2013年6月26日水曜日

村上春樹の卵


村上春樹は、自分の書く態度について、「固い壁と、それにぶつけられる卵があるならば、僕は卵の側に立ちたい」というようなことを述べた。

この比喩は、作家としての姿勢のみならず、ものの見方を表していると思う。片方には巨大な壁のように立ちはだかる「固い」現実があり、それの前で、弱い人間はぐちゃぐちゃに潰されてしまいかねない、という構図だ。

村上春樹の文章は、けっしてセンチメンタルではなく、むしろ、現代アメリカ文学、そしてハードボイルド小説に影響を受けただろう、ドライで即物的なスタイルで書かれる。けれども、内容を追うと、文体からにじみ出るようにして、人間のもろさが露呈する。村上春樹にとって、人間とは、「幻想」的なほどに "Fragile" (もろさ、はかなさ、壊れやすいこと)だ。

たしかに、厳しい現実の前での共感はある。だが、その共感の世間的な大きさは危険でもある。「ほら、人間ってこんなに弱いのだよ。わたし(たち)はもうこわれそうです」と言いたくなること。

むしろ、「卵を茹でてみたらどうだい? 意外に、現実のなかをころころ渡っていけるのではないか。壁にぶつかったって、砕けやしないで。そう、コロンブスの卵みたいに」。書き手としての僕は、代わりに、そんな風に言いたい。

身の回りの世界を、超越的な「固さ」をもつ壁へと変貌させて眺めることから、離れること。幻想的な弱さから、現実の弱さへと踏み出すこと。そこから、強さを得るための具体的な一歩を進めること……。