ひとの声が聞こえる、というのはどういうことだろう?
鷲田清一の『「聴く」ことの力』を読んだ。彼の臨床哲学の本は、たとえば河合隼雄との対談など、ほかにも読む。「聴く」ことはケアの現場やカウンセリングでずいぶんと注目されて続けており、かなり面白かった。
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他方で、いま不思議だと思うのは、ふだん日常のなかで、なぜ「聞こえる」声と「聞こえない」声、「聞かない」声があるのか、だ。
こちらが話した時、その「声」が相手に届いたかどうかは誰しもなんとなくわかる。耳に入っただけか、頭に留めてくれたのか、心に染みわたったのか。
逆に、ひとの声に耳を傾ける時、どうしてもそのひとの本気が伝わらないこともある。それは聞き方がわるいのだろうか? それとも、そのひとは熱意も考えもなく話しているのだろうか?
こういうことについておそらく男性や哲学者は、理屈で考えるクセがある。傾聴にも理論がある、聴く「コツ」があるのではないか、ケーススタディは……、と語りたがる。
またたとえばレヴィナス(フランスの哲学者)を持ち出す。曖昧な哲学用語でコミュニケーションの本質を語ろうとする。それはそれでよいのだが……。
しかし、僕にとって、そういうことは重要ではない。
理屈には関心がない。テクニックも「コツ」もケーススタディもさほど興味を呼ばない。
ただ、話すこと。ただ聞くこと。そこに真心があるか、ないか。
──結果は関係ない。そして、頭で考えることは、すべて重要ではない。そう思う。