2014年12月30日火曜日

【俳文】札幌便り(26)

2014.12月

今年の十二月はずっと東京にいたが、思いを北国に馳せる。よく歩いた円山公園は十二月の半ばまでに根雪となり、池も凍ってゆくと聞いた。十一月の終わりまで水浴び、日光浴していた鴨たちも本州以南へ渡ったことだろう。

そこな鴨どこの円山より来たる

橋の上に立てば、神々しいばかりの風景。北国では見られない。

冬川を青く照らせる陽や静か

ちょこまか歩く散歩人とすれちがう。

小春風犬と歩幅の似通って

こちらも大ぶりなコートを羽織って歩く。

外套に着られてそぞろ歩きかな

低木の種を抱えた絮がはじけかかっていたが、名前は知れず。

あちこちに綿毛の揺れる十二月

雀はわっと群れるが、すぐに散る。

寒雀一羽は北へあと南

寂寥のフェンス越し。

冬の柿しぼんだ小銭袋かな

桜の木を見つめる。春には満開のソメイヨシノ。

おおらかに水に揺れおり冬木の芽

太陽の光のためか、こんな風に目に映る。

冬の水澄めども底の色変わる

セキレイは尾で地面を叩く鳥として有名だが、秋には尾を振るも、この時分にはよく首を前後に揺する、と観察した。まるで鳩のよう。

鶺鴒の尾より首振る真冬かな

また川沿いを歩けば、水面の光が刻々と紋様を作る。

冬の川たれ染め織りぬひかりかな

冬の太陽が十分に射す団地。北国では半年ほど布団が干せないが、ここでは大丈夫。

団地には色とりどりの布団かな

ある日、祖父母の家をふらりと訪ねるが、いまは空き家である。

千両や誰がために生る小家がち(たがためになるこいえがち)

センリョウの赤い実は瑞々しいが、主はおらず、家は一回り小さくなったように見える。

底冷の空き家に鳴らすオルゴール

暖房の気配なき部屋は暗いまま、思い出のオルゴールのネジを巻いた。さて、今年は実家で冬至を迎えた。温かい湯に浸かる。

旅先の宿にあらねど柚子湯かな

いつかの旅先の宿をどことなく思い出した。クリスマスには近年、流行りのドイツ語圏のお菓子、シュトーレンをいただく。ナツメグやシナモンが利いていて、口の中が熱くなる。

スパイスにほっと息つく聖夜あり

小晦日には、安いコーヒーを一杯、テイクアウトして外のベンチに腰掛けた。思えば、去年の十二月にも同じことをして同じベンチに腰掛けていた。おかしな習慣だろうか。

香りなきコーヒーすする年の暮

2014年12月26日金曜日

【ご案内】本のカフェ第13回@東京、恵比寿

紹介タイムは、Ustreamで中継します。URLはこちら。(http://www.ustream.tv/channel/book-cafe-2015

本のカフェ第13回のご案内です。今回は、第1回以来の東京開催となりました。場所は恵比寿駅そばのカフェ。ギャラリースペースをお借りするため、広々として落ち着いた空間で楽しめます。

場所:カフェ カルフール(のギャラリールーム)JR恵比寿駅、徒歩3分。
日時:2015年1月11日(日)14:00〜17:00 (13:30頃から入口すぐのカフェスペースにて受付開始)
定員:12名
参加費:1000円+ワンドリンク

〜本のカフェとは〜

本のカフェは、好きな本の紹介を通して、集まったひとがゆるやかに交流するイベントです。

内容:本の紹介者が3,4人、ほかはオブザーバー(紹介せず、聞くひと)。司会・進行は木村が担当します。前半90分は、

・ご案内トーク(5分ほど。木村)
・自己紹介タイム(約15分。)
・ひとり15分ほどで本の紹介。

後半90分は、フリートークタイム、自由な交流の時間です。

参加者:紹介者は、紹介する本の現物をなるべく持参。レジュメは必要なし。オブザーバーはなにもいりません。
 メンバーは毎回、流動的で、初参加の方も多くいらっしゃっています。気兼ねなくお越しください♪

本の選び方:紹介していただく本は、どんな本でも結構です。古典、流行りの小説、学術書、新書、雑誌、ムック本、画集など。
  
大切なこと:ゆるやかな雰囲気を大切にしたいと思っています。紹介も、思い入れ、感想、あらすじなど、好きなスタイルで楽しく語っていただければ幸いです。

主宰:木村洋平

お問い合わせ先

メール:kimura-youhei◆live.jp (◆→@)
Twitter:@ginnyushijin
Facebookページ:「本のカフェ」で検索。(または、直接こちらへ。)

*ご注意・ご案内、いろいろ*
・メールの際は、毎回、最後に署名かフルネームをお入れください。とくに携帯の方から無記名のメールをいただきますが、すべてのアドレスを登録はしていないので、どなたかわからなくなります。

紹介される本は、以下の通りに決まりました。

『ゼラニウムの庭』大島真寿美 (ポプラ社)
"Words on Hope" Helen Exley編集、Giftbooks,1997
『ブルネイでバドミントンばかりしていたら、なぜか王様と知り合いになった。』大河内博、集英社インターナショナル、2014
あとは、僕が『飛ぶ教室』(ケストナー、池内紀訳、新潮文庫)を紹介します。

紹介の順番は、「ブルネイ」「飛ぶ教室」「Words」「ゼラニウム」でゆきたいと思います。

・お問い合わせは、カフェ カルフールにはおこなわず、主宰の木村へご連絡くださるようお願いします。

・毎回レポートを作成し、そのために写真を撮りますが、インターネット上へのアップについてはおひとりおひとりに許可を取っています。

・当日、Ustreamによる中継を考えておりますが、こちらについても映像・音声の許可をひとつひとつ取りますので、中継を望まない方も安心してお越しください。

雨と木曜日(28)

2014.12.25.


知人が「ごはんを炊くのは面倒だからパンばかり食べる」と言っていた。僕は真面目に(?)炊飯していたが、これを聞いてから「パン食も楽でいいかな」と思うようになった。また、べつの知人が「味噌汁さえあれば、あとはなにか作って食卓になる」とおっしゃっていた。それで、影響を受けやすい僕は最近、朝食だろうが夕食だろうが、「食パンと味噌汁」という奇妙な取り合わせになりつつある。味噌汁の代わりに、煮物や鍋も悪くない。

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2種類のマンデリンを飲む機会があった。マンデリンの特徴は、きつめでシンプルな苦み、酸味の少なさ、すっとした後味(のどごし)といったところ。コクは煎りの深さにもよるが、基本的に「こっくり」した、和食で言う味噌汁やお出汁のような「こっくり」した感じはない。適度なコクだと思う。さて、2種類のうち、ひとつは酸味が出やすい豆で爽やかな印象。もうひとつは、深煎りで「光のマンデリン」とも呼ばれる洗練された味でした。

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雑誌BRUTUSの「読書入門。」という特集を読んでいる。(2014.1/1・15合併号)星野源さんの特集から始まる(二人目は古市さん)ところがポップなテイスト。とはいえ、全国のこだわり書店の書店員さんおすすめの3冊コーナーもあとに控えており、文体も紹介される本もバラエティに富んでいる。さすが「雑誌」だな、と思わせる配色、写真、文章の短さなどが、「読書入門。」をしながらの特殊な「読書体験」をもたらすかのようだ。


2014年12月24日水曜日

ほんとうに

ほんとうに追い込まれたとき、わたしの語彙で出てくる言葉は、ただ、主よ、救いたまえ。主よ、憐れみたまえ。だけでした。

(そして、マタイ受難曲は大好きだけれど、クリスチャンではない。)

2014年12月22日月曜日

旅と移住 / 流動性の次に

前回、流動性の話をしたから、次は「旅と移住」について、絡めて書いてみたい。

まず、流動性と「生きる」と言えば、旅のことが浮かぶ。「旅こそが人生」というような生き方のこと。だが、ぼくは「旅」を原理に生きたいのではない。

たとえば、定住して、家族と一緒にいて、同じ土地に住んで、それが行き詰まりをみせたとき、旅が打開してくれる、ということはある。その意味で旅は貴重だが、同じような「打開」は良い本に出会うこと、素晴らしい音楽を聴くこと、新しいひとに出会うこと、などによっても起こる。だから、「流動性」について考えるとき、ことさら旅を特別視しなくてよいように思う。

たしかに、ときどきむやみに旅に出たくなるときはあるが、それは「流動性の爆発」(ないし、散発的な流動性)であって、なんだか持続して流動性を呼び込むことはできないように思えてしまう。

では、移住はどうか。移住は大切に思える。移住は、べつの生活へ移ることで、一時的な「旅」とちがって、生活から生活への移動だ。古い生活から新しい生活へ。それは生そのものに流動性をもたらす、と思う。

旅には、絡み合ってこんがらがった日常の生活から抜け出すこと、こむずかしい内側から「外」へと脱出する、というニュアンスがある。

他方で、移住はまっさらな生活への移りゆきであって、それは「外」への脱出というより、出口から出て次の入口に入ることだ。移住は「日常の生活」に流動性をもたらすが、「日常の生活」の外には出ない。それゆえにかえって、「流動性の持続」を作れる。

こんなところが、旅と移住に関する覚え書き。

流動性について


「行雲流水」という四字熟語を引くと、「空行く雲や流れる水のように、一事に執着せず、自然にまかせて行動すること。」とある。(大辞林)もっと概念的な言葉では、「流動性」がこれを表すと思う。流動性とは、「一定しないで流れ動く性質」。

ぼくは流動的なものに惹かれ、流動性を原理として生きているようなところがある。

抽象的な説明だが、難局にぶつかったとき、そこで安定した状態を築いたり、手堅い手法をとったり、強固な立場を頼ったりしようとあまり思わない。それよりも、「流動性」を持ちこむことにより、状況を可変的にし、変動させ、ゆるゆると動き出せるものにすることで、見えなかった出口を作り出そうとする。

他方、すでに安定が築かれようとしているとき、地道に積み重ねられたものがあるとき、それらが「固定」や「束縛」として働く手前で、状況をゆるやかに移りゆかせようともする。言ってしまえば、流動性には、安定を手放して、不安定さを持ちこんでしまう側面もある。

これらが、おおよそ流動性を原理として生きる、ということだ。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

ぼくは自分の内側に、強い流動性への衝動、それを希求する強い力のうごめきを感じる。それは自分の意志ではなく、思い通りにもならない。

ちょうど、左側の心臓とはべつに、右側にもうひとつの心臓があり、それが「流動性」を司っているみたいだ。それは人間を超えた威力であって、精霊ともデモーニッシュ(悪魔的)なもの、と呼べる。たしかに一個の人間を超えており、抗うことはできても、押さえこむことはできない。

そういう人間にできることはなにか。おおげさなようだが、国家と社会がひとりひとりを固定することでーーその社会的な立場、役割、手順、作法 etc...ーー成り立っているシステムだとしたら、それを周辺から流動化させてゆくエンジンになれたら、と願う。

2014年12月13日土曜日

たとえ

たとえ報われないとしても、善いと思ったことをしなさい。
ほんとうに苦しんでいる人間を理解しなさい。

2014年12月12日金曜日

またマザーの本より

『マザー・テレサ語る』という本より、印象に残る部分の引用です。

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さて次に、カルカッタの<死を待つ人の家>(ニルマル・ヒリダイ)で、死に行く人々や貧困者たちと一緒にすごしたボランティアの一人、ナイジェルの体験談を聞いてください。

<死を待つ人の家>にはじめてお手伝いに行ったとき、私はそこが好きになれませんでした。人々が苦しんでいるのに、自分が何もしてあげられないと感じたからです。「私はここで何をしているんだろう?」と考えました。
 その後、私はイギリスに戻り、そのときの体験についてシスターの一人と長い時間話しあいました。……(略)……私はたいていだれかのベッドのわきに腰を下ろし、彼らの身体をさすったり、食事をさせたりしていたのです。ときにはお礼を言われたのでしょうが、それほど多くの人から言われたわけではありません。なんといっても、彼らは死にかけていたのですから。すると、シスターは私に、「それで、結局あなたはどうしていたの?」と尋ねました。私は「ただ、そこにいただけです」と答えました。すると彼女はこう言ったのです。「聖ヨハネや聖母マリアは、十字架の根元で何をしていましたか?」

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

この話は僕には感動的です。シスターにとってはささやかな日々のことだとしても。僕はクリスチャンではないのですが、トルストイの『要約福音書』やバッハのマタイ受難曲を通じて、十字架の場面については知っています。聖ヨハネも聖母マリアも、「ただ、そこにいた」のです。

ちなみに、<死を待つ人の家>(ニルマル・ヒリダイ)とは、マザーが築いた最初の<家>であり、路上の死にかけた人々、病気の人々を運び込み、お世話をし、死に行くひとを看取る施設です。なかには、回復するひともいます。マザーの団体<神の愛の宣教者会>は世界の100カ国以上にたくさんの<家>をもち、それぞれがハンセン病であったり、エイズ、アルコール中毒、孤児、そういった困難を背負った人々のための施設となっています。

話を戻すと、上のエピソードでは、ふだんから<神の愛の宣教者会>の活動に携わっているのではない、「ボランティア」の立場から語られている点が、一般の日本人とマザーとともに働く人々をつないでくれる接点になっていると思います。ボランティアの悩みを通じて、僕らもマザーたちの活動を理解するきっかけを得られるように思うのです。

【書誌情報】『マザー・テレサ語る』、ルシンダ・ヴァーディ著、猪熊弘子訳、1997、早川書房

2014年12月1日月曜日

マザー・テレサの仕事について

『マザー・テレサ語る』という本には、マザーのほか、彼女とともに働いたブラザー、シスターの言葉が収められています。そのなかには、僕が大変好きなもの、強い印象を受けたもの、学ばされるものがありますが、そのひとつをご紹介したいと思います。

ブラザー・ジェフという<神の愛の宣教者会>(マザーの団体)で重要な役割を担うひとの説明です。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
以下、引用。

私たちの仕事は、貧しい人々のために働いているほかの組織とはかなり違っています。どちらがいいか、ということを言いたいのではありませんーーどちらでも良いことがおこなわれていると思うのですーーしかし、私たち以外の組織では、多くの場合、貧しい人々を貧しくないところへ押し上げるための手助けをすることにもっとも力をそそいでいます。こういうことはやりがいのある努力です。とくに彼らを教育することは。しかし、それは政治的な問題になってきます。<神の愛の宣教者会>が考える「ともに働く貧しい人々」とは、たとえ彼らのために何をしてあげても、相変わらずだれかに何らかの方法で頼らざるをえないような人々のことなのです。私たちは絶えず質問されますーー「その人に魚をあげる代わりに、魚をとる方法を教えてはどうだろうか?」と。それに対する私たちの答えは、「貧しい人々には、釣り竿を持つ力さえないに違いない」ということです。ここに私たちの仕事に対する混乱と批判とがあると、私は思っています。というのも、私たちが考えている貧しい人々と、そのほかの人々が考えている貧しい人々との間には、大きな違いがあるからです。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

マザー・テレサは「貧しい人々のなかでももっとも貧しい人々に仕えよ」(または、「貧しいひとのなかにいるイエスに仕えよ」)という啓示を受けたとされます。その「もっとも貧しい人々」とは、すでに死を待つしかなかったり、学ぶ余力すらないほどの貧困、病気、障害といったものを背負ったひとたちなのです。

だから、この引用箇所では、マザー率いる<神の愛の宣教者会>の仕事が、「教育」ではないことが述べられています。貧しい人々を「貧しくない」ようにするための教育は、彼らの仕事ではなく、またべつの団体や国家の仕事です。それは「やりがい」のある仕事であり、「開発」や「福祉」にもかかわる仕事でしょう。しかし、「もっとも貧しい人々」はそこからもこぼれ落ちてしまうのです。

それゆえ、マザーたちの仕事は、ただもっとも貧しい人々に寄り添うこと、具体的には薬を投与したり、それでも死を迎える人々を看取ったり、葬儀をおこなったり、いっしょに食事をする(「スープキッチン」と呼ばれる炊き出し)ことであったり、ただやさしく腕をさすり、言葉をかけることであったりします。

そこのところが理解されないために、マザーたちの活動は批判にもさらされ、誤解も受けてきました。しかし、ここにこそかえって、ほんとうに「もっとも貧しい人々」のために尽くす、ということを芯に据えているがゆえの、他の団体や政府とのちがいをよく見ることができます。

【書誌情報】『マザー・テレサ語る』、ルシンダ・ヴァーディ編、猪熊弘子訳、早川書房、1997 (引用箇所は、p.113-114)