2019年3月17日日曜日

郊外の本屋にて


平日の昼間に、郊外型の本屋を訪ねた。小規模チェーンで、面積は中くらい。
意外とひとが滞留しており、レジの方からはいろんな声が聞こえる。

「〜っていう雑誌ありません?」「はい、こちらに」
(電話で)「お取り寄せの本ですが……」

ぜんたいにはおじいちゃんが多い。でも、ファミリーも女性もいる。
若いビジネスマンが、車で立ち寄ったのか、文具を探している。
店員さんはていねいに受け答え。

品揃えはけっしてよくないけれど、地元のひとに愛されている。

□ □ □

ちなみに、リアル本屋さんの重要な点で、いまのところ、指摘されているのを見たことがないのは「学習参考書を選べること」だ。

これは、教育業(家庭教師)で痛感した。

文芸や専門書はネットのレビューを参考にしても選べるが、学習参考書はよくよく中身を検討して、「あの子に合うかな?」と考える。ときには30分くらい棚の前であれこれ手に取り、やっと決まる。

街の本屋さん、がんばれー。ぼくも行くよー。

2019年3月15日金曜日

「オーラ」のあるひと?


ぼくは糸井重里さんの『ボールのようなことば。』シリーズが好きだ。

「ぼくは、オーラ出てる人って、ひとりも会ったことないなぁ。」
(『ふたつめのボールのようなことば。』糸井重里 p.115)

これを読んで、「なるほど、オーラがあるとかないとか、そんな風に印象でひとを分けるもんじゃない、か」と思った。

□ □ □

先日、この話を友人にしたら、思わぬ答えが返ってきた。

「東大生だけが、東大なんてたいしたことない、って言えるじゃないですか。同じように、糸井さんはオーラがあるから、そういう風に言えるんですよ」

そこまでは考えが及びませんでした。

2019年3月12日火曜日

「遊ぶ」がなにかわからなくなったら読むエッセイ


今日、会った友人が「そういえば、十年以上、遊びをしていない気がする」と言う。

「え?」

「遊ぶってなにをすることだっけ?」

『遊戯哲学博物誌』を書いたぼくからすると、水も光も遊び戯れている。

だいじょうぶ、ふだんの彼も楽しそうに見えるから。
きっと十分、遊んでいるよ。笑

2019年3月8日金曜日

願い事、「正しく祈らないと…」


打ち合わせ後の雑談にて。
教授は語る。「日頃、学生に言っているんです。願い事はたいていは叶うよ。でも、正しく祈らないといけないよ、と」

ぼくは素朴に聞き返す。「どういう意味ですか?」

「うん、たとえばイケメンと結婚したい、と願うね。それは叶うんだけど、そのイケメンがDV夫になる、ということがある」

「なるほど…」

□ □ □

20代は放埒なエネルギーにあふれているが、周囲にきちんと目配りできないと、無茶をして、あとでそのツケが回ってくるのか。

だから、「正しく祈ろう」。

──P.S. でも、と考える。ほんとうにそちらへ走りたいのなら、走ってみたら。周りをよーく見渡すスマートな若者にはできないことを、するのはどう?と。

2019年3月3日日曜日

「知っている」のはよいことばかり?

BOOK POWER
「知っている」ということは一種の暴力だな、とふと思う。

おそらく頭のよいひと、知識の豊富なひとほど、そうではなく、知はもの静かな能力だと考えるけれど。

□ □ □

ものをよく「知っている」ひとや図書館の本棚に向かうと、その奥が見通せない霧の手前にいるような心細さを感じないだろうか。

彼方にあるのは、すごくよいものかもしれないが、同時に恐ろしくもないだろうか。

たとえ「知っている」ひとは楽しんでいるだけで、けっして「相手を圧倒しよう」などとは思っていなくても。

それでも、「知っている」ことは抑えの利かない力でありうる。

だからこそ、じぶんが「知っている」側に立ったときには、実は慎み深さが必要なのではないだろうか。

2019年3月2日土曜日

所有された土地、手つかずの空


ネイティブアメリカンは「土地の所有」という観念をもたなかった。土地はみんなのもの、というより、母なる大地だった。

しかし、白人が土地を所有するようになってからは、「狩猟許可証」をもたないと狩りもできなくなった。

□ □ □

現代のぼくらも分割され、所有された土地に暮らしているけれど、空だけは所有できないなあと思った。

空は誰のものでもない。
青い空を赤く塗り替えられるのは太陽だけだ。
札幌に雪が降れば、北海道知事が晴れさせるわけにもいかない。

手つかずの空ははてしなく広がっている。

2019年3月1日金曜日

調子っぱずれ


子供の頃からどこかズレていて、小さな失敗をしょっちゅうする。
なんでこんなところでつまずくかな、と思いながら、
同じところをぐるぐる回る。

学芸会の教室を飾りつける色紙や布切れのように、たくさんの失敗を散りばめて、思い出の壁が一杯になる。

大きな失敗については──もう話したくもない……。

そういったことぜんぶ、だいぶ忘れた頃、けっこう大人になっていた。

2019年2月27日水曜日

うまくやれている?


仕事をしていて数字で結果が出るとき、

じぶんには「うまくやれていない点がある」とたびたび思う。

できるひとなら、きっと「もっとうまくやれる」だろうに、と。

けれども、そこで「うまくやる」を目標にすると、仕事への向き合い方がズレてしまう気がする。

□ □ □

文脈はぜんぜんちがうが、よく思い出す話。マザー・テレサはインタビューを受けて「あなたはこれからもうまくやっていけると思いますか?」とたずねられたとき、

「神は「うまくやる」ことを求めてはおられません。わたしは神に忠実にするだけです」
といった風に答えた。


2019年2月23日土曜日

『ニムロッド』(芥川賞受賞作)あらすじ〜批評〜解釈

フランスの新聞では話題の文芸作品が出ると、あらすじと批評が長文で載り、原作を読んでいなくても知ったかぶりができるほどの情報量をもつという。

芥川賞受賞作『ニムロッド』(上田岳弘)について、その真似をしてみる。
*以下、ネタバレを含みます。

2019年2月22日金曜日

明日、革命をしません

いまの状況をもっとよくしたい、そのためにじぶんを変えてしまいたい、と思うことはある。「じぶん革命」を起こすべきだろうか?


哲学者のヴィトゲンシュタインは「自分を革命できる者が本当に革命的なのだ」と書きつけた。

なるほど、外に向かって、社会や他人を革命しようという動きは、いつもうまくいかない。
大破壊か、大殺戮か。行き着くのはそういうところ。

それなら「じぶん革命」をするしかないと思われるが、ぼくはそもそも「革命」を信じない。

次の一歩で行けるのは、いつも半径一歩以内。

だから、

焦らず、(革命をのぞまず)
ゆっくり、(三歩進んで二歩下がるぐらいのペースで)
じっくり取り組む。(長い時間をかけて……)

それ以外にじぶんの根っこを、じぶんが置かれた状況をしっかり変える道はないのだと思う。

──こわすのはかんたんなのに、つくることはどうしてこんなにむずかしいのだろう?

ハロー、グッバイ

──人間関係におわりはあるが、ゴールはない、と思う。
途切れてしまうことはあるが、揺るがない安定に着地することはない。

たとえ結婚しても、親友や旧友と呼んでも、きっとそうだろう。


恩師がいつか「友達は選べない」と言っていた。「たしかに」と思う。
偶然と、ふしぎなダイナミズムのあとで、いまの交友関係ができている。

なんだか不安定な気もするし、これでよかった、という気もする。

編集者はずるい?

かつて本を書きながら、「編集者は一瞥(いちべつ)しただけで原稿をボツにできるし、採用もできる。立場が強いのかな」と漠然と思っていた。


自分が編集者になってみると、「編集者ってこわい…かも。著者さんが100の労力で仕上げたものに、10くらいの労力で手を入れてしまえる」と実感した。

編集者はずるい? (いえ、ぼくだけです。)

□ □ □

「いや、じつは編集の仕事のほんしつはね…」などとは語れない。

ただ、ぼくがいつも心がけていることは、「みんなが気持ちよく仕事できる場を作ること」。作家さんも、装幀するイラストレーターの方も、組版をしてくれるひとも。

編集はチームプレイ。

読者が楽しいと思える本を届けるのに、やはり、はたらく側も気持ちよくアウトプットしたのだ、ということは大切だと思う。


* 注:同業の編集者のみなさま。編集の多岐にわたる仕事の大変さをたびたび痛感しています。つながりをもてるとうれしいですし、いつもひとから学んでおります。

2019年2月20日水曜日

今日一日を千人が……


今日一日を千人の人が千通りの仕方で過ごしたのかと思うと、驚く。

雪のように、千人の一日が降り積もり、明日までに少し解ける。

あなたはいい一日でしたか。

2019年2月19日火曜日

ランプライトの朝

ランプライトブックスホテルの朝食。


自分で好きなパンを選べる。ルッコラとドライトマトにチーズをかけたフォカッチャ。そして、甘辛く炒めた鶏そぼろのバゲット。

□ □ □

カフェスペースが狭いため、相席になる。相手はヨーロッパ系の顔立ち、年の頃30くらいの男性。ぼくから、おはよう、と声をかけた。

日本語がわからないと言うが、英語はすらすら出る。「ぼくはスペイン出身だよ。韓国に4年半住んでいる。今回は仕事で名古屋に来たんだ。営業だよ」

相槌を打ち、てきとうに質問を挟むが、ぼくの英語は心もとない。それでも気にせず、世間話を続けてくれる。

「晴れている。青い空だ。韓国はひどく寒いし、空気の汚染がすごいんだ。青い空だね」

"pollution"(汚染)と何度もくり返していた。

「もうスーツを着て出かけなきゃ。会話につきあってくれてありがとう!」

ぐっと手を差し出されて、握手する。笑顔で部屋へ戻っていった。

できるビジネスマンだろう、と思ったけれど、それ以上に気さくに見知らぬひとと会話できる彼の姿勢に惹かれた。

2019年2月17日日曜日

ランプライトの夜

2018年、名古屋にオープンした泊まれる本屋「ランプライトブックスホテル」に宿泊した。


ロビーの代わりに「旅」と「ミステリ」にかかわる本がいっぱいの図書・作業スペースがある。

ホテルに入ったところ。フロントの横
図書・作業スペース

ちなみに、部屋にも絵画のように本が飾ってある。
ソファ横に本

ふつうのシングルルーム。右手に本2冊

さて、ホテルの紹介はこのくらいにして。

今回は出張で、「せっかくなら」とここに泊まったのだが、その夜に驚かされた出来事を書いてみたい。

21時すぎにチェックインした後、小道を一本はさんだローソンに向かった。そこで、すれちがった女性から声をかけられた。

「木村くん」

はっとして顔を見たが、誰だかわからない。

「はい、木村です。失礼ですが、どちらさまですか?」

知り合いなんてほとんどいない土地だからいぶかしむ。でも、名前を聞いて思い当たる。大学のサークルでいっしょに活動した仲間だった。ちょうど、ぼくと同じランプライトブックスホテルに泊まっているという。

「よくぼくの顔を見分けられたね」

十数年ぶりの再会。

ふたりでホテルの小さなカフェスペースに座って話をした。

あれから十数年分の報告は、15分か20分で済んだ。
お互いなつかしいが、ぼくはある出来事でやむをえずサークルを離れて以来、親しかったメンバーともほとんど連絡をとっていなかった。

なんだか小説のようだが、ブログで小説仕立てに語られても退屈だろうから切り上げる。ぼくらは立ち入った話もせず、それぞれの部屋に戻る。

ともあれ、会えたことはうれしかった。