で丁寧に中世ヨーロッパの世界を勉強なさったようだ。

」というまとめサイトがあり、参考文献が列挙されているが、著作のきっかけとなったと言う『金と香辛料』(ジャン・ファヴィエ, 春秋社)をはじめ、中世ヨーロッパに関して、生活誌、傭兵、騎士、十字軍、迷信、都市の研究、魔女狩り……といったテーマが咲き乱れている。

これだけを見ても、文献を渉猟して、中世史研究の成果をきちんと交えた作品作りをしていることがわかる。実際に読み進めていても、中世を思わせる商習慣や町の様子、権力の機構、生活誌の雑学といったものが自然と織り込まれている。それらの知識は、けっしてくどくはない形で、世界観を緻密に描くために一役、買っている。

だから、この作品は、ファンタジー・ライトノベルにありがちな、剣と魔法とドラゴンが出てきて、詳細はわからないヨーロッパ風の世界観のなかで、勇者が戦いを繰り広げるような類とは、ずいぶん趣が異なる。緻密に描かれた商人世界のリアリティ。それが、『狼と香辛料』を、中世ヨーロッパを舞台にした時代小説のようにしている。

<可愛い狼少女「ホロ」>

けれども、そうした「真面目」な側面の一方に、ライトノベルのお約束として、異世界の住人である可愛い少女(狼の化身である女主人公「ホロ」)が出てくる。彼女は、数百年のときを生きた狼の霊だか、神だか、そういう存在で、主人公の男と、ラブコメを繰り広げる。たいていは、戯れ言を返し合うようなやりとりで、結局、主人公がやりこめられて、「ホロ」の勝利に終わる。その台詞回しのかっこよさ、気取り、まぬけさ、可愛い少女が主導権を握る恋愛劇、といったところに、作品のもうひとつの面白みがある。難しく書いてしまったが、「ホロに『萌え』ます。」と言えば、わかりやすいだろうか。

ただ、ふたりの心理描写が少しくどく、会話が音楽性に欠ける(あまりリズム感がなく、説明調になりがちな)印象を受けるのが、やや難かな、と思った。けれども、小さな嫉妬や、別れの予感、信頼や愛しさをエンターテイメント仕立てで交えることによって、ライトノベル特有の「軽快な読み心地」を、さきのリアリティと両立させているのだから、これはこれで楽しめばよいか、とも思う。

最後に、ライトノベルの書評にしては、かなり真面目な文章になってしまったのを申し訳なく思う気もするのだが、本屋に並ぶ小説も「ライト」なものが増えるなか、知性とアイデアと筆力を感じさせる力作として、高く評価したいのだから、という理由でご容赦願いたい。ちなみに、年間3冊のペースで執筆されていたようで、ライトノベル業界ではふつうなのかもしれないが、質の高さを見ても、ペースの速さには驚かされた。

気晴らしと、中世ヨーロッパ世界に浸る喜びを兼ねて、続きを読みたいと思う。

エッセイとはなにか


昔、天声人語で、随筆についてこんな文章を引用していた。「欧米におけるエッセイと、日本の随筆は少し異なるようだ。日本の随筆は、話題の中心から離れたところで始まり、なかなか中心に触れずに、その回りを遠巻きに回るように進む」。うろ覚えで、細部はしっかりしない。

僕はこの考え方の骨格を、とても興味深い、と思った。それで、頭のなかに残ったイメージは、「核」のようなものが真ん中にあって、その回りを螺旋のようにぐるぐる巻きの線が回っているというもの。

日本の随筆は、おそらく、なかなか核心に触れないのだろう。通り過ぎてゆく、行きつ戻りつ、ぱっと話題が飛ぶ。飛躍したように思えるが、奇妙な近道を通って、戻ってくる。それも、気づくと、ぐっと近づいている、言いたいことはそこなのか、と思う。ついに結論部に至るぞ、と思いきや、ふっとはぐらかされて終わる。それで、終わり。空白のような余韻。

僕は、そんな「随筆」をとても好ましいものに思う。奥ゆかしい、という言葉がぴったりくる。それでいて、そのゆき方は、しばしば、ものごとを捉えるためにもっともふさわしい方法ではないか、とも考える。

2013年3月30日土曜日

追記:そして、なぜ「吟遊詩人」なのか。フィリップ・マーロウを参考に。


さきの「吟遊詩人のまなざし」の話では、なぜそれが「吟遊詩人の」と名づけられるのか。

やや唐突な遠回りなのだが、ハードボイルド小説について、少し。レイモンド・チャンドラーの生み出した探偵にフィリップ・マーロウがいる。彼は、ハードボイルド探偵の代表格だ。「ハードボイルド」とは、固ゆで卵のように硬質で弾力のある人格を意味する言葉なのだと思うが、実際、マーロウの活躍ぶり、その台詞回しは、気が利いていて、感情に流されることがない。それは、硬質な文体と相まって素晴らしい小説の効果をあげている。

だが、マーロウの物語は、ただ単に「強くて」「クール」な探偵のお話ではない。それどころか、マーロウ自身が自分のことを「センチメンタル」なやつだと言い、チャンドラー文学の決め台詞としてよく引き合いに出されるのは、「タフでなければ、生きていけない。だが、やさしくなければ、生きている資格がない」という、情のあるものだ。というわけで、ハードボイルド探偵もののマーロウは、実に「感傷」と「やさしさ」にも通じている。

また、面白いのは、マーロウが事件にわざわざ巻き込まれていく理由だ。たとえば、一度会ったきりの人物に対して、友情や義理堅さ、日本語で言えば、仁義みたいなつながりを勝手に抱くがゆえに、事件に首を突っ込んでいく。そういう個人的な理由を堅持するから、警察とも張り合う、ヤクザな連中にもよく思われない、犯人にも暴行を受ける、というわけで、タフでないとやっていけない。

けれども、彼は、けっして感情の坩堝には、落ちない。いつも愛嬌のある、気の利いた、ジョークのような台詞で難局を茶化してしまう。だが、真剣だし、皮肉屋でもない。また、友情に厚いくせに、表面上の態度は、淡々としてそつがない。そのギャップが、奇妙な浮遊感(現実的でない、フィクションであることを意識させる)とともに、人物として、また文体としての一貫性を小説にもたらす。

以上が、ハードボイルド探偵、マーロウに関する分析である。

それで、ハードボイルドと吟遊詩人の間に橋渡しをしなければならないわけだが。マーロウのもつようなギャップが、「吟遊詩人のまなざし」のうちにもある。それは、吟遊詩人が、あの独特の「遠さ」の距離感によって、繊細な感情のなかを「行き来」することにかかわる。

吟遊詩人は、語り手なのである。ただの旅人ではなく、事件や出来事に関心をもつだけでなく、それを外から眺めた物語にできなければならない。そこで、マーロウが「友情」と「クールさ」の間を、「センチ」と「気の利いた台詞」の間を行き来するように、吟遊詩人も、ひとつの出来事に対して、さまざまな感情の間を行き来できなければならない。そのことによって、かなしみに対しても、よろこびに対しても、距離を置いて語ることができるようになる。もし、自在な行き来がなく、現実に距離を置くこともできなければ、その語りは制約された、ぎこちないものになってしまう。

そして、この「行き来」は、吟遊詩人が、どこにも定住しないことを、武術の言葉で言えば、「居着かない」ことをも示している。吟遊詩人は「旅」をする。それは、物理的な移動というより、語りの立ち位置についてだ。自由に、立ち位置をずらせること。たとえば、多くの人が「おお、なんというかなしみ」と言う場面で、「かなしみ」に片足を置きながら、一歩離れた場所にも他方の足を伸ばせること。それが語りの幅を広げる。

さらに、おそらく思想についても同じことが言える。人生は苦である、とか、なにもかもがかなしい、とか、逆に、どこにでもよろこびを見出そう、とか、愛がもっとも大切である、とか。そのどれも否定せずに、そのなかへ踏み入ろうとさえする。けれども、ひとつところに居着くことがない。また、べつのものの見方へ、生の態度へと、足場を移す。

このような、ものの見方や感情や思想における、一所不住のあり方は、ハードボイルドと相通じてもいる。マーロウが、あらゆる事件の現場に出入りし、登場人物のみんなと接触をもちながら、結局のところ、事件を自分の支配下におかず(ある程度をなりゆきにまかせる)、また、登場人物の誰とも固定した関係をもたないで、オフィスにひとりきりで結末を迎えることに対応する、ように思える。

吟遊詩人は、べつにハードボイルドではない。ただ、いかなるときも、あの「遠さ」の感覚を忘れないことで、固定した感情やものの見方に囚われないでいることが、求められると思う。その姿勢が、旅心のみならず、語り手としての自由な立ち位置と不可分であると、言える。

吟遊詩人のまなざし


偉人の伝記を読んでいると、「これほど歴史に残る仕事をしたひとでも、こんなにも些細なことにこだわったのか。」と思って、不思議な気分になることがある。たとえば、穏やかな賢者という趣のあるスピノザ(哲学者)でさえ、暴徒が街を荒らしたときに平静ではいられなかったというエピソード。ほかにも、ベートーヴェンがお金のこと、買い物のことなど、事細かに記した日記を読むと、「そうか、彼も生活をしていたんだ。」と当たり前のことに気づく。

今回は、偉人の話がしたいわけではないのだが、「時間を超えた」視点の話をしたい。後世から見れば、「そんなことは(理想や、高邁なもの、人間にとって大切なことがらからすれば)全然、重要じゃない。」と思われることに拘泥した歴史上のエピソードはたくさんある。だから、あまりに権力闘争や損得勘定の絡んだ歴史は、学ぶ気がしなくなることもある。それは、わたしたちが無意識のうちに、「時間を超えた」視点から歴史を眺めるからで、その際、過去の出来事に対しては、現実の断片よりも、一貫性のある物語を求めがちであるから、だろう。

さらに、そこでは、物語性が生じるばかりでなく、「フィクション」と「現実(ノンフィクション)」の境目も曖昧になる。たとえば、「イーリアス」という古代ギリシャの叙事詩は、史実に基づくが、ホメロスという詩人が物語った点では「フィクション」を含んでもいる。そして、どこまでがフィクションでどこからが実際に起きたことか、という学問的な線引きとはべつに、古の物語は、総じて、どこか浮き世離れした、架空のおとぎ話のようでもあり、現実に起きた事柄でもあるような、二重性をもつ。

さて、「吟遊詩人のまなざし」へと話を運ぼう。わたしたちは、自分たちが現に生きている時間のなかでも、さきに述べたような「時間を超えた」視点をもつことが、しばしばある。たとえば、ある夏に仲間と旅行をする。それは、終わってみると、あっけなかったような、いまとは隔たりがあるような、遠い日の出来事のような、そんな気がする。身近なひとを亡くすと、生前の出来事が鮮やかに思い起こされる。そういう記憶の作用は、時の彼方を見つめるような気分にさせる。

こういう出来事の眺め方を「吟遊詩人のまなざし」と名づけたい。「遠さ」の感覚、現実との「隔たり」の感覚を伴い、少し「時の彼方」を見つめるような気分にさせるまなざし。ある種の「時間を超えた」視点をもつこと。これは、さきの通り、古人の伝記を読むときに、自然と取りがちな態度でもあるし、歴史に触れるときにしばしば構える仕方でもある。

ただし、そのまなざしは、単なる「ノスタルジー」(懐かしさ、懐古趣味)や、「失ったことがらへの愛着」、「非現実への没入」(または、「現実逃避」)といった態度とは異なる。ここで問題になっているのは、どんな「感情」に浸るかではなく、現実に対する「距離感」である。「吟遊詩人のまなざし」の先にあるものは、(現実であるという点で)「はるか彼方」というほど遠くはないが、かといって、(フィクションの感覚を含む点で)目の前にあり、その渦中へ自分を巻き込むほど近くもない。遠すぎず、近くはなく。そんな宙ぶらりんの距離感のもとに置かれる。

こうして、「吟遊詩人のまなざし」は、まったくの凝り固まった現実とも、夢想の物語ともちがう、それらの間で現実と隔たる、遠さをもつ。そのとき、わたしたちは、一方では、現実の些事に拘泥することをやめることもできるだろうし、他方では、フィクションや夢想に没入して現実を見失う過ちからも、逃れられるだろう。そうした間合いを、妙味のある距離を掴もうとする。

これは、いわば生の美学の問題である。そういうまなざしを獲得しようとする生き方もできる。それが「美しい」かどうか、「よい」かどうかは、ひとによる。また、実際には、わたしたちは現実のさなかで「距離感」など気に掛ける余裕さえないかもしれない。けれども、「吟遊詩人のまなざし」をもつひとは、どこへゆくのか。そのひとは、旅をするような浮遊の感覚を忘れないだろう、と思う。

2013年3月26日火曜日

メッセージボトル


緑の瓶が落ちています。浜を歩いていた少年は、なにげなく拾いました。そこはゆくりが浜でした。

少年が、緑の瓶を持ち帰り、窓辺に立てておくと、少年のお兄さんがやってきて、言いました。

「こういうのは、メッセージボトルにぴったりだなあ。」

なんだい、それは。と、少年はたずねました。「メッセージボトルというのはね、空き瓶に手紙を入れて、コルクで蓋をして、海に流すのさ。どこかの岸に漂着するだろう。それを、見知らぬ誰かが読むのさ。」お兄さんは、こんな風に説明しました。少年は、なんておもしろいのだろう、と思って、ぽかんとしました。

さっそく、手紙を書いてみました。「ぼくは10才です。海辺の町に住んでいます。あなたはなにをしていますか。」こんなものでしょうか。書きあげると、くるくるっと丸めて、緑の瓶に詰めました。コルクで蓋をすれば、メッセージボトルのできあがりです。

少年は、晴れた日に海に向かって投げました。メッセージボトルは、引く波にさらわれて、ゆくりが浜から旅立ちました。

さて、ゆくりが浜のある町の、隣にある町の話です。こちらは、ひとがたくさん住んでいて、入り組んだ湾が港になっており、多くの船が貿易に出るところでした。そこに、とおみが崎という岬があります。ひとりの少女が、そこに立って、海を眺めていました。夏の海は、青く、波と陽に揺られて、どこまでも青いのでした。

ところが、目を凝らすと、とおみが崎の下の岩場に、緑色に輝くものがありました。なんでしょう。少女は、遠回りして岩場へと降りてゆき、その緑色のものを掴み取りました。それは、丸めた紙の入れられた瓶でした。少女は、それを家へ持って帰りました。

「こういうのは、メッセージボトルと言うのだよ。」

と、船が好きなお父さんは言いました。「空の瓶にね、手紙を詰めて、海へほうり投げるのさ。いつか、どこか遠い国の波打ち際で、誰かが拾うだろう。」その説明を聞くと、少女は、夢中でメッセージボトルを開けました。そこには、一枚の手紙が入っていました。

「ぼくは10才です。海辺の町に住んでいます。あなたはなにをしていますか。」

そこには、そう書かれていました。少女は、うれしいのとどきどきするので、返事を書かずにはいられませんでした。それで、一晩かかって、こんな風に書きました。「わたしは、11才です。港のある町に住んでいます。わたしはいま、学校で勉強をしています。」そして、翌朝、とおみが崎から、同じメッセージボトルを投げたのです。

少女が投げたメッセージボトルは、近くの波にさらわれて、遠くの波に乗せられて、沖の方へ流れてから、また、浜へと戻ってきました。ただし、それは、隣町のゆくりが浜でした。

ゆくりが浜の少年は、あれから、毎日、浜へ来て、なにをするわけでもなく、ただ、そぞろ歩いていました。ぼくの流したメッセージボトルは、いまごろどこを漂っているのだろう。それとも、誰かのもとに辿り着いただろうか。そんなことを考えました。もしかしたら、ぼくと同じようにメッセージボトルを出したひとが、ほかにもいるかもしれない。この海のどこかで。

そこまで、考えたときでした。少年は、あのときとまったく同じように、緑の瓶をみつけたのです。けれども、今度の瓶は少しちがっていました。コルクで栓がしてあったのです。少年のこころははやりました。これは、メッセージボトルじゃないのか。ほかの誰かが、たぶん遠い国から、このボトルを流したのでしょう。それは、いま、ゆくりが浜に届きました。

さっそく、家へ帰って、瓶を開けました。中には、手紙が一枚、入っていました。そこにはこんな風に記してあります。

「わたしは11才です。港のある町に住んでいます。わたしはいま、学校で勉強をしています。」

少年は、驚きのあまり、口をぽかんと開けました。そして、すぐにくすくすと笑いました。うそかほんとか、これは、少年が出した手紙に対する、返事のようだったからです。少年は、無性にうれしくなりました。届いた手紙を、ぎゅっと握りしめると、目をつぶりました。潮騒が聞こえてくるようでした。

こうして、隣町の少年と少女は、翌朝も、ゆくりが浜ととおみが崎に立ちました。自分が投げたメッセージボトルのことを思い、また、受け取ったメッセージボトルを投げた、遠い国の誰かのことを思いました。

ふたりは、それぞれの浜で、海の向こうを眺めていました。はるか遠く、地平線の彼方を。ふたりとも、目に見えないものを見つめていたのです。

【俳文】札幌便り(6)


三月の太陽が隠れると粉雪が舞い、もう積もらずに溶けるばかりの札幌です。半年ばかり続く、長く思い入れのある冬も去ります。今回は、旭川のみなさまをはじめ、北国の方々の句を一寸借りてみたいと思います。「ゆく春」誌3月号より。

酒藏の深い眠りや冬の月 (名寄 鈴木のぶ子)

名寄は、旭川のさらに北。稚内との間にあります。二月の夜に降り立ったことがありますが、駅前はややさびしく、降りしきる雪が大気のようにがっぷりと町に覆い被さっていました。

にしん漬のみが宜しき茶づけ飯 (札幌 諸中一光)

にしんは北の魚。札幌のスーパーでは、にしんの刺身を売っています。「小骨に注意」のシール通り、ときどきちくりと刺します。

冬木の芽息の細さは生きる術 (旭川 谷島展子)

言い得て妙。旭川は、まつげも凍ると聞きます。わたしはまだそこまでの体験はなく。

一枚の皿に音ある凍夜かな (旭川 高取杜月)
きっちりとマフラー巻ける昭和人 (同じく)

台所は、うちでも暖房を切った深夜には、10℃を割ります。「昭和人」の響きのノスタルジーにマフラーの模様まで目に浮かぶよう。

四日はやコーヒーを挽きペアカップ (旭川 渡辺タミ子)
遠き子の写メール届き初日の出 (同じく)

コーヒーは好きで、旭川の街でも喫茶店、焙煎するお店を回りましたが、なかなかにこの街はコーヒーを愛しています。軒数も多い。「写メール」は、きっと東京は高尾山の山頂から望んだ日の出かなにか、ではないか、と勝手に想像します。北海道では、どんなに小さくても山は雪山ですし、旭川は内陸、札幌は日本海寄り、となれば、初日の出を拝むのは、「遠き子」の便りになるのも、自然な気がします。

ここからは、春の拙句を。

札幌のひと傘を差す別れ雪

北海道のひとは、雪に傘を差さない、と言います。こちらの雪は、コートがはじくから濡れないのです。それが、ある日、示し合わせたように街の人々が傘を差しています。「ああ、もうびちゃびちゃと溶ける雪なのだな。」と、納得しました。

春雨やまだ傘差さぬ怒り肩

同工異曲の句。そんな札幌の雪も、いつしか雨に。長い冬が終わる感慨。氷の層となっていた根雪も、ついに、じゃりじゃりとアスファルトを見せます。

氷解く自転車でゆくおじいちゃん

札幌では、自転車は約半年しか乗れません。なぜか、春先に見掛けるのはおじいちゃんが多いのです。

あかときを待とうつもりが朝寝かな

札幌の夜明けはいささか遅く、早朝に目が覚めると、朝日を迎えたい気持ちになりますが、また目を閉じて寝過ごしてしまいます。朝がだめなら夕べを。春は午後のカフェもよいです。

しるしるとシェードを上げぬ春夕焼

雪景色を遠ざけるくらい、赤みが差すのです。

2013年3月25日月曜日

幸福のガリンペイロ


たしか、ブラジルの鉱山労働者だったと思うが、「ガリンペイロ」と呼ばれる人たちがいる。彼らは、日がな大きな皿のような、三度笠をひっくり返したようなふるいを使って、砂金を採取する。黄色い砂のなかから、ほんのわずかな砂金が採れると、近くの両替屋でお金と交換し、その日の食べ物を得る。彼らは土にまみれ、座る場所は泥に汚れており、貧しい。

ちょうど、僕たちもガリンペイロのように生きる。一日一日のうちに、小さな砂金の粒のような幸せをやっと発見する。それで、一日分の苦しみとつらさに報いる。かろうじてその釣り合いを保てるならば、不幸の泥濘のなかで、今日を終える。その日暮らしの稼ぎ手。幸福のガリンペイロ。

2013年3月19日火曜日

珈琲注意報

夏に昼間からビールを飲んでいるようなひとは、「クールビズ」と引っ掛けて「ビールクズ」と呼ばれたりするらしいけれども、平日の昼間から、スタバで甘いケーキとカプチーノをいただいているようなのは、「スターバックズ」なんじゃないか、と思いついてしまってから、困る。

2013年3月18日月曜日

なつやすみのえにっき


わたしのなまえは、とよこです。
これは五月のはなしです。
あるひ、わたしがにわでみみずをつっついていると、
たぬきがひょっこりやってきました。

「こんにちは。とよちゃん。ぼくはたぬきのたぬすけさ。きみにひまわりのたねをあげよう。」

そういって、ぽん、とひまわりのたねをわたしの手においていきました。そこで、わたしはそれをそだててみようとおもいました。

さっそく、もらったたねを、つちのほこほこしたところにうえました。みみずがいて、そのつちはよさそうだったからです。たねもげんきがでるといいな、とおもいました。

ふたばがはえてきました。ちいさなはっぱがふたつそろってでてきます。たぬきのたぬすけもきて、「それはふたばだよ。」といいました。「みずをやりすぎないようにきをつけけてね。」とも。わたしは、きをつけて水やりをしました。

六月には、ほそいぼうをつちにさします。すると、ひまわりがまきつくようになりました。ああ、こうやって、たいようにむかってのびていくんだな、とおもいました。

なつやすみのえにっきをつけることになりました。
わたしは、たいようににっこりまーくをかきました。わらっているたいようです。そのほうが、たいようらしいとおもいました。

ひまわりも、にっこりと花をひらきました。さんさんとおひさまが出るので、ひまわりもいきいき咲きます。それで、わたしはえにっきにも、げんきにわらっているひまわりをかきました。

ひまわりがいっぱいにひらいたころ、たぬきのたぬすけがまた来ました。「やあ、こんにちは。とよちゃん。ぼくのこと、覚えているかな。ひまわりをそだててくれて、ありがとう。」

「いえいえ。」とわたし。たぬすけは、ひまわりの花をのぞきこんで、「これはいいひまわりだ。」と、びっくりしました。わたしはほこらしかったです。たぬすけは、わたしのえにっきもみて、「よくかけているね。」とほめてくれました。

それから、たぬすけは、ひまわりの大きなはっぱをりょうてにもつと、ひまわりとダンスをはじめました。たぬきとひまわりがおどるのをみるのは、たのしいものです。それが、なつやすみのえにっきのしめくくりです。

すてきなえにっきになってよかったです。たぬすけと、ひまわり、どうもありがとう。

2013年3月13日水曜日

【物語】月夜の浮浪者


空も地も紺碧だった。夕暮れの後、まだ夜の帳が下りる前の得も言われぬ時刻。六本の白い柱も紺碧に染まっていた。ドーム型の屋根をもった大理石の小さな建造物。いまは、見向きもされなくなって久しい。ひとつの黒い人影が、ようやっとその床に腰掛けた。

そこへ、町外れから子供たちがやってきた。風の音に紛れて高い声をあげる。彼らは見慣れぬ人影を、遠くから見つけた。「誰だろう?」男だろう、いや、ひとじゃないんじゃないか。幽霊かもしれない。「おおい。」勇気のある少年が声をかけた。「あんたは何者だ?」月が丸屋根のうえに差し掛かっている。人影の顔は見えなかった。

「おい、待て近寄るな。」「人間じゃないかもしれないぞ。」「幽霊だ。」子供たちは口々に騒ぎ立てた。人影は、酒瓶を投げつけて、それがぱりんと前方で割れた。「ガキども、帰れ、帰れ。うるさいぞ。ここはおまえらの来るところじゃない。」わあ、と蜘蛛の子を散らしたように子供たちは逃げ出した。てのひらや腕で、わけもわからず顔を覆いながら。

けれど、小さな女の子の足がすくんだ。ちょうど建造物と子供たちの間で、べったりと地面に座り込んで泣き出した。子供たちは、「早く来い!」と呼びかけたが、女の子からだいぶ離れてしまった。戻ろうにも、みんな、人影がこわかった。少年のひとりが、勇気を出して引き返し、女の子の手を取った。だが、びいびい泣いて動かない。少年も、途方に暮れてしまった。

「やれやれ。」月夜の浮浪者が、ふらりと女の子のところまでやってきた。「おい、待て待て、おびえるな。」がにまたで、細い足をえっちらおっちら、運んできた。「そうこわがるんじゃない。なに、人間だよ。とって食うわけじゃない。ほら、泣くな。よしよし。」男は、近づき過ぎないように、そっと手を差し出した。そこには、なにかきらりと光るものが乗っていた。

「お守りだよ。真鍮のリングがついてる。ほら、もっていけ。おれには、こんなもの必要ねえ。金にもならないし、腹の足しにもならねえ。」浮浪者の手は月明かりにおぼろげで、頼りなさそうにこちらに差し出されていた。女の子は、こわくてもう泣き声も出なかった。少年が、さっとお守りをひったくるようにして取った。「いい子だ。」月夜の浮浪者は言った。「坊主、勇敢だな。そのお嬢ちゃんを連れてさっさとおうちへ帰りな。ほら、いい子だから。おれはな、ただ、あそこで休みたいだけなんだ。今夜、寝るのにちょうどいい場所だろ?」ふたりの子供は、そろそろと後退を始めた。浮浪者は辛抱強く続けた。「さあ、行け。大丈夫だ。なんにもこわいことなんかねえ。なんにも、悪いことなんか起こらねえ。こんな綺麗なお月さまの晩にはな。」ふたりは、さっと駆けだした。少年が女の子の手を握って。

男はまた、六本の柱の方へ、戻っていった。大理石の床のうえに、コートを巻き付けて丸くなった。夜が訪れて、月が明るく白い建物を照らし出した。




2013年3月12日火曜日

「震災忌」という季語を使うこと


3月11日の朝、ある俳人の方が、「東日本大震災の震災忌」というものが遠からず、季語になるだろう、と書いていた。阪神淡路大震災や新潟の大地震もあるから、どの「震災忌」なのか、書き分けるのは難しいが、なんらかの形で、日本の伝統である「季語」というもののうちに、東日本大震災は含まれるにちがいない、と。

俳句に馴染みのないひとは、「震災も季語になるの?」と意外に思うかもしれない。季語と言うと、「春雨」とか「蝉の声」を思い浮かべるだろうか。

もともと、「〜忌」は、俳人として名のある故人を偲んで作られた季語で、たとえば、「芭蕉忌」「糸瓜忌」などがある。芭蕉は、旧暦の十月に亡くなったから、「芭蕉忌」は冬の季語。「糸瓜(へちま)忌」は、「誰だろう?」と思われるかもしれないが、正岡子規だ。「子規忌」「獺祭(だっさい)忌」とも言う。たしか、庭に植わった糸瓜を愛していたのが由来と思う。

そして、近代になって「原爆忌」という季語もできた。「広島忌」「長崎忌」も使う。人物から出来事へ「〜忌」の意味が広がったのである。こうした背景のある俳句だから、「震災忌」ができてもおかしくない。

けれども、「震災忌」という季語をいま作ることは、ほんとうにふさわしいのだろうか。遡れば、そもそも故人を偲ぶ思いから来ている「〜忌」は、それが、歴史的な出来事へ広げられたとしても、いずれにせよ、「終わってしまったこと」に対して思いを馳せるものではないだろうか。

しかし、震災はまったく終わっていない。原発事故は言うに及ばずだ。いまも、避難が続き、仮設住宅に余儀なく住まうひとがあり、東北の仕事は製造業関連がとくに数多く失われた。哀悼が続くなかで、「震災関連死」が絶えない。これらは、けっして「震災の爪痕」ではなく、現在進行形のことがらだ。

だから、歳時記に載せる載せないというような大きな話については、拙速であってほしくない、と考える。だが、震災について、必ずしも俳句が無言であるべき、とは思っていない。

たとえば、気楽に俳句を詠むひと、ただ、五七五のリズムが好きで、季語の勉強にとくに熱心なわけでもないが、ひとと共有して俳句を楽しんでいるひとたちは、使うのもよいと思う。(たとえば、新聞の俳壇。読者の投稿で作る。名の知れた俳人である必要はない。)そこでは、たくさんの人々が、たくさんの故人ひとりひとりに対して、哀悼の意を示すこともできるだろう。

こうした「俳壇の中心」から少し離れたところでは、事情が異なると思う。もともと、俳句は、日本の伝統的な文芸である、という古典的な側面ばかりでなく、昔から庶民に開かれた文化であり、「川柳」のようにも楽しめる、言葉遊びの側面をもっている。たとえば、お茶のメーカーである「伊藤園」は、季語のない五七五で、小学生からご高齢の方まで、素人の俳句大賞を作って、商品に掲載している。これらの「俳句」を、「プロの俳人」の方々がどう思っているかはわからないが、僕は、けっこう好きで、こういう楽しみ方ができるのも俳句の良さだな、と思っている。そういうわけで、それほどむつかしい理屈や伝統技法には頼らずに、ただ、ひとの心をつなげる、コミュニケーションのツールとしての俳句も面白い。

その点、俳句の約束事や伝統などを、とりたてて気に留めない「素人」の方々こそ、些事にとらわれることなく、「震災忌」も含め、新しい季語を詠んでいったらいいのではないかな、と思う。そこには、自らの思いと、心の外にある現実への直面とから、生み出されてゆく言葉を綴る意味が、たしかにあると思う。

2013年3月10日日曜日

メープルシロップ包囲網


——「ある日、メープルシロップの瓶がカナダからやってきた。」そんな出だしで素敵な物語を始められたら、と思うのだけど。

実際に、ある日、カナダの親切な知人から、瓶詰めのメープルシロップが届いた。そこいらの国産メープルシロップ(?)とはわけがちがう、お砂糖を溶かしてごまかした製品じゃない、カナダ国旗にも描かれる、あの楓から樹液として流れ落ちた、本物のメープルシロップなんだ、と、英字の表記に見入って喜んだ。後日、スーパーで同じ商品をみつけることになり、きちんと輸入もされていたと知るわけだが。まあ、いいや。

それで、メープルシロップと過ごす日々が始まった。朝、食パンを焼く。メープルシロップをちょっとばかり、かける。昼頃、気が向くとホットケーキを焼く。そこにメープルシロップをかける。樹液というものが、こんなに風味豊かで、甘い味がするのは、どういうわけだろう、と思った。ぼくは、数日間、メープルシロップのとりこになった。

ところが、母に話すと、「メープルシロップが苦手」と言う。若いとき、あの香りが大好きで、なんでもメープルにしていたら、じきに飽きてしまった、と。そういうものだろうか。毎朝、ジャムやはちみつを使う家庭だって、昔からあるだろうに、そういう感覚で長続きしたらいい、と思った。

思ったのだが、そう言われてみると、妙に気になる。メープルシロップがつんと香るようになった。あの独特の風味を、鼻や舌が覚えてしまった。まさか、と思っていたが、小さなお菓子に混ぜ込まれているのにさえ、すぐに気がつくようになる。カフェでアイスクリームを頼む。すると、そこにメープルシロップがかかっている。安っぽいスーパーのお菓子も、ファストフード店のプチケーキも、世の中、いたるところにメープルシロップが使われている!

これは、メープルシロップ包囲網だ、と気づいた。

同じような経験は、ヘーゼルナッツにもある。ぼくは、「ヘーゼルナッツ味」などと言われても、どこがどう「ふつう味」とちがうのか、わかりはしなかった。アーモンドと、ピーナッツのちがいもわからない。けれども、あるとき「これがヘーゼルナッツだ。」と、香りが判別できるようになってからというもの、どこにあっても、ヘーゼルナッツだとわかる。珈琲系ドリンクのなかでも、パイ生地のうちでも、チョコレートの風味でも。

こうして、ヘーゼルナッツ包囲網も張り巡らされた。

僕は、メープルシロップの兵士とヘーゼルナッツの兵士で、チェスができるんじゃないか。とまで考える。

……とはいえ、しょっちゅうお菓子を食べるのでなければ、そう気にする機会もない。いまでも、メープルシロップとヘーゼルナッツは、香れば、はっとするものの、好きな風味ではある。

2013年3月6日水曜日

ミッドナイトの珈琲


10時半に床に就いてから、眠れない小一時間を過ごした。11時33分、真夜中のベッドを脱け出して、珈琲を淹れた。新鮮なキリマンジャロの豆を挽く。蒸らせば、ふっくらと膨らむ。じぃっと眺めて、ここいらかな、という時点で、手慣れた「の」の字で抽出する。焙煎からまだ数日のキリマンジャロは、軽く、酸味を利かせて、爽やかなコクのある珈琲に仕上がった。

ついでに、ふと思って、ヨーグルトをすくった。ちょっぴりとグラノーラをかける。ヨーグルトの酸っぱさが珈琲の苦みと合い、グラノーラはからからと音を立てて歯にはじけた。思ったよりも眠気がぼーっと頭を包んでいた。が、小さなカップに半分の珈琲は、頭の芯を覚醒させるにちがいない。今夜はよく眠れないだろう、音楽でも聴こうか。

道を踏み外したひとにとって、大切なことは、はじめの分かれ道まで、引き返してくることだ。それは勇気がいるし、なにより時間がかかる。ゆくよりも、戻る道の方が。それでも、もといた場所に立ったひとは、大人になっている——。

2013年3月3日日曜日

化石を削る


 文章というのはね、はじめに勢いよく書き下ろされたときにだけ、生命をもっている。あとから、推敲することで、生々しさは消えて、鑑賞にたえるようになるのだけれど、それは化石になることなんだ。直せば直すほど、削ることしかできないのだよ、死んだ化石を。
 
 推敲というのは、化石を削る作業だ。

2013年3月2日土曜日

【俳文】札幌便り(5)


大雪にオレンジ色の灯しかな

と詠んでいた北海道の冬ですが、旧暦でははや、立春を迎えました。
江戸とはひと月、ずれる暦で動いているような札幌。いまだに、NHKでは「昼間、外出される方も、長時間ですと水道凍結の恐れがありますので……」と注意を促している、二月末日です。

北海道と言えば、「大雪」ですが、街灯が「オレンジ色」であるのも、東京のひとにはものめずらしい風物詩。夜間、「白色光」だと、道路の雪が反射してまばゆくなってしまうのでしょうね。目にやさしいオレンジ色の街灯が並ぶ夜景には、独特の趣を感じます。

こっそりと入ってみたい凍る池

シンプルな句を口ずさんでいたのも束の間、マシュマロのような雪をかぶせていた池も、表面の氷が陥没して、暗い水の穴が空くのですが、そこに春の明るさを見出すのです。

薄氷は今朝張りにけり池のなか

さすがに、二月は寒さのピークで朝方に目が覚めることもしばしば。電気毛布のお世話になります。

吹雪おりなんに目覚める夜更けかな

それは、じりじりと虫の音のような、除雪車の音かも知れません。日の出前から働いていらっしゃる方々に頭が下がる思い。

春立てり吹雪も顔に解けにけり

と詠むのは、直截にすぎるでしょうか。冬の吹雪は、人肌に触れても解けないので、顔が「はじく」ものです。

日脚伸ぶ空のみ守る暦かな

日脚の伸びた空のほかには、春を告げるものとてないような雪景色。早朝の窓の明かり、夕暮れ時の緩徐楽章ぶりに、季節のうつろいを覚える、暦のうえの春です。

いくつか、雪を詠みたいと思います。

日の光浴びてや愛し春の雪
忘れ雪屋根傾けば落ちにけり
雪解けや軒なき屋根の端からも
札幌の骨太なりし名残雪
牡丹雪天から剥がれ落ちにけり

北国の屋根と言うと、「合掌造り」のようなものを思い浮かべる方もいらっしゃるのではないでしょうか。雪が滑り落ちやすいように、と。残念ながら、こちらでは平らな屋根が多いのです。札幌では住宅が密集するので、落雪が危険なのでしょう。同じ理由で、軒も見掛けないものです。片方に傾斜のある屋根は、ときどき見掛けます。

どこからを吹雪と言えり北のひと

これは、冬の句ですが、境目はまだ僕には謎のまま。そんなことをつらつらと考えるのも、春のせいでしょうか。

ハンガーによく馴染みけり春セーター

屋外の風景には、まだ似合わないのですが……

春ショール巻いて珈琲飲むひとも

喫茶店に来たひとあし早い春でした。