2013年12月31日火曜日

【俳文】札幌便り(14)

12月を迎えた。東京はいままでになく暖かく感じるが、やっと身体が札幌に慣れてきたためだろう。季節が二ヶ月分はちがう。

東京のアスファルトにも霜降りて

札幌では雪が降っているだろう。

冬晴れや白髪吹き上げそよぐ風
霰降る晴れ間より訃報のように
寒風のなかでお菓子をかじる駅

おじいさんのなでつけた白髪がふわっと舞うのも、漢詩の趣を覚えるようで、自分の老年もこうだろうかと一瞬、我が事のように思われる。霰を訃報と喩えたのは、昨年の出来事がまだ心に残っていたからかもしれない。空っ風のホームでチョコ菓子をかじっていたのは、なぜだったか、よく覚えていない。

はるかなれコート羽織らぬふるさとも

季語の「コート」を羽織らぬでは、季語が台無しのようだが、これを詠むときにはすでに故郷を離れて羽織っている。北海道の空は、相変わらず色が薄く、東京の藍と、潤沢な絵の具で塗ったような色合いを持ち合わせていない。

柚子ひとついただきものの柚子湯かな

帰札したのが23日、冬至だった。

鳥が二羽雪野のうえの枝かすめ
山眠る裸の木々が抱く日差し

毎日のように暖かな日差しが降り注ぐ東京とちがって、ここでは山のうえに光のある時間が貴重だ。

聖樹見るハローワークの道すがら

そんなクリスマスの過ごし方。「紹介状」をもらって来た。

数え日や朝の珈琲落としけり

今年も数えることあとわずか。なにをするでもなく時が過ぎ、

夕月や仕事納めのカプチーノ

みなさま、おつかれさまです。我が家も小掃除に(大掃除というほど広くもないので)取りかかろうとしながら、まずは冷えた足先を温める。

とりあえず足湯にひたり春支度

なかなか進まない年越しの準備。

久方のワイン飲めるや小晦日

30日。

二杯目は友と交わせり大晦日

31日は、朝に一杯目の珈琲を落としたところ、友人から「二杯目を飲もう。」と声を掛けてもらった。夜には旭川へゆき、宿で年越しをする。チケットは手元にある。さて、旅支度をしよう。 

どうぞ、よいお年をお迎えください。

2013年12月3日火曜日

【吟遊トーク】 学芸員のみる景色――しまりんさん、こんにちは。

☆ 「吟遊トーク」は30歳前後のひとを主として、いろいろな立場の方にお話を伺ってくる企画です。それぞれの社会的な立場、発信したい情報やアートを受け止めて、かんたんなインタビュー形式にまとめていきます。

山梨県立美術館で働く「しまりん」さんにお話を伺って来ました。彼女は学芸員です。学芸員とはどういう仕事なのか。現場としての美術館はどんなものか。近頃はやりの「キュレーター」とは――。

しまりんさんは、20代後半の女性。東京での大学生活、国立新美術館での仕事を経て、いまは山梨県立美術館(http://www.art-museum.pref.yamanashi.jp/index.html)で働いています。

<自己紹介>

――今年から山梨ですよね。
しまりん 「今年の4月から働き始めました。国立新美術館でアルバイトを2年して、その後1年と8ヶ月、研究補佐員(学芸員の補助)をしていました。」

――どんな仕事をしていたんですか。
「アルバイトの時は、図書室の裏方です。カタログが何万冊もあって。全国のカタログ(企画展の図録)を集めて、それを海外に送る仕事です。」 

国立新美術館は、日本美術のカタログをアメリカやヨーロッパの大学、美術館の図書室へ送るセンターの役割をしている。だいたい週1でアルバイトをしながら、修士課程に在籍していたとのこと。その後は、研究補佐員として図録作成や展示・撤収などの展覧会企画の補助的な仕事に携わる。

――修士は、2年で論文を書くだけでも大変ですよね。なにを研究していたんですか。
「18世紀のシノワズリーです。修論の題名は、「フランソワ・ブーシェのタピスリー ―18世紀フランスのシノワズリー―」だったと思います。書いていて面白かったです。もっと続けたかったな、っていまでも思います。」

シノワズリーというのは、17,18世紀にあったヨーロッパの東洋趣味。主に王侯貴族など裕福な人々が室内装飾にする目的で、中国や日本の美術品を買い求めていました。「シノワズリー」は フランス語で「中国風chinoiserie」のことですが、しまりんさんによると「東洋のかなり広い範囲の美術品を『シノワズリー』としていて、中国、韓国、日本、インドとか、場合によっては中東もごっちゃになっている感じがする。」そうです。

<美術館の役割>

――しまりんさんがお仕事のなかで考えていることは。
「展覧会や美術館の存在ってなにか、ってことなんですけど……それが、いま不況で、ものすごく関係者でも言われていて。うちの美術館(山梨県立美術館は1978年の設立。)ができたのも、全国的に美術館がぼんぼん建てられた時期です。」

――それで、これからどうするのか、ということですね。
「たとえば、一般の人にとって、展覧会は非日常空間かもしれません。最近よく言われるのは「癒しの場」ということなんですけど……。公的な文書にも「癒しの場」という言葉が出てくるんですね。2,3年前だと思います。」

――90年代から「癒し」ブームはありましたが、美術館にも来たんですね。
「ただわたしはですね、それにはけっこうもの申したい派でして、べつにいいんですけど……。まず入館していただくことが大事なので、きっかけはそれでもいいのですけれど。癒されようとしたのに、入ってみたらちがった、ということになると困りますね。」

――そういう場面が具体的にあったんですか。
「このあいだ、「美術館は癒しの場だと思っています。」と言われて。癒しの場という役割を担っていかなければならないとしたら、重い荷物を背負っている気持ちになったわけなんですよ。」

――山梨県立美術館のホームページは拝見しましたが、過去の展覧会のタイトルに「癒し」はありませんよね。
「そうですね。癒しだけでなくて、公共の場に出す強いメッセージ性のあるもの。そういう展覧会をやっていきたいです。」

<キュレーターについて>

――キュレーターという言葉は少し馴染みが出てきたとは思うけれど、説明してもらってもいいですか。
「美術の世界では、展覧会を作る人です。」

――もう少し語ってもらえますか。
「学芸員の仕事のなかでは、キュレーションは半分とか、1/3とか、そのくらいなんです。」

日本では、博物館、美術館で働く人を「学芸員」として国家資格にしており、英語の名刺だと「キュレーター」と訳されることもある。けれども、学芸員は欧米の「キュレーター」とは異なる点もある。そこを詳しく話してもらいました。

「ほかの(キュレーション=展覧会を作る、以外の)仕事は、作品の収集、保存、修復、研究などですが、たいていの学芸員はこれらの仕事すべてにかかわっています。また、大きな役割なんですけど、エデュケーターという仕事もあります。」

このように、「学芸員の仕事=キュレーション+その他、たくさん」ということ。

「私、いま実はエデュケーターをやっているので、仕事の分量的にはエデュケーターが2/3くらいで、あとはキュレーターという感じです。(「エデュケーター」は、)日本では「教育普及」と訳されます。仕事の内容としては、来館した子供たちに絵の解説をする、ワークショップ(幼児~大人まで)を開く、日本画や油絵の体験講座をやる、などですね。」

――ホームページを見たら、子供向けのイベントがたくさんありました。
「私もかかわっています。」

<夢、これからの展望>

――エデュケーターは専門家と市民の「橋渡し」なのですね。どんな風にしていきたいですか。
「いま、山梨にいるからなんですけど、大学進学などで東京に出てしまう人が多いんです。高校生くらいの、とくに若い人たち、美術に興味ある人が、気軽に仲間を作ったり、語り合える場所が作れないかな、と思います。受験でいなくなっちゃうのもさみしいので。……っていうのがエデュケーターとしての自分の夢、というかやってみたいことです。」

それから、キュレーターとしての夢についても語ってくれました。

「あとは、キュレーターとしての夢もあります。私はずっと東京で生まれ育って、この年で山梨に来ました。山梨には、東京にはない良いものがたくさんありますが、情報をキャッチして新しいものを受け入れるという面は少し苦手かもしれない。たとえば、若い人が発信しようと思っても場が少ない。」

――発信というのは、なにを。

「サブカルチャーをふくめたアート。そういう人たちのことも美術館で支えたいです。新しい試みが歓迎される環境が作られるように、なるべく新しい価値観を提示できるような展示をやりたいです。」